第39話 ~無常な刻限~

「これが別の世界へ通じる裂け目。 貴女の仰ったことは正しかったのですね、ローザさん」

「人聞きが悪いなフヨウ。 このアタシが嘘ついたことはなかっただろう?」

「すっとぼけられたことは山のように多々ありますのでね。 今回の騒動のように」


 数え上げればキリがないと、あくどい婆様をなじる怜悧な雰囲気を醸す鋭い目付きの女傑。


 フヨウと名を呼ばれた栗毛の大女は、会話こそ続けながらも一切俺から視線を外さない。 もっとも、これこそ男が突然怪物化する世界に住む人の常識なのだと、俺は自分で勝手に納得しながらリーリアに視線を向けた。


 共同体の常識から逸脱したアウトサイダーは攻撃される。 それも俺が生きる世界と同じのようで、リーリアはこれ以上反感を買わないよう強い注意を払いながらおずおずと口を開く。


「あの……、これには色々と理由があって……」

「今さら取り繕う必要もないだろう。 貴族共は我々の手に落ち、その背後で何世代にも渡り糸を引いていたクズ共も死んだ。 もう訳の分からない言いがかりに怯える必要も無い」


 何と説明しようかと迷っていたリーリアに助け船を出したのは、ある程度事情を把握しているらしきローザ婆さん。 彼女はしどろもどろなリーリアの言葉を遮ると、その他オーディエンスが理解出来るよう、説明を挟みながら軽く頭を下げた。


「よくやってくれたなリーリア。 あの人の形をしたケダモノ共をよく狩ってくれた。 お前さんには感謝の言葉も見つからないよ」

「いえ、私はただ行き当たりばったりで動いていただけでそんな大それた事をやるつもりなんて……」

「それでも、お前さんは自分の意志で手と足を動かしてやり遂げたんだ。 もっと自分を褒めてやりな」


 リーリアよりも、フヨウやその他大勢の狩人達の様子を軽く伺いながらしゃべり立て続ける老婆。 彼女が遠回しに説明してくれたおかげで、張り詰めるような警戒心を露わにしていた狩人達の緊張が和らいでいくのを、俺は鋭敏化した直感で何となく感じ取る。


「さぁ、外の皆もお前の話を聞きたがってる。 ここにいる以外の救い出された男衆も、自分が無事大人になれるか気になるだろう。 行って聞かせておやり」

「は……はい……」


 ひとまず危機は去ったと察したらしきローザ婆さんに促され、おずおずと窓から向こう側へ身を乗り出すリーリア。 彼女はフヨウやその他の狩人達に護られるように囲われながら、未だ状況を把握できていない住人が待つ表へと出て行った。


 それに伴って、部屋の中にいた男の子達も静々と出て行き、部屋の中には未だ真意を見せない悪辣な老婆と俺だけが残される。


「ここまで丁寧に説明してやれば分かってくれるだろう。 ちゃんと噛み砕いて聞かせてやれば、度を過ぎた馬鹿以外は大抵理解を示してくれるものさ。 あの子だってお前さんに対してそうだったろう? タカミレイジとかいう無愛想な坊やよ」

「……いつから気付いていたんです? あの子が別の世界の人間と通じていると」


 ずっと以前より会話を聞かれていたのか、当然のように俺の名を呼んでくる老婆に問い掛けると、ローザ婆さんはニヤッと口端を吊り上げながらドカリと椅子に腰をかけた。


「お貴族共以外には禁じられた高度な魔法を、どこからか覚えてきて狩りに使ってたらそりゃバレる。 あのお嬢さんは上手く隠し通せたと思っていたようだが、アタシの目と経験は誤魔化せない。 長年クズ共の走狗として生き続けていたアタシからはね」

「クズ共の走狗? だったらなんでこんな危ない橋を渡ったんです? 奴等に従い続ければ、貴女だけでも死ぬまで安定した生活が保証されていたでしょうに」

「はっ、アタシは最初からあのクズ共の玩具に成り下がったつもりはない。 不本意にも奴等に取り入った理由は、奴等のぶよぶよの首筋にいつか刃を突き立てる為よ」


 リーリアや他の衆に見せていた柔和な顔付きとは一線を画す、心底邪悪な笑みを俺に見せ付けながら、ローザ婆さんは一切の遠慮も無く語る。


「それに、クズ共の住処を迷い無く進めたって事は、お前さん当然あのチップを読み込んだのだろう? だったら奴等が何故アタシに憎まれているかわかるはずだ」

「……何となく分かる気がします。 俺の世界でもあんな惨いことをやった奴は、力を失い次第間違いなく吊されるでしょうから」

「そうかい、思った以上に価値観が似た世界と繋がれたようで嬉しいよ」


 奴等以上に狂った世界と繋がってたら目にも当てられなかったと、最悪のIFに言及ながら身震いするフリをして戯ける老婆。 だが、彼女は軽いまばたきの後に表情を引き締めると、穏やかだった声色を一転させた。


「さて、今度はアタシから質問させてくれ。 何故お前さんはこの世界に門を開いた? 何故ここでなければいけなかったのかい?」

「それはこっちが聞きたいです。 異世界の存在なんて、俺だって数ヶ月前は一切信じていませんでしたよ」

「はっ、なんだい。 お前さんも誰かの掌の上で踊ってるってことかい?」

「それすらも分からないというのが、正直なところですね。 一応原因らしき出来事は存じてますがそれまでです」


 自分達では新たに開くことも、完全に閉鎖することも出来ないと重ねて告げると、ローザ婆さんは残念げに肩を竦めた。 何か淡い期待を抱いていた分、落胆も大きかったようでそこで対話も止まってしまう。


「すいませんお力になれないようで。 何か質問がなければ俺はここで一旦失礼します。 こちらも皆と情報共有しなければ」

「ちょっと待ちな! あの子がいなくなった今しか話せないことがあったのを思い出したよ。 お前さんこっち側の世界の病に冒されてるだろう? それもかなり重いヤツに」

「……っ!」


 モコモコとアルケニーには事の顛末を伝える必要があるだろうと、席を立とうとした俺の不意を討つように投げかけられた言葉。 それは、過酷な現実から逃れようとしていた俺の心を無理矢理地獄と向き合わせる。


「……何を根拠にそんなことを」

「根拠も何もお前さん会っただろ? 同じ病の包帯まみれのジジイに」

「何だって?」

「アタシは奴と古い知り合いでな、会ったらこれを渡すよう頼まれたよ。 見逃してくれた礼だってな」


 戸惑う俺のことなど気にもせず、ローザ婆さんは再び不敵な笑みを見せると、何かが入った紙袋を軽く投げ渡してくる。 入っていたのはリーリアが住む世界独自の技術によって製造された植物性の注射器らしきもの。


「これは……」

「青いのは著しい痛みと侵蝕を抑えるもの。 赤いのは……、どうしてもヤバいことが起きた時に使うもんらしいが詳しくは教えてくれなかった」


 これが本来の目的だったのか、今までのんびりと椅子に寄りかかっていたローザ婆さんは歳を思わせない身体運びで立ち上がった。


「じゃあ達者でな坊や、できるだけ長生きしろよ。 あの子はとても良い子だからな」


 消える直前、ローザ婆さんが俺にかけたのは彼女なりに暖かな応援の言葉。


 だが、今の俺にはその言葉を噛み砕いて受け入れる余裕などなかった。


「できるだけって……、俺はあとどれくらい生きられるんだ……」


 何気ない切っ掛けから聞こえ始めた死神の足音。 それに竦むんだ俺はただ頭を抱え、座り込むことしか出来なかった。

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