第25話 ~流れる汗~

 リーリアが見守る前で、俺は座禅を組みながら深く精神統一をする。 身体の内側から時間をかけてゆっくりと、循環させていた魔力を体外へ染み出させ、周辺の地形に這わせていく。


 そこにアニメや漫画で見るような魔法の煌びやかさは一切なく、ただ地味で、長く、辛いだけ。


 まるで重い負荷をかけてゆっくりと筋力トレーニングを行っているようなキツさが、俺の精神を掻き毟る。


「ぐっ……」

「はい大丈夫落ち着いて~、体外に一旦放出した魔力をまた吸収して~」

「了……解……」


 お手本として、俺が行っている魔力操作を呼吸するように行うリーリア。 そんな彼女の前で俺は額から滝のような汗をぼたぼたと流し、やっとのことでそれらの動作をやり遂げ、突っ伏す。


 身体自体は一切動かしていないものの、全身に溜まった疲労は紛れもなく本物だった。 長い坂を全力で駆け上がった後のように、俺はぜえぜえと荒く息をしながら壁にもたれかかる。


 身体をただ動かすのと勝手が違い、俺の世界では誰も有さなかったであろう未知の感覚だけが頼りの世界。 限りなく0に近かったものを1にすることがどれだけ辛いのかと身を以て知らされながら、俺は軽々と魔力を操るリーリアを見上げた。


「はい、午前中の訓練はここまで。 そろそろお昼にしましょ? ずっと気を張ってたら身体に毒だわ」

「もうそんな時間か……、長々と付き合わせてしまって申し訳ないな」

「気にしないで、私が好きでやっていることだから」


 そう言いつつ彼女が指先をくるくると動かすと、冷蔵庫代わりの魔導絡繰の中から今日の昼飯であるサンドヴィッチが勢いよく飛び出し、問答無用で俺の口の中へねじ込まれていく。


「んがぬぐぐぐ……!?」

「はい、ご飯を食べたら1時間程休憩してまた続きね。 最初の辛いところを乗り越えたら楽しいことが出来るようになるから頑張って」

「ふ……ふぁい……」


 言葉が柔らかかったり、飯を食って消化する時間こそくれるとはいえ、正直かなりのスパルタである。 もっとも彼女の感覚ではこれが当たり前であるようで、半分グロッキー状態になって突っ伏した俺のそばに不思議げな顔をして近づいてきた。


「どうしたのレイジ君? 貴方らしくないわよ?」

「あーお気になさらず、慣れればなんとかなるから……多分……」


 恐らく、この地上で誰も通したことのない感覚を酷使しているためか、既に普段のトレーニング以上に精神的に疲れ切っている。 だがそれでも、俺はこのキツさに屈服するつもりはなかった。


 誰もが子供の頃に憧れたであろう架空の力。 それを現実に出来るかもしれないという期待は、自分でも驚くほど大きなモチベーションとなって俺を支えていた。


 ただ、教える側のリーリアに取ってはまだまだ納得できない点が多々あるようで、彼女は自ら生み出した小さな魔力の球を指先で無意識に転がしながら、身体を横たえた俺の上から疑問を零す。


「でも、何で貴方に魔法の素養があったのかしら……」

「きっと、昔から魔法を使えた異界人がUMAや妖怪の類として俺の世界に潜んでいたんだ。 そいつらの血がちょっとでも混じってたと考えたら、不思議でもないんじゃないか?」

「そっか、そう考えれば別におかしくないのね」

「何分、他に思い当たるようなことはないからな。 君だってそうだろう?」

「あぁうん、私より頭の良い貴方がそう思うのなら、多分そうなんじゃないかしら……」


 確証こそないが、現状一番可能性が高いであろう予測を伝えると、リーリアは半信半疑といった様子でまた黙り込んでしまった。


 普段から神経質な俺と違い、多少細かいことは気にしなかった彼女が、この件に関してだけは何故かやたらと首を突っ込みたがる。 悪く言えば強迫的とも言えるその態度は、俺に軽い疑念を抱かせる。


「なぁリーリア、何故そこまでして理由を求めたがる? 初めて知る世界で偶然出会った男の人には、これまた偶然魔法の才がありました。 それだけで完結する話じゃないか?」

「それは……」


 俺からの問いへの答えを用意していなかったのか、リーリアは俺から目を背けてただ口を噤む。


「……言いたくないなら別に構わない。 ただ、いつか伝える決心が着いたら遠慮なく俺に教えて欲しい」

「うん……分かった……」


 訓練の時の溌剌とした様子と裏腹に、指をモジモジと絡ませながらしおらしく口籠もるリーリア。 当人は全く意図していないだろうが、その愛らしい仕草に俺は反射的に微笑んでしまう。


「レイジ君?」

「いや、今の君がとても可愛らしくに見えたからな」

「あー! もう子供扱いしないで。 私は大人! ちゃんと一人暮らししてる大人なんだから!」

「分かった、分かったから落ち着きなよ」


 褒められたのは確かに嬉しいが、そういう褒められ方はされたくなかったのか、リーリアはフクッと頬を膨らせてポカポカと俺の胸板を叩いてきた。 抗議のつもりでやっているのだろうが、これではじゃれ合いとなんら変わらない。 ならばこちらは頭を撫でくり回してやろうと手を伸ばそうとした。


 ――刹那、荒涼とした殺風景が広がる窓の向こうから突如迸った轟音の波動に張り倒され、俺とリーリアは無様に床に転がされた。


「うひゃあ!?」

「お取り込みの中大変申し訳ない」

「馬鹿野郎! 少しは体格の違いを考えろ! それにプライバシーは守るって約束だろうが!」


 部屋の中を無遠慮に覗き込んできたモコモコの大きな目玉に向かい、俺は怒鳴りつけながら手短に置いてあったティッシュの箱を投げつけるも、当然そんな物で一種の超生物を制することなど出来ず、デリカシーの無い超越者は構わず一方的に用件を押し付けてくる。


「例の彼女が目を覚ましたぞ」

「っ!」

「警戒しているようで何一つ喋ろうとしないが、意識自体はハッキリしている。 もっとも、元通りの生活を営むには長いリハビリが必要になるだろうが……」

「会えるのか?」

「今は面会謝絶中だ。 容体が安定次第、逹人殿がスケジュールを組んでくれるだろう」

「つまりそれまでここで缶詰ってことか……」


 欲しいものを目前にお預けを食らっているようで、もどかしい気持ちが胸の底から湧き上がってくる。 しかしここまで来た以上、今さら奴の身柄を押し付けて帰るつもりもさらさら無い。


「レイジ君、結局は私が原因の問題だから貴方が無理に首を突っ込まないでも……」

「いいや。 顔見知りを殺されかけた以上、俺にも色々と知る権利がある」


 自分が被害者であるにも関わらず、申し訳なさげに頭を下げるリーリアの姿を眺めながら、俺は静かに拳を握った。


 こんないたいけな乙女一人を嬲り殺そうとした顔も知らない輩へ、激しい怒りを募らせながら。

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