第27話 ~揺らぐ窓を越えて~
「リーリア、コンビニにちょっと買い出しへ行くが足りない物はないか?」
「……うん」
「リーリア、食器は俺が片付けておくから先に風呂入ってていいぞ」
「…………うん」
「リーリア、疲れているなら早めに寝るんだぞ」
「………………うん」
ナターシャとの話が終わって以来、リーリアの様子がおかしい。 普段、体調が少し悪くとも空元気で笑顔を見せようとする彼女が、周囲への興味を全て失ったかのように無表情のまま、窓の外に広がる荒涼とした大地を黙って眺めている。
「一体どうしたんだ? あいつと話して何か気になることでもあったのか?」
「……えっ? あぁ大丈夫! 本当に何でもないから!」
俺からの問い掛けにもどこかうわの空で返した彼女は、話している間だけ普段の調子を取り戻すが、すぐにまた窓の向こうへ視線を向け、思い詰めたようにため息をつく。
しかし、彼女が憂鬱になる気持ちは分からないでも無かった。 ナターシャによって語られた支配者層の腐敗と暴虐。 それは、弱肉強食のシビアな世界に生きる彼女にとって、とてもじゃないが認められるようなことでは無かったのだろう。
それを証明するかのように、時折リーリアの表情が険しく歪むのを俺は見逃さなかった。
「リーリア、君が何を考えているのかはあえて聞かないが、あまり根詰めて考え込むのは良くないことだ。 話す決心がついたらでいいから、いつでも俺に相談してくれ」
「うん……、ありがとう」
自宅から遠く離れた土地である以上、気軽に帰ることすらままならない。 ならばせめて話し相手に徹してやろうと、俺は彼女へぎこちなく微笑みかける。
「それに今日はもう遅い。 一晩しっかり眠ってまた明日ゆっくり考えてもバチは当たらないだろう」
「貴方の言う通りね、でも今は何となくこうしていたいの」
「……分かった、でも遅くならないうちに寝るんだぞ」
夜更かしは何の得にもならないと一言付け加え、俺は先に個室兼寝室へと引っ込んでいく。 モコモコからは寝室は一つでいいだろうと冷やかされたが、俺とリーリアはそんな仲ではない。
勿論、彼女を信頼はしているし、共に行動していて悪い気分はしないのは事実。 しかしそんな気持ちを軽々と挽き潰してしまうほど、俺の心に潜む恐れは重く大きい。
「こんな非日常が延々と続くはずが無い。 いつか離ればなれになる時がきっと来る」
深入りすればするほど、在るべき日常へ引き摺り出された時の傷は重いだろう。 だから自分を守るために一線を引く。 これは、リーリアと一緒に行動し始めて早々に決めたことであり、多くの世界と繋がり始めた今も変わらない。
「寝る前に、軽く復習でもやっておくか」
らしくもなく少しセンチになってしまった気分が落ち着くまでの間、俺はリーリアに教えられた通りに体外へ魔力を放出し、周囲の地形に沿って動かしてみる。
すると昨日と同じく、誰にも説明しがたい不思議な感覚が再び、俺の脳に刻まれ始めた。
おまけにリーリアのキツい指導が功を奏したのか、今回は全く疲労を感じない。
「凄い、俺という存在が拡大していくのを感じるぞ!」
急激な疲労に脅かされる心配が無くなった今、俺は真の意味での第六感がもたらす感覚に眠る予定だったことも忘れて没頭していた。
「今の俺ならどこまでいけるんだ?」
部屋一杯に広がった自分の感覚を楽しみつつ、今度はドアが仕切る向こう側を認識してみようと、広がった感覚を自分の意志で集約させて思い切り伸ばしてみる。
どこまで己という感覚を届かせられるかという、ほんの小さなチャレンジのつもりでドアの隙間から遠くを目指した。
――その時だった。 全身が余さず爆発したかのように感じたのは。
「…………んぎいいあああ!?」
伸ばした感覚を介して頭を殴られるような衝撃と凄まじい圧迫感を感じ取り、俺は思わずベッドから転げ落ちた。
たった一瞬の出来事だったが、脳を焼かれていると形容しても過言ではない痛みはたちまち五感へ伝播し、そのまま昏倒へと叩き込もうとする。
しかし、今の俺はそんなものであっさり倒れられるほど繊細ではない。
「ふざけやがって、あの野郎!!!」
伸ばした感覚が微かに感じ取った何者かの気配。 それが誰なのかを察すると俺は急いで跳ね起きて遠慮無く扉を蹴破った。
「おい毛玉トカゲ! 人様の事情に干渉して何をやってやがる!」
今にも膝から崩れ落ちそうな激痛に必死に耐えながら、俺はリーリアの視線の先にいた化け物を怒鳴りつける。
そこには俺が察した通り、モコモコが視認可能なほどに濃密な魔力を溢れさせて佇んでいた。
だが、全てを圧倒する存在であるモコモコが俺相手に動揺を示すはずも無く、こちらを一瞥だけですぐにリーリアの方へと視線を戻してしまう。
「無視すんなよ! 何をやってるかって聞いてるだけなんだこっちは!」
「彼女の要望を聞いてやっているだけだ。 君が土足で首を突っ込む資格は無いし、私も後ろめたいことをやっているつもりなど無い」
「リーリアのだと!?」
思わず問い返すも束の間、モコモコが生み出した次元断層が俺の家の居間に直通するワームホールと化し、その中へリーリアを招き寄せていく。
「待ってくれリーリア! どういうつもりなんだ!?」
「ちょっと知り合いの様子を見に行くだけ。 心配はいらないわ」
「見に行くだけって……、よすんだ! 考え直せ!」
刺客であるナターシャが飼い主の元に帰らなかった以上、先方も何らかの手を一つや二つ打っているはず。 否、ナターシャの言っていた通り性根の腐った輩が小細工を仕掛けないはずがない。
そして、歴戦のハンターであるリーリアもそれが分からないはずが無い。
「駄目だリーリア! 行くな!」
また弾き返されるのがオチだと分かっていても、俺は彼女を追って亀裂の中に飛び込むと、窓を超えていく彼女の背へ必死に手を伸ばした。
身体の内で育ち始めた魔力の芽が、モコモコとはまた違う絶対者の気配を捉えたをのしっかりと感じながら。
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