第40話 ~苦いだけの思い出~

リーリアが生きてきた世界で起きていた騒動が解決し、俺はようやく自分の家に帰ることが出来た。 しかし、それで普段通りの日常が戻ったかと問われたら間違いなくいいえと俺は返す。


 俺に寄生した植物の問題も当然だったが、一番の原因が他でもなく異界の住人達。


 異世界に通じる窓は、アルケニーが宿す何らかの力によって働きかけることこそ出来るが、

 出入り口を完全に閉じることは叶わない。


 故に、日に何度も誰かしらが必ず尋ねてくる。


 ある時は子供ら、ある時は解放された男達、またある時は集落のお偉方と、彼らは自分達が知らないことを知るために何度もコンタクトを求めてきた。


「今日のお話希望の相手はさっきので最後か……、もてる男は辛いね」


 帰路につく子供らの背に軽く手を振って見送った後、俺は最近買ってきたばかりの二人がけソファにどっかりと腰をかけて、深く息を吐く。


 未だ職場が閉鎖状態なせいで時間を持て余している為、暇潰しにと喜んで話に応じてはいるが、日に何度も数時間に渡って話っぱなしでは、流石の俺でも精神的に疲れて当然だった。


「ふふっ、お疲れ様レイジ君。 今日も大変だったわね」

「まったくだよ。 今日はこちら側の世界のことを教えたら、そんなへなっちょろい植物しか存在しない世界があるはずがないって逆に疑われてね。 俺も人のことは言えないかも知れないが、自分達の物差しが絶対なんだって考えないで欲しいもんだ」

「そう言わないの、私達だってこうやって出会わなければきっと自分達の世界が絶対だって思ってたはずよ」

「……まぁ、確かにそうかもしれないけどさ」


 ソファの上でグッと身体を伸ばした俺に声をかけるのは、話が終わったことを察して読んでいた本を机の上に置いたリーリア。


 彼女は今、住んでいる家を日中は貸し出し、その間は俺の家の中に退避する生活を繰り返している。 それも、こちらの世界と安定して繋げられる門がここにしかない弊害だった。


「なぁ、皆に頼んだら新しい家の一つや二つ造って貰えるんじゃないか?」

「今はお貴族連中に荒らされた共同体の復興が先決。 私のわがままを無理に通すわけにはいかない。 それに、こうやって貴方のそばにいると落ち着くの。 だから気にしないで」

「そうか……、なら俺だって無理にとは言わないよ」


 上目遣いに顔を覗き込んでくるリーリアへ、俺は自分なりに微笑んで返す。 すると彼女は少し恥ずかしげに顔を赤らめながら、俺の肩に体重を預けてくる。


 最近はこうやって彼女から触れ合いを求めてくることが多くなった。 異性からこうやって扱われるのは別にイヤではない。 ただ、ここまで無防備に身体を近づけられると流石の俺も多少照れる。


 それに加え、俺の心の底に横たわる辛い記憶が、誰かの好意を全て受け入れることを無意識のうちに拒んだ。


「………………っ」

「どうしたの?」

「あーうん、気にしないで大丈夫だ」


 侮蔑、嘲笑、無関心、そして恐怖。 思えば、ずっと昔から他人からロクな目で見られてこなかった。 そんな俺が今さらになってここまで積極的に接されると、どう反応すればいいのか分からず困惑してしまう。


「近づくな化け物! お前みたいな暴力装置が人間社会に混じって生活していて良いわけがない! さっさと死ね! 死んでしまえ!」


 ずっと昔、集団から遠巻きにされて何度も浴びせられた心ない言葉。 既に過ぎ去った過去の話だと割り切ろうとも、ニューロンに刻まれた悲しみと憎悪は俺の意志に反してリフレインを繰り返す。


「本当に大丈夫? 何か心配事があるなら相談に乗るよ?」

「いやホントに大丈夫だから……」


 何か本音を隠していると察したのか、リーリアは俺に乗りかかるようにして詰め寄ってくると、そのまま真正面から俺の顔を覗き込んでくる。 息づかいすら感じる近すぎる距離感に、俺は堪らず顔を背けて押し返そうとするが、今回は何故かリーリアが譲らない。


 ああだのこうだの一進一退の攻防をソファの上で繰り返す姿は、恐らく別の野郎から見たら極めて反感を買うだろう。 だがこっちとしては必死だ。


「ああうう……」


 誰か、誰でもいいから仲裁してくれと、俺は横目でチラチラ窓を見るように祈る。 そんな都合が良いことが起こるはずが無いだろうとも考えながら。


 だが、そのそんな都合の良いことが偶然起こった。


「……何の音?」

「おおっとすまん。 俺のケータイだ」


 内心ありがたいと思いながらスマホの画面を覗き込むと、そこに映っていたのはどこの誰とも知らない番号。 それを目にした途端、ラッキーだったという気持ちも瞬く間にしぼんでいく。


「ったく誰だ? セールスならお断りしてるよ」


 電話に出ると同時、俺は文句と共に切ろうとするが、電話口から伝わってきた言葉を聞いて思わず立ち尽くした。


「待てよ怜二、久しぶりだってのにつれないじゃないか」

「馬鹿な……、一樹兄さん?」


 電話をかけてきたのは、長い間会っていない兄貴。


 昔、思い出したくもない騒動を切っ掛けに家を飛び出して以来、ずっと会わずじまいになっている肉親の一人。


「やっぱりお前だ、その用心深さも大袈裟な物言いも昔から変わってない」

「そりゃ人間そう簡単に変わらないよ。 でも質問させてくれ。 どうやってこの番号を知ったんだ? 誰にも教えてなかったのに」

「さぁどうやってだろうな? それは追々話すとして、まずはそっちの近況を聞かせてくれよ」

「別に話すことなんて大してありゃしないがね」


 向こうから何気なく話してくる内容から、相手が間違いなく兄であることを確信しつつ、俺は今の生活に関することをつらつらと話し続ける。 勿論、異世界に関することを除いてだが。 こんなことを馬鹿正直に話しては、正気を疑われてしまうのオチだと分かっていた故に。


「ところで、一体何の用で連絡してきたんだ? ただ声が聞きたくなって連絡寄越した訳でもないんだろ?」


 家を飛び出した時「困った時はいつでも俺のアパートに泊めてやる」と言ってくれた小さくも賢い兄の姿を思い出しながら、俺は落ち着いて言葉を紡ぐ。


 すると、電話口の向こうにいる聡明な兄貴は、らしくない胡乱な悩む声を漏らした後、困ったような口調で再び語り出す。


「俺から何と説明すればいいやら、詳しくは一度家に帰って来てくれたら分かると思う」

「何だよそりゃ、まるで新興宗教かマルチの勧誘みたいな言い草だな?」

「別に後ろ暗い事なんてねぇよ単細胞が。 俺だってなんて説明すりゃ分かんねぇんだよ。 ただ確実に言えることは一つ、何もかも全部変わったって事くらいだ。 ……うちのゴミカスクズ親父も含めてな」

「あいつが……?」


 兄貴が話題に出した瞬間、俺の脳裏に見たくも無いツラがよぎる。 家族よりも金と面子が大事だったクソ野郎のツラが。


 俺の必死な言葉よりも、有象無象が囃し立てた無責任な言葉を信じたクズ野郎のツラが。


「会いたくないなら別に無理にとは言わない。 お前が親父に会いたくない訳はよく知ってるからな」

「……いや会うよ、ここで会わなきゃもう一生会うことも無い」

「そうか」


 本当なら会ってやる義理なんて一切無い。 だが、理由のある嘘しかつかない兄貴の言葉と、何時死ぬかも分からない己の現状が、普段だったら絶対に行わない選択へと踏み出させた。


「……っ」


 自分でも馬鹿なことをやろうとしていると思い、ふと視線を動かすと黙って俺をジッと見つめるリーリアの姿が視界に入る。 そして彼女が何を言わんとしているか察すると、電話を切ろうとしていた兄貴を引き留めた。


「待ってくれ、俺の代わりに実家へ連絡してくれるんだろ? だったらもう一人分の寝床と飯を用意するよう伝えてくれないか?」

「ああ? なにぃ!? テメェこの野郎! 女の自慢かこんちくしょう! 俺にはまだ一人も靡かねぇのに!」

「兄さんは頭が良いからいつか寄ってくるさ。 それより言伝頼んだよ」

「ぺっ」


 俺とリーリアの仲がどうなのかも知らず、兄貴は一方的に嫉妬の感情をぶつけてくると、当初の態度を一転させて電話を切った。


 ここまで言う必要あるかと内心苦笑しながら俺もスマホを懐に収めると、改めてリーリアの顔を見やる。


「ありがとうレイジ君」

「礼はこっちが言うべきだリーリア。 俺一人で帰ったら、最悪親父を殴り殺してしまうかもしれないからね」

「そう……なんだ……」


 望まずに両親を失った彼女には決して理解できないであろう感情。


 それを何とか押し殺し、俺は黙々と帰省の準備を始めた。


 二度と帰らないと誓った故郷の風景を、静かに思い起こしながら。

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