第38話 ~不意からの接触~

「君はどうして、五体満足のまま生きていられるんだ?」


 暖かな闇の中で一人、音も無く浮き沈みする俺の頭の中に、クマさんから受けた問い掛けが木魂する。 もっとも、誰に何と問われても俺が返す答えは変わらない。


「そんなこと知るわけねぇだろ……なぁ?」


 同意を求めて言葉を投げかけた先には当然誰も居はしない。 だが、俺にだけはハッキリと存在を感じ取れる。


 人様の身体に根を張っておきながら未だ行動を起こすことなく、ただそこに在り続ける樹木の気配を。


「何故俺を殺さない? 何故表に出てこない?」


 殺ろうと思えばひと思いに殺せるだろうに何故だと、おまけに質問を投げかけるが当然答えなど返ってこない。 唯一奴から与えられるのは、一個体の生命が決して与えられるべきではないもの。


 他人がそれを知れば心底羨み、妬み、そして恐れるであろう圧倒的暴力。


「俺は奴に一体、何を求められているんだ……」


 夜明けに向かうに従い薄まっていく夢の中で、俺は自分の両肩を抱くようにして丸まりながら自問し続けた。


 ――やがて、虚ろだった意識は明瞭に晴れていき、ぼんやりと歪んでいた視界が徐々に像をを結んでいく。 深い呼吸を繰り返し、安心しきった表情で無防備に眠るリーリアの姿を。


「……ぅぉ」


 その瞬間、俺は自分が昨日どんな状況で眠ったのかを思い出し、反射的に出そうになった間抜けな声を何とか押し殺す。


 昨晩、彼女に不快な思いをさせないよう念入りに距離を取り、ベッドの端で眠っていたはずが、俺の身体はいつの間にかベッドの中央にあり、リーリアの身体と完全に触れ合っていた。


 夢の中で自分の両肩を抱くように伸ばしたはずの腕は、片方はリーリアの枕にされ、もう片方は彼女の背中に力無く回っている。


「どうなってるんだ……俺は……」


 確かに背を向けていたはずだと自問し、咄嗟に身を離そうとするも眠ったままのリーリアがそれを許してくれない。 俺の胸板に顔を埋め、抱きつくような姿勢でぐっすりと眠っている彼女が。


「信じてくれるのは嬉しいんだがね……」


 これも彼女なりの信頼の表現の一つなのだろうと納得しようとするが、豊かな胸を遠慮無く押し付けられては流石の俺でも意識せざるを得ない。


「完全に聖域だと思われてるのか、それとも雄とすら認識されていないのか」


 年頃の女性が見せるべきで無いあまりに無防備な姿勢に、呆れ半分愛おしさ半分の複雑な心境になりながらも、俺は彼女の頭を優しく抱き返し、金色のしなやかな髪を指で梳いてやった。


 下手すれば完全にセクハラだろうと内心思いながらも、彼女に解放されない以上どうしようもないと言い訳しつつ、俺は何気なくリーリアの髪を梳き続ける。 しかし、弱肉強食の世界で生きてきたのは伊達では無いようで、枕にしていた俺の腕が微かに動いたことに勘付いたのか、彼女は微睡む様子など一切見せず反射的に瞼を開いた。


「……レイジ君?」


 大きく見開かれた蒼く冷たい眼差しは、俺の顔を認識すると同時に柔らかくほぐれ、感情的な光を取り戻す。


「えへへっ……、おはよう」

「ああおはよう。 よく眠れたかい?」

「うん、でもまだちょっと眠たいかも……」


 俺の腕の中に収まったまま、リーリアはイタズラっぽく笑ってみせると、さらにギュッと身体を近づけて顔をすり寄せてくる。


 限りなく近い距離で互いに意識し合っているにも関わらず、一切淫靡な雰囲気を感じない触れ合い。 それは男女の仲と言うより、親子の親愛の示し方にも似ている気がした。


「今日は別に急ぎの用事も無い。 君が望むならこのまま何もせずのんびりしててもいい」

「本当? じゃあもっとギュッてしてても大丈夫?」

「俺の身体なんて別に減るもんでもないからな。 これで君が喜んでくれるならいくらでも貸してやる」


 嬉しげに上目遣いに見つめながら問い掛けるリーリアへ俺は自分なりに微笑んで見せながら頷くと、対するリーリアは俺の腕に自身の腕を絡め、遠慮無く手を重ねてくる。


「お……おいリーリア……」

「気にしなくて大丈夫、私だって大人だから平気だから」


 群れによる一方的な迫害や被害妄想的な嫌悪を一身に受けてきた俺にとって、一線に近づいた異性間の親交の経験など当然無く、打算や罰ゲームなど意固地の悪い意図が隠されていない好意にどう応えていいか分からず戸惑うばかり。


 このまま為すがままでいればいいのかと、少しずつ歯車が狂い始めた頭でそう考え始めた矢先、不意な方向から感じた視線が俺を冷たい現実へと引き戻す。


「覗きとはあまり良い趣味じゃ無いな」

「えっ? 嘘? ヤダァ!」


 誰かに見られていたということに一切気付いておらず、恥ずかしさのあまり毛布の中に隠れてしまったリーリア。 そんな彼女を俺はやんわりと部屋の外へと逃がしてやりつつ、真っ暗なPCの画面を睨みつつ苦言を漏らすと、電源が入ってないはずの電子機器の中からアルケニーの無機質な声が響いてきた。


「別に意識した訳ではない。 君ら有機体の肉体的接触など、私のような電子生命体から見れば無駄この上ないことだ」

「はぁそれで? うちの裂け目を見てくれているはずのお前がどうしてここにいるんだ?」

「君の自宅にある次元亀裂の向こう側でなにか騒動が起きている。 実体が無い以上私には手に負えん。 様子を見てくれないか?」

「……どうせ行かなきゃモコモコが騒ぎを大きくするんだろ? 行けばいいんだろ行けば」


 はなっから拒否権など期待してなかった。 手早く面倒事を終わらすべくさっさと身支度を済ませると、ご丁寧にもこの場にいないモコモコが開いてくれた次元亀裂を通り、なつかしの我が家へ帰り着く。


「待ってレイジ君! 何が起こってるの!?」

「俺にも分からないさ」


 偉そうにしている連中が総じて報連相が出来ないことを大いに嘆きつつ、俺はリーリアの到着を確認すると、俺のPCに宿っているアルケニーに合図し待った。


「いいぞ、さっさと開けろ」

「了解」


 待っているのは魔物か、それともあの場で死ななかった権力者が放った追っ手か、何かしらの攻撃が来るのを覚悟しながら、俺はリーリアより前に立って拳を握る。


 だが、開ききった亀裂の先の光景を見て、俺は驚くより先に困惑してしまった。


「……リーリア、誰も知らないんじゃなかったのか?」

「わ、私にだって分からないよ!」


 問題なく繋がったリーリアの自宅。 そこで俺達を待っていたのはローザ婆さんと、彼女に率いられた多くの老若“男”女。


 最前列でどかりと腰を据えた老女は、困惑する俺達や周囲を置いて一人ふてぶてしく笑っていた。

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