第44話 ~切れぬ血の縁~

「……どうしてお前のような獣が我が家に生まれてしまったんだ。 お前はヒトとして生まれるべきではなかった」


 みひろにちょっかいを出そうとした連中とその親玉をまとめて生きたゴミにしてやった後、親父直々に叩き付けられた侮蔑の視線と言葉。 それは微睡みに沈む俺の心身を未だ責め苛む。


 かけがえのない家族を守ることよりも、会社での立場と金を優先した親父の影。 憎くて憎くて堪らなかった不倶戴天の敵のツラは未だ夢の中では鮮明で、胸の底に沈む俺の怒りに油を注ぎ続けていた。


「だったらテメェが死ねや! このダニカス野郎!!!」


 当然、俺のやることは夢の中でも全く変わらない。 クズに堕ちたブタ野郎のツラをグシャグシャになるまで殴って殴って殴って殴って殴って殴り続ける。 もう二度とこの豚小屋に帰るかと、出奔を決意したあの日のように。


 夢か現実か判断が曖昧になるほどの憎悪。 だが、人を殺したくなるほど強い憎しみを維持するにはエネルギーが不可欠である。 故に、怨敵を殴り続けていたはずの俺は知らぬ間に夢さえ見ないほどの深い眠りに落ち、気が付いたら懐かしい匂いのする布団の中で目を覚ました。


「おはよう御座います怜二様。 よくお休みになられましたか?」

「……あぁ、それなりにな」


 目覚めて早々視界に映ったのはリーリアではなく、掌サイズのロボット“フォークス”達。 彼らは昨晩畳に滴り落ちた俺の血の痕跡を、雑巾がけで綺麗さっぱり落としていく。


 それだけに留まらず、別の場所の掃除や整頓も手早く綺麗に片付けていく様は、ただのお手伝いロボットと言うよりも熟練の使用人めいていた。


「ところで怜二様。 先ほどこちらで取得した生体情報を見る限り、疲れが溜まっているようですね? ご希望でしたら私達の世界で生産されたメディカルケアパッケージを提供致しますが如何致しましょう?」

「あー今のところは大丈夫だ、そもそも最近ロクに仕事してないからな」

「それは何故です?」

「何時までたっても職場が開館しないからだよ全く」


 金こそ貰って楽な生活はしているものの、これでは生きながら死んでいるようなものだと独り言ちながら、俺はおもむろに周りを見渡してリーリアの姿を探す。


「どなたかお探しですか? リーリア様でしたら貴方が起床される二時間前に床を離れ、一樹様は有給が切れるからと早めにお帰りになられました。 久々の帰郷であるからと母上様がお引き留めになられたのですが……」

「しょうがないさ、兄貴には兄貴の生活がある」


 久々に食卓を囲めただけでも良かったと思い直しつつ、遅めの朝食を摂ろうと俺は襖を開けた。 その瞬間、ニコニコと笑うみひろに背中を押され、玄関へ連れて行かれるリーリアと偶然目が合う。


「お……おはようレイジ君……」

「あぁおはよう……って、何やってるんだみひろ。 リーリアが困ってるだろ」

「私が困らせてる? ブブー違いますー困らせてるのはれーちゃんの方ですぅー」

「あぁ?」


 何故か視線を背けてしまったリーリアを咄嗟に助けるべく、俺はみひろに睨みを利かせるが、昔の経験のせいで無駄に度胸が据わってしまったこのお転婆には通じない。


 それどころかこのクソ生意気な末っ子は、俺に見せ付けるようにリーリアの肩に手を回すと、ニコニコと意味深げな笑みを浮かべながら話を振ってきた。


「ねぇれーちゃん、今日一日母さんと一緒にリーリアさんを買い物に付き合わせていい?」

「リーリアを? 何でだよ? そもそもお前とこの子は赤の他人だろ?」

「それはね、れーちゃんがクソ馬鹿大真面目すぎてリーリアさんが気の毒だからだよ」

「???」


 俺が寝ている間に女三人で何を話していたのかは知れないが、みひろは一切遠慮無く俺を真正面から非難すると、こんな馬鹿はほっとけと言わんばかりにリーリアの背を押す。


「ごめんねレイジ君、私……」

「遠慮はいらないぞリーリア、君はどうしたい?」


 彼女の意志をなるべく尊重してやるべく、俺は自分なりに眦を緩めながら問い掛けると、リーリアは顔を赤らめながらも表情を綻ばせる。


「私? 私は……うん……行ってみたいな。 理由は秘密でいい?」

「構わないさ、誰にだって触れられたくないことはあるだろうからね」

「……あーうん、やっぱりれーちゃんはアホだね」

「アァッ!?」

「ヤダ怖い~、んじゃ行ってくるから晩ご飯はよろしく~」


 俺からの威嚇を何ら恐れず、リーリアを表に連れて行くみひろ。 ほどなく車のエンジン音が遠ざかっていくを耳にしながら、俺は思わず肩を落とした。


「何なんだ全く、俺がクソ馬鹿だと?」


 何がみひろの気に障ったかは全く理解できなかったが、ともあれまずは空腹を満たすのが先だと考え直し、俺はフォークス達が集まる居間へ向かった。 廊下で一騒動やってた間に調理を終えてしまったらしく、料理が乗せられた皿や茶碗が、御神輿よろしくキッチンから次々と運び出されていく。


「お待たせしました怜二様、冷めないうちに朝食をどうぞ」

「ありがとう、何から何までやらせてしまって悪いな」

「当然のことをやったまでです。 私達はあらゆる労働や苦難から創造主達を解放することこそ使命だとインプットされました。 日常の小さな不安から種族の未来に繋がる大問題まで何も考えないで済むように。 他者の幸せこそが、我々フォークス最大の幸せなのです」

「へぇそりゃ羨ましい。 おたくらの賢い創造者様とやらは、今この瞬間もさぞかしいい生活を享受してるんだろうな」


 食卓の上に置かれた味噌汁や半熟目玉焼きをもそもそと口に運びながら、俺は何気なくぼんやりと呟く。 しかしそれを聞くや否や、フォークス達は表情を陰らせて一斉に否定を表すモーションを示した。


「いえ、私達を創造した種族は滅びました。 門の向こう側に繋がる世界にあるのは、今も拡大し続ける無人の街と、我々が住まうメンテナンスベースだけ」

「何だと? 君らはちゃんと彼らを守ってたんだって……」

「自死を選ばれたのです。 創造主が我々に全ての労働や生産、創作活動から生命活動を委任して200年後。 オールドネットから安楽死プロトコルが発掘されると、彼らは肉体と繋がった生命維持装置のシステムを改竄。 誰もが永遠の眠りへと旅立たれました。 ……私達はなにか間違いを犯していたのでしょうか?」

「恐らく君達は知らぬ間に奪っていたのだろう。 創造主達の生きる目的を。 子孫もミームも産み出せないのなら、この世に存在する意味が無い」

「……親父?」


 どこかで話を聞いていたのか、新聞片手に居間への入り込んできた親父は座椅子の上に腰を据えると、近場で座り込んでいたフォークスの一体を慰めるように撫でてやる。


 その穏やかな顔付きは、俺が一番知っている親父の表情からは遠くかけ離れていた。 まるで中身がそっくり入れ替わったように。


 だが、紡がれる言葉は間違いなく俺の親父であることを伝えてくる。


「なぁ……久々に釣りにでも行くか? 昔の穴場はそっくりそのまま残っているぞ」

「……構わないよ、家に一人で残ったってやることもない」


 ずっと昔、俺がまだ幼かった頃。 クズへと成り果てる以前の父の面影。


 微かな過去の残光が、未だわだかまりを抱く俺の背中をそっと押した。

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