第29話 ~微かな死臭~
「リーリア、あの真っ黒で馬鹿デカい木はなんだ?」
「あれは黒鉄檀って言って、鉄を作る為に必要になる木よ」
「じゃあ、あの枝先が垂れ下がってるデカい木は?」
「あれは雨垂柳って言って、沢山の水を貯め込んでいる木」
年甲斐も無く好奇心の導くままに周囲を見渡しながら、アレは何だコレは何だと尋ねる俺に、リーリアはイヤな顔一つせず答えてくれる。 そこそこの付き合いの中で、互いの常識の違いを分かって貰っていたのが幸いだったのか、彼女の説明はとても簡潔で丁寧だった。
「どう? 生まれて初めて別の世界に渡った感想は?」
「どうって……、驚くようなことばかりさ。 こんなこと経験したのは地球上じゃ俺しかいないだろう」
頑丈な枝の上を二人並んで歩きながら、俺は木々のささめきが響いてくる遙か頭上を見上げる。 満足に青空こそ窺えないものの、葉の間からは眩い木漏れ日が差し込み、鬱蒼とした森の中を明々を照らす。
地球上でも見られるような凡庸な表現だが、スケールの大きさが桁違い過ぎる。
たった今踏み締めている枝は幹線道路よりも太く大きく、木漏れ日が差し込んでくるのは地球上の雲よりも高く感じるほど遙か頭上。 おまけに枝の端から下を覗くと、比喩では無く本当に地面が見えない。
地球上の常識など一切通用しない圧倒的な自然の力と雄大さを前に、俺はただため息をつくことしか出来なかった。
「しかしこれだけ広いと、君ら現地人だって分からないことも多いんじゃないか?」
「そうよ。 あの梢の先に広がる空が何処まで続くのか、この木が根ざす奈落の底に何が転がっているのか。 私だって気にも留めなかったし考えたことも無かった。 だって今まで恐ろしい化け物を相手にするのに必死でそんな余裕も無かったから」
「脅かすように言うわりには、化け物どころかその痕跡だって見当たらないが……」
「私がこの手で狩り尽くしたの、この近辺で人を常食にしていた奴等はね」
「君が? たった一人で?」
失礼な話だが、俺の目の前にはハンターであることが未だ信じられない可憐な少女一人いるだけ。 彼女の言うことがにわかには信じられず、真顔になって問いかけるが彼女は変わらぬ笑顔で応えてくれる。
「貴方が教えてくれた文字のおかげよ。貴方が授けてくれた知識が、死ぬはずだった大勢の人々に未来をくれたの」
「あまりおだてるなよ、俺が大したことある人間だって勘違いしちゃうだろ」
人に褒められた経験があまりに少ないせいで、俺は思わず顔が赤くなるのを感じながら、リーリアの純な瞳から思わず目を背けた。 彼女の言葉に嬉しいという感情を抱いたことも事実だが。
「それで、死ぬはずだった大勢に会う前に俺がやるべき立ち振る舞いを教えてくれ。 俺にはこの世界での常識が分からない」
「そうね……、まず誰かに話しかけられても応えちゃ駄目。 そして理性があるように振る舞っちゃ駄目。 貴方の世界で言うとロボット?見たいに私の命令通りに動いて頂戴」
「だが人前だったらどうする? いちいち話しかけてたら君が怪しまれるぞ」
「心配しなくても大丈夫、この時の為に新しい術を作ってたから」
俺が抱く懸念を予想していたのか、リーリアが呪文を口ずさみながら軽く二度ステップを踏むと、彼女の小指と俺の小指から赤い紐のような形状の魔力が伸び、固く結ばれる。 その瞬間、彼女の声が頭の中に響き始めた。 まるで耳元で囁かれているようにハッキリと。
「これは……」
「この世界では私しか使えない思考伝達魔法。 他者には見えないこれで繋がっている限り、私と貴方の間だけではいつでも意思疎通が出来る。 誰にも傍受されないから遠慮はいらないわ」
俺が問いかけるより先に疑問に答え、ふふんと自慢げにリーリアは笑う。 しかしそんな彼女の穏やかな表情と裏腹に、俺の脳内に直接注がれる言葉は至極淡々としていた。
「そして二つ目は、ここに住む人間を甘く見ないこと。 貴方が考えているほどこの世界で生きている人間は弱くない。 自分の見えるところだけで物事を考えると、いつか足下を掬われるわよ。 相手を甘く見て勝手に死んでいった素人連中と同じように」
「……肝に銘じておく」
子供のような無邪気さと同居する、殺しを生業とするからこそ冷徹さ。
普段の言動からかけ離れた彼女の心を垣間見て、微かに俺は畏れを覚えた。
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