第26話 ~無垢なる衝動~

「熊さん、本当にもう話しても大丈夫なのか? 昨日の今日の話だぞ?」


 モコモコからの知らせを受けた僅か一日後、熊さん本人からの掌返しのような連絡を受け、俺は思わずスマホの内カメラを睨み付けるが、液晶の向こうにいる筋骨逞しい医者は一切怯まず、それどころか余裕綽々に笑みまで返してくる。


「特別病棟に満ちる魔力が彼女の身体に良かったようでね、通常より早く治癒が進んでいる。 直接的接触はまだ許可出来ないが、モニターを通じての会話なら然したる問題は無い。 それに彼女も君らと話したがっているからちょうどいいだろう」

「何だと? あいつ一体何を企んでいる? まさかこっちを呪殺する気じゃないだろうな?」


 もう二度と会いたくないと言われて当然の暴力を叩き込んでやった以上、再会など望まれるはずがない。 何か裏があるはずだと俺は反射的に勘ぐるも、熊さんの冷静な態度は変わらなかった。


「モコモコの監視の下で話をさせるから安心しろ。 今の彼女には呪いで他人を害することも、自殺をすることもままならない」

「それも偉大なる種族ならではの力って奴か?」

「いや、慣れれば誰でも使える魔法らしいぞ」

「簡単に言ってくれやがる」


 得体の知れない輩一人ならともかく、信頼出来る人物を二人も挟んでいる以上、疑うのは彼らへの非礼にも当たる。 ともなれば、やるべきことは一つしか無い。


「リーリアどうする? もし不安なら俺一人で話をつけるが」

「ううん大丈夫、私が原因で招いてしまったようなものだもの。 それに私だって聞きたいことがあるんだから」

「……分かった」


 リーリアが自分の意志で知ることを望む以上、俺にとやかく言う資格はなく、黙ってカメラ越しに手振りで熊さんに促すと、向こうもPCの操作を開始する。


「回線をそのまま彼女の方へ回す。 あまり事を荒立てないようにな」


 言動こそ穏やかだが、自分の患者へのおイタは許さないという確固たる意思表明。 それに対して俺は軽い手振りで了承の返事をすると、スマホの画面に映っていた景色がガラッと変わった。


 熊さんに変わって画面の中に現れたのは、全身に管を差された挙げ句、体表の大部分を未だ包帯に覆われた一人の女。 彼女は物珍しそうにモニターを覗き込むと、俺とコミュニケーションが取れることを喜ぶように目を細める。


「命を拾われるのみならず、まさか言葉を交わすことを許されるとはね。 まさか私に惚れたかい?」

「勘違いするなよ、俺達はお前に聞きたいことがあるだけだ」


 軽く冗談めかして吐き付けられた質問に俺が睨み付けて辛辣に返すと、女は楽しげにころころと笑う。


「そう怖い顔をするな。 君らには命を救われた恩がある。 知っているだけのことは答えてやろう。 ……それと名を教えていなかったな。 私の名はナターシャ、人知れず使い潰され闇に消える定めにあった哀れな女よ」

「いまさらテメェの名前なんてどうでもいい。 何故この子を今さら襲ったのか聞かせてみろ。 長年放置されていた狩りが、何の理由も無く再開するはずがない。 別にお前の独断でもないんだろう?」


 お遊びのために話の場を設けて貰ったワケじゃ無い。 ナターシャと名乗った栗毛の女にペースを持って行かれないよう、細心の注意を払いながら俺は詰問する。


 するとナターシャは驚くほど淡々と、住んでいる世界の事情を零し始めた。


「下等な民衆に慈悲深くも許可されている技術と魔法だけでは、決して狩られないはずの強力な魔物達が狩られた。 それもたった一人の小娘によって、短い間に何十匹もな」

「それがなんの理由になる? 人を襲う害獣が山ほど狩られたのなら逆に喜ぶべきだろう。 何ならトロフィーや感謝状をくれてやっても……」


 ナターシャがおもむろに視線を動かしたのに釣られ、俺も反射的にリーリアの横顔を視界に入れるが、紡ごうとしていた言葉を思わず飲み込んでしまう。


 俺が見てしまったのは、心の底まで冷え切ったようなリーリアの眼差し。 日常生活という鞘の中に収められていた彼女の殺気は、命のやり取りとは無縁の環境に生きる俺の喉元にも容赦なく突き刺さり、会話の軸を無理矢理シフトさせた。


 もっとも、ナターシャはそんなプレッシャーにも慣れているようで、気後れせずリーリアを正面から見つめかえしながら嘯く。


「貴族共が喜ぶはずもない。 下等共の“適度”な繁栄を維持するために繁殖させっぱなしだった天然の防壁が、いとも容易く食肉へと変えられ始めたのだから」

「……どういうことか説明して。 私が納得出来るように」


 ナターシャの言葉を聞き込んでいくにつれて、リーリアの表情が歪んでいく。 普段の可愛らしい顔の面影を窺わせない無いほどに。


 だが、それを真正面から見せ付けられてもナターシャは一切怯まず、リーリアが望む事実を紡ぎ続けた。


「端的に言うとな、君を含めた民草は家畜でしかなかったのだよ。 たった一握りの貴族共のくだらんプライドを満たし、贅肉で弛んだ身体をさらに肥やすためにな」

「ほんの数日前、問答無用に殺しに来た当人がベラベラと舌を回すじゃないか。 一体どういう魂胆だ?」


 度を越した殺意を醸し出したリーリアを落ち着けるため、俺は身体ごと割って入りながら、こちらからの疑問をぶつけてやると、何も今さらと言わんばかりに笑う。


「魂胆も何も、私を枷から解き放ってくれたのは君達だろう? 以前ならばこんな話をした瞬間、私の身体は例のあれに内側から食い破られていた。 見た目ばかりが小綺麗なクソ袋共に癇癪で殺される心配が無くなった以上、私が連中の傀儡を続ける理由はない」

「随分と狭量なんだな、お前の飼い主とやらは」

「貴族様の考えることなんて何処も同じ。 この世界でもそうなんだろう?」

「……まぁな」


 クソな飼い主から未来永劫解放されたことが余程嬉しかったのか、満身創痍のはずのナターシャの機嫌は、リーリアの感情と相反するように落ち着いていた。 それが気に食わなかったのかは知れないが、リーリアはムスッとした表情のまま問う。


「それで、貴女こそこれからどうするつもりなの? うちに置いてなんてあげないわよ」

「さてね、明日より先の未来を考える権利なんか今までずっと無かった。 それがいきなり自由なんて言われても正直な話、立ち尽くすばかりだよ」

「ならば、我らの共同体で平時に生きる術を学ぶといい。 ここには君と同じ立場の人間が数多くいる。 ただ漠然と時間を潰すよりずっと有意義なはずだ」

「喜んでお言葉に甘えさせて貰おう。 今の私に残された選択肢はあまりに少ないからな」


 画面の向こうから横合いを入れてきたモコモコの方へ身体ごと向き直り、ニコニコと笑うナターシャ。 だがその瞬間、俺もリーリアも言葉を失った。


 ナターシャの膝から先が、引き千切られたように消えている。


「アンタ……その足……」

「気にするな、本来なら呪いが発現した時に死んでいる身だ。 この程度に済んだだけ幸せに思わなければな。 ……きっと、これはクズの走狗として生き続けてきた私に下された罰なのだろう」


 自分自身を嘲笑うかのように太ももを撫でながら、ナターシャは俺達の顔を見てまた笑う。


「どうした? 命を奪いに来た輩が悲惨な目に遭ってるんだぞ? 手を叩いて喜べばいい」

「悪いが、人様の不幸事を腹を抱えて笑えるほど人間堕ちちゃいない」

「……そうかい、優しいな君達は」


 今の自分の姿を笑わず、いたわりの情を向けられたことに何か思うことがあったのか、ナターシャは暫しの間考え込むと、リーリアに向けて穏やかな口調で切り出す。


「忠告しておこう。 さっきの話を聞いて腹立たしいと思っても馬鹿正直に正面から殴りに行かない事だ。 奴等は自分の命と面子の為ならなんだってやる。 自分の短期的利益のためなら、大勢の未来を切り捨てることだって厭わないだろう。 やるならこっそりとやるんだ。 私が君達を害そうとしたようにな」

「誰もやるって言ってないでしょ?」

「そういう顔をしていたからね。 ただのお節介だよ」


 下手するとそのまま飛び出して行きそうだったリーリアに、しっかりと言い含めるナターシャ。 彼女は元は自分の標的だった少女の感情が多少収まったのを見届けると、それじゃまたねと言い残し、通信を切ってしまった。


「リーリア……」

「ううん大丈夫、私は大丈夫だから」


 真っ暗になったケータイの画面を見たまま動かないリーリアを気遣うように、俺はおずおずと話しかけると、彼女は見た目こそいつもの調子を取り戻して応えてくれる。


 しかし、その大きく無垢な瞳の中にどす黒い何かが渦巻いているのを、俺は確かに見てしまった。

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