第35話 ~無知の幸せ~

「リーリア、本当に後始末をしなくてもよかったのか?」


 中枢から脱出する際、屋敷の隠されていた区域を解放したまま去ってしまったのが気掛かりで、思わず俺は問い掛けるも、彼女は首を横に振って心配ないと言い聞かせてくる。


「ローザ御婆様に手紙を置いていったから多分大丈夫。 きっと私よりも皆へ丁寧に説明してくれると思うから。 それに今は貴方の身体の方が優先よ」

「心配してくれるのはありがたいが、君の立場はどうなる? 無責任だと責められないか?」

「うーんそうねぇ……、もし帰れなくなってしまったらレイジ君のお家に住んでも良い?」

「いやそれはちょっと待ってくれ! もっと年頃らしく慎みを持ってくれよ!」


 リーリアも当然知っていると思うが俺の家は狭い。 野郎一人が最低限文化的な生活が出来る程度のスペースしかない。 正直な話、年頃のお嬢さんを招くにはあまりにみっともない住まいだと自分でも思っている。


 しかしリーリアはイヤな顔一つせず、慌てる俺の顔を見つめながらクスッと笑って見せた。


「ほら、こんなところでお喋りしてないで帰りましょ? きっとみんな待ってる」

「いや帰るったって、この身体でまたクマさんのクリニックまでジャンプして行くのか?」


 無事リーリアの家まで辿り着いた俺の視線の先にあったのは、いやになるほど見慣れた俺の借家。 つまりここから迅速にクマさんのクリニックに辿り着くには、また俺に宿った殺人植物の力を借りなければならない。


 そんなことをやって大丈夫なのかと今さら戦慄するが、窓の中から響いてきた厳かな声が俺のネガティブな思考を遮る。


「心配するな、私が直接送ってやろう」

「……何だって?」


 俺が思わず問い返した矢先、不可視の魔力が俺達を捕らえると有無を言わさず無理矢理窓の中へと引っ張り込んだ。


「うおっ!? アンタ一体どうやって?」

「私を誰だと思っている? この程度の小細工など楽なものよ」


 別世界にいた俺達にまで楽々と介入してみせたのは、今回の騒動の発端であるモコモコ。


 俺から自然と染み出す魔力を介して状況を察したのか、そのお節介な毛玉の龍は、自前の膨大な魔力を使って俺達を直接クマさんのクリニックへと放り込んだ。


 当然、クリニックの従業員達に取っては寝耳に水で、異界人用に隔離されていた病棟入り口に突然俺達が落ちてくると、誰がやったのかを即座に理解した受付係がカリッカリに怒り出す。


「ちょっとモコモコさん! 事前通告のない転送は事故の原因だからやめてって言ったでしょ! あなた前もトラブルになったの忘れたの!?」

「急患だ、一刻を争う」

「そうやって熊沢先生に全部押し付けるのやめてちょうだい! ここにはちゃんと他の先生だっているんだから!」


 一切反省の色を見せないモコモコの態度を見てさらに怒り出す受付係。 病院という空間には似つかわしくない怒鳴り声は、病棟の奧に引っ込んでいたクマさんを表に引っ張り出すには十分だった。


「あぁ毎度毎度迷惑かけて申し訳ない。 これも私の意思疎通が足りなかったのが原因だ」

「先生が謝る必要なんてありませんよもう! 悪いのはあの非常識な毛玉なんですから」


 何の落ち度もないクマさんが謝ってくること自体に腹が立ったのか、受付係はひとしきりクドクドと喋り倒すと、さっさとオフィスの方へ引っ込んでしまった。


 騒音の源が去ったことにより再び静寂に包まれる院内。 だがそれも、我に返ったリーリアが悲痛な声を上げながらクマさんに縋り付いたことで破られる。


「クマさんお願い! レイジ君を診て上げて!」

「……おいモコモコ、一体何があった?」

「彼女が一旦帰りたがっていたから送迎してやっただけだ。 それ以上の干渉はしていない。 詳しくは当人に聞いてみろ」


 全く事態を把握出来ず、クマさんは困惑を露わに問い掛けるが、モコモコはその方が早いと言わんばかりに俺へ説明を押し付けた。 もっとも、最初から自分で説明する気だったので別に気分を害したワケでは無かったが。


「俺の身体の中に何かいる。 こいつを引っこ抜けないか調べて欲しい。 多分、ナターシャの中に入ってた奴の近縁だと思う」

「何だと?」


 俺の話を聞いた途端、今まで気怠げだったクマさんの顔付きが豹変する。 その辺でも見かけるような気の良いおっさんから、患者を預かる一人の医者の顔へと。


「帰って早々悪いが検査に入って貰う。 場合によってはすぐに摘出を行うが構わんな?」

「えっ? そりゃ別に問題ないけど……」


 あまりの態度の急変に俺は思わず気圧されてしまうが、クマさんは構わず手近の看護士に指示を飛ばしながら、病棟の奧へと足早に消えていく。


 何がクマさんを急かさせてしまったのか、それらを全く理解できないまま、俺は集まってきた看護士達の言うがままに検査室に引っ張り込まれた。


 ただ唖然として立ち尽くすリーリアを、一人受付に残して。

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