第42話 ~立ち枯れた麒麟菊~

「ただいま、穀潰しがやっと帰ってきたぞ」


 兄貴がフォークス達を引き連れてそそくさと座敷の奧に引っ込んだ後、玄関に残された俺は昔のようにインターホンを連打しながら呼び掛ける。 すると、廊下の先から一瞬だけ顔が覗いたかと思えば、即座にけたたましい呼び声が家中に響き渡った。


「母さん! れーちゃんが! れーちゃんが!帰ってきたよ!」


 兄貴と区別する為か、一回もお兄ちゃんと呼んでくれなかった我が家で一番騒がしいのが、長い廊下を駆けてくる。


 10歳以上歳が離れてるせいで、親戚か兄貴の子だと勘違いされ続けた末っ子。 健康的に焼けた肌が眩しいその元気娘は、俺の背後に控えていたリーリアの存在に気が付くと、一切物怖じせず頭を下げた。


 無愛想な俺や理屈屋な兄貴と違い、ただの挨拶でもその表情はとても眩しい。


「貴女が一樹兄さんが言ってた連れの方ね?」

「あっその……、初めまして。 リーリア・シャミナと申します」

「こちらこそ初めまして! れーちゃんの妹の鷹見みひろです!」


 想像していた人間と全く違ったのか、みひろは挨拶した後も不思議そうにジッとリーリアのことを眺め続ける。


「何ジロジロ見てるんだ、彼女は見世物じゃないぞ」

「だって、こんなかわいい人連れてくるんだもん。 見るなって言われても気になるじゃない! ねぇ母さん!」


 ここまで言われる程かと首を傾げる俺のことなど放って、みひろは家の奥から現れた和装の女性へ言葉を投げかけた。


 個人的な人となりこそ悪くはないが、親父のイエスマンとして常に三歩後ろに控え続けた俺の母へと。


「……ただいま母さん」

「随分長い家出だったわね怜二。 おまけにこんな綺麗な子を連れてくるなんて。 アンタまさか誘拐なんてしてないでしょうね?」

「“親父と違って”俺はこの人生であくどい事なんざ一切してねぇよ」

「そう……、疑って悪かったわ」


 無意味に疑われてムッとした為、俺が父のことを引き合いに出すと、母さんは微かに表情を曇らせて余計な追求をやめた。 おかげで場の空気が少し悪くなってしまったが、みひろは構わずリーリアに纏わり付く。


「ねぇリ-リアさん、れーちゃんとはどうやって知り合ったの?」

「そうね、あの子が貴女に失礼を働いてないかも気になるわ。 色々お話聞いても良いかしら?」

「え……えぇ私は大丈夫ですけど……」


 思わぬ歓迎っぷりに動揺したのか、リーリアが器用に視線だけを俺に送って助けを求めてくると、俺は黙って頷く。 本来なら彼女には一切喋らせず俺が舌先三寸で誤魔化すつもりでいたが、ここにも異界からの来訪者が現れていた以上、変に物事を隠す必要も無い。


 それを察したのかリーリアもようやく笑みを浮かべると、母とみひろに誘われるがままリビングの方へ案内されていく。


「誰も彼も失礼なことばっか言いやがって、まぁいいや」


 あれだけ歓迎されているのならトラブルには繋がることもないだろうと思案し、俺はようやく肩の力を抜くと、兄貴が上がり込んでいった座敷の方へ歩を進める。 そこではフォークス達がドライバーを片手にした兄貴相手にメンテナンスを受けており、一体一体が行儀良く順番待ちをしていた。


「おや、お嬢さんと一緒に行かなくてよかったのか?」

「さきにツラ合わせなきゃいけないヤツがいる。 そもそも兄貴が言いだしたことだろ?」

「ハハッ、確かにそうだったな」


 自分が事の発端であることを忘れていたのか、兄貴は少しの間苦笑いを浮かべていたがすぐさま冷静な表情へ切り替えると、庭に向かって顎をしゃくる。


「親父なら縁側にいる。 お前が知っている姿とだいぶ違うかも知れないが、あまり笑ったりけなしてやらないでやってくれ。 お前自身の品位を落とすような真似はするな」

「へーへー」


 実家まで帰ってきて余計な説教はごめんだと、俺は生返事をしてさっさと縁側に出ようとするが、その直前に服の裾を掴まれて無理矢理足を止められる。


「兄貴?」

「それと、これは俺だけじゃなくお袋からのお願いだ。 頼むから流血沙汰にはしないでくれだと。 たとえお前が、未だに親父を殺したいほど憎んでいたとしても」

「……あぁ、心配するな」


 兄貴の表情から、今回かなり神経を使われて誘われたのだと気付くと、俺はガキの頃のように気安く笑って誤魔化し、縁側に繋がる障子を開いた。


 昔と変わらぬ無駄に長い縁側の向こう側、そこに帽子を被ったまま座る人影を見た瞬間、俺は視界が強烈に歪むような錯覚を幻視する。


 ――お前のせいで警察やマスコミに纏わり付かれてるぞ! 出来損ないがこれ以上我が家の面子を潰すな!


 ――この犯罪者が! うちの敷居を二度と跨ぐな! 誰にも看取られずラリッたまま野垂れ死ね!


 ――は? お前が無実だったからなんだ? 何故私を責める? 私は家族を守っただけよ。


 ――私は何も悪くない。 悪いのは、私を満足に信用すらさせられなかったお前だ。


 ――お前のような畜生が、何故私の種から生まれたのだろうな?


「グッ……ウウゥ……!」


 生きているのが不思議なくらいに親父を殴り潰して家を飛び出すまで、暴力と共に毎日ぶつけられ続けた呪詛が脳裏にリフレインし、拳に血が滲むほどの殺意と憎悪が胸の底から溢れそうになる。


 その殺気に気付いたのか、のんびり座っていたその人影は自ら顔を動かすと、俺が今まで聞いたことの無いほど穏やかな声色で語りかけてきた。 出奔当時の姿が見る影もなく痩せ細り、哀れにも枯れ枝のように成り果てた男が。


「またこうやってお前と会えるとは思わなかったぞ、怜二」

「……アンタの為じゃない。 兄貴の頼みだったから帰ってきたんだ」


 絶対にお前のためなんかじゃないと、嫌悪感を剥き出しにして俺は声を絞り出す。 次に続く言葉は何だ? 挑発か? 侮蔑か? それとも言い訳か? 体内に張り巡らされた化け物の体組織から滲み出る圧倒的暴力衝動が、固く口を閉じた俺の心を昂ぶらせていく。 もし何かふざけた返事をしたら、このまま撲殺しかねないほどに。


 だが、次に親父が紡いだ言葉はとても優しく寂しいものだった。


「それでもいい、私のような男には出来過ぎた話だ。 神にすら見放された私にとっては」

「……どういうことだ?」

「こういうことだよ」


 俺への返事もそこそこに、親父は見せた方が早いと言わんばかりに被っていた帽子を脱ぎ捨てる。


 その瞬間、俺は思わず目を剥いて押し黙った。


 そう、数年ぶりに見た父は、人の形こそ保っているものの完全な人間そのものではなかった。


 よくよく見ると薄くなった皮膚の下に謎の機械が多数埋め込まれており、頭部に至っては一部は完全に機械化され、露出したパーツが時折脈動するように光り輝いている。


「親父……何だよその身体は……」

「数年前にやっかいな病気を患ってね、死にたくても死ねない地獄のような余生を送っている最中、いきなり現れたあのチビ助達に助けられた。 多少見た目が悪くなってしまったが、この身体になってようやく分かったこともある」


 俺の顔もまともに見られず、親父は庭に出たフォークス達がわっせわっせとロボらしくない出で立ちで庭仕事をこなしていく様子を眺め続ける。


「これはきっと、私に下された罰なのだろう。 闇雲に人を恐れ、身に余る権力と財力を求め、懐にあった幸せを踏み躙り続けた私へのな」


 俺ではなく、自身を戒めるように親父はただ呟く。


 そこには俺の知っていた傲慢で尊大で独善的な父の姿はなく、ただ小さく萎れた男がいるだけだった。

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