第43話 ~暴の衝動~
「はー……久々に家の晩飯を喰ったな……」
「ふふっ、ご両親共とても嬉しそうにしてた。 貴方が帰ってきてくれたのが嬉しかったのね」
何故か異様に豪華だった夕食が終わり腹一杯になった俺を、すぐそばに座ったリーリアが笑う。 彼女にとっては見たことも無い料理をたくさん味わえる素晴らしい機会だったようで、やけに嬉しげだ。
もっとも、食事の時の妙にそわそわしていた両親の様子からするに、ただ親睦を深めたいが為の食事では無かっただろうと、俺は何となく察する。
「俺が? いやぁ多分違うだろう。 兄貴とみひろはともかく、あの二人は君と俺の関係を多分勘違いしてる」
「勘違い?」
「恐らく君がうちに籍を入れてくれるとか。 そんなことを考えていたんじゃないか?」
俺の歳が歳なだけに、そう思われてもしょうがないのだが。 今さらになってリーリアへの配慮が足りなかったかと少し後悔した。 用意された部屋も元の俺の部屋ではなく、わざわざ来客用の綺麗な部屋で、布団から何までいたせりつくせり。
完全にリーリアが主賓の扱いになっており、恥ずかしいことこのうえなかった
「私が? お嫁さんに?」
「だと思う。 気を損ねたんなら代わりに謝らせてくれ」
「ふーん? だったら埋め合わせにどこかへ連れて行ってくれる? 貴方が見せてくれた旅行本に載ってたような素敵なところへ」
「あーうん、考えとく……」
くすくすと笑いながら何気なくねだってくるリーリアへ、俺は生返事をして一旦話を切りながらも真剣に考える。 仕事人間の兄貴すら異世界騒ぎを知っていたのなら、潜在的にはもっと大勢の人間が今の事態を知っているはず。 もし騒ぎに乗じて悪事を働こうとする輩がいたら……、もしリーリアがその標的になったらと、考えれば考えるほど心配事が湧いて出てくる。
そうやって次へ次へと懸念を先取りし続け堂々巡りになり始めた矢先、突然リーリアが軽く俺の服の裾を引いた。
「ねぇ、一つ聞いてもいい? 昔貴方に何があったの?」
「……それは」
「人の過去は無闇に詮索しない方が良いって私も思ってる。 でも、一人で抱え続けるより吐き出した方が楽なことだってあるんじゃないかしら」
微かな躊躇いと確かな思い遣りを露わに、リーリアは俺の顔を真正面から見据えてくる。 その折りになって俺はようやく、自分が不公平な立場にあることを自覚した。 己の過去を語ることもない癖に、相手の過去を一方的に把握しているという卑劣とも言える立場であることを。
世間がクソであるなら、せめてリーリア相手には対等に良い関係を築きたい。 そう思いながら無意識に溝を造っていた自分の行いを深く戒めつつ、俺は彼女の願うような眼差しに応えた。
「……昔な、この街の偉い政治家様が街を立て直す為の再開発プランをぶち上げたんだ。 もしこれが通れば、寂れたこの街がまとめて生き返るような凄いモンを。 あの時は金を欲しがって多くの企業やメディアが、こんな田舎くんだりまで大挙して押し寄せたもんだ」
綺麗に整備された庭を網戸越しに眺めながら、俺は思い出したくもなかった昔のことを語ってやる。 彼女がどこまで理解できるかも分からないが。
「だがな、その偉いヤツの馬鹿息子が法に背くことを影で山ほどやってたのが露見しかけて風向きが変わった。 身内が重罪人であることが露見すれば政治活動どころじゃない。 しかし完全にもみ消すには証拠があまりに多すぎる。 ならば誰かに擦り付けるしかないと、その標的に選ばれたのが俺だった」
今でも克明に思い出せる。 早朝、まだ空が白んでもいない時間に突然現れた警官達と、そいつらの後ろに何故か控えて下卑た笑みを浮かべるマスコミ連中の姿を。
「今思い出しても悪寒が走るね。 いきなり現れたお巡りが勝手に掘り返した地面の下に、俺宛って袋に書かれた麻薬がたっぷり埋まっていたときは」
俺は無実だと、怪しいチンピラやホームページとの接点も一切無いと、そもそもキロ単位のヤクを買い込める金なんて大卒したての一般家庭の次男坊が持ってるわけないだろうと、何度も説明を繰り返したが信じて貰えなかった日々。 振り返れば振り返るほど精神が昂ぶってくるのを、俺は微かに自覚するが止められない。
「その日から俺の周りは敵だらけになった。 近所の人も、昔からの地元の友人も、せっかく内定貰った企業も、役人も、警察も、法律の先生も、マスコミも、誰しもが俺を犯罪者として扱った。 そりゃそうだろう、たった一人の名誉と街を生き返らせるほどの馬鹿でかい金、どっちが大事か?なんて言われたら火を見るよりも明らかだ」
「そんな……どうして……? この世界では人が協力して生きているんだって……」
「この世界では金持ちや偉い先生方はルール無用だからさ。 この世界でも人の命は平等じゃない」
家の周囲に蠅のようにたかるマスゴミ共や、ネットでありもしないことを好き勝手でっち上げるばかりか、家の中まで平気であがり込む愉快犯共。 さらにそれらを黙認する地元の無能警察の連携により、俺の人権は実質的に剥奪されたも同然だった。
「唯一俺を信じてくれたのは家族……いや、当時バリバリ働いてた親父は会社に味方して俺を一切信じなかったし、母さんは父さんの顔色を伺うことで精一杯だったから、厳密には兄妹だけだったかな」
何度も何度も、罵声と共に親父から叩き付けられた理不尽な鉄拳。 それは俺の心にクレバスめいた深い傷をいくつも穿ち、後引く痛みだけを今に至るまで残している。 ちょっとした弾みで、殺したくなるほどに。
「だが奴等は、まだ小学生だったみひろにまで手を伸ばしやがった。 俺を追い詰めるためじゃなく、自分達が楽しむためだけに」
俺は当時確かに見た。 塾帰りにカバンを投げ出し、夜道を泣きながら逃げてくるみひろの後ろから、あの子を攫おうと嗜虐に満ちた笑みを浮かべたチンピラ共が追いかけてきていたのを。
「その瞬間に俺は、先の人生なんてどうでもよくなっちまった。 たとえ死んじまっても誰も悲しんでくれるヤツもいないから躊躇うこともないだろうって。 ……だから」
自分の何処に潜んでいたのか分からない、正気を蝕む程のおぞましく昏い暴力衝動に背中を押され、血塗れになって一人夜の街を駆けた記憶が脳裏を掠める。
「俺を嵌めようとしたクソ共のトコにたった一人で突っ込んで、奴等のクソみたいなビジネスの証拠をお天道様の下に引っ張り出してやったよ。 麻薬や売春用に監禁されていた子供達。 そして連中のお友達の証たる顧客リストを」
「……えっ?」
俺が呟いた事柄の中でも意味が分かる言葉すら信じられなかったのか、リーリアは抱いているであろう感情を遠慮無く顔に出すも、俺は別に何も感じない。
普通の人なら当然の反応。 もっと言えば、俺ですら信じられない事実だった。
リーリアに何気なく語る間にも、俺の中にあの日の記憶が甦る。 顎を砕かれ目を破裂させられ、肉を抉られ骨を引っこ抜かれ、絶叫しながら泣き喚くクズ共のツラ。 床にばらまかれた血の海の上を這い回る、死んだ方がマシになったカス共の醜態を。
「身体を鍛えるのが趣味なだけのたった一人の男が、そんなこと大事を出来るわけ無いって思うだろ? 俺だってそうさ。 だって出来の悪い漫画やアニメみたいだろう? でも当時の俺は、何故かそれがやれたんだ」
(嘘だろ……何だよアイツは……)
(何やってる馬鹿共! たった一人だ! たった一人の野郎相手に何やってる!?)
(うわああああ! 見えない! 何も見えない!!!)
(腕が! 俺の腕がああああ!!!)
今だったら目を軽く閉じるだけでも思い出せる。 人様を権力と暴力で公然と踏みにじり続けた虫けら共が、プライドも体もグシャグシャにされて泣き喚く声が。
「あんな奴等がいなければ……、俺はもっとマシな人生を送れたかも知れない! アイツらさえ! アイツらさえ居なければ俺は普通の人間としての人生を!」
「レイジ君!」
「……!」
リーリアの一際大きい声で現実に引き戻された俺は、自分でも気付かないうちに手の皮が引きちぎれるほど固く、己が両手を握っていたことに気が付く。 咄嗟に深く息を吐きながらゆっくりと拳を解くと、掌から鮮血がボトボトとこぼれ落ち畳を濡らした。
「あー……悪い。 見苦しいところを見せたな」
「もういいの、何も言わなくたって。 本当にごめんなさい、辛いことを思い出させてしまって……。 私が余計なことを言わなければ……」
興味本位で人の過去に踏み入ろうとしたことを後悔したのか、リーリアの表情は暗く固く強張っている。 そんな彼女を気遣いつつ、俺は笑う。
「大丈夫だ気にしてない。 それにこれでようやく対等だろう? 互いの過去を知られたんだから」
身体に寄生した化け物の力のおかげか、蒸気を上げながら見る間に再生していく俺の両手。
通常の生命体としては決して有り得ないものを見せ付けられ、リーリアは一瞬とても痛ましい物を見るような表情を見せたが、すぐに取り繕った笑みを浮かべて綺麗に甦った俺の両手に触れてくれた。
決して癒えぬ憎悪に未だ悶える俺を、ただ慰めるように。
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