第23話 ~白き龍~
「えーと……、確かにここであってるはずなんだが……」
馴れない道と知らない土地を右往左往し、何度も迷子になりながらも、俺達は熊さんに指示された住所通りの場所へなんとか辿り着く。
そこに建てられていたのは、昭和の情緒溢れるこじんまりとしたアパート。 こんな物件が未だ取り壊されず残っていたのかと感心するも束の間、新たな疑問が俺の胸の中で燻り始める。
病院を出発する前、既に何十人もの異界人を受けて入れていると聞いたが、どれだけ多く見積もっても、そこまでの人数がここに入居できるとはとても思えなかった。
事情を聞き出すべく試しに管理人室の呼び鈴を鳴らしてみるが、当然のように返事はない。
「あの人が嘘をつくはずが無い。 無いはずなんだけど……」
どうしたものかと、俺はただ何気なくリーリアの方へ振り返ると、彼女がある一点をジッと見つめているのに初めて気が付く。
「どうした?」
「なんとなくだけど、強い魔力の気配を感じるの。 この世界に来てからは初めてよ」
「なんだって?」
困惑する俺を導くように、リーリアはアパートの奥まった所へ勝手に足を踏み入れていくと、暗い倉庫の壁にかけられていた大鏡に迷わず手を触れる。
「ここよレイジ君。 ここからとても強い魔力が溢れてくるのを感じる」
「それは分かったけど、この後俺はどうすればいい?」
この世界ではただのペテンに過ぎなかった魔法の扱いなど当然分からず、俺は見様見真似で鏡面に触ることしか出来ない。
すると、リーリアは俺の手の上から自らの手を重ね、鏡の方へ強く押し付けてきた。 微かな温もりが肌を通して伝わってくるが、流石に気恥ずかしさが込み上げてくる。
「リーリア? 一体何を?」
「大丈夫、私を信じて」
尚も力を込めようとするリーリアの手を俺は思わず退けようとするが、そうするより先に俺達の身体が鏡の中へ吸い込まれるようにすり抜ける。
「はっ……?」
壁が抜けたワケでも、鏡が砕けたワケでも無く、深い霧を引き裂くように俺達は何も無い空間を通り抜けると、勢い余って同時に床へ倒れ込んでしまった。
俺がリーリアを押し倒し、上から覆い被さってしまったかのような姿勢で。
「ひゃっ……」
「ごめん! 悪気は無かったんだ!」
反射的に顔を真っ赤にして目を背けたリーリアから、俺は慌てて飛び退くと頭を深々と提げて詫びた。
こんなつもりはない、俺が君を穢してしまうことなどあってはならないと、何度も何度も謝罪しながらリーリアの身体を抱き起こす。
「まぁなんだ、犬に噛まれたとでも思って忘れるんだ。 お互い忘れた方が良いことだってある」
「うん……大丈夫だから……」
しおしおと身を縮こませながら頬に両手を当てるリーリア。 そんな彼女に俺は照れ隠しに背を向けて、改めて入り込んだ空間を見渡した。
外の世界とは全てが反転した奇妙な世界を。
「なぁリーリア、君の世界にもこんな魔法はあるのかい?」
「私の知る限りでは見たこともないわ。 お貴族様達なら把握しているかもしれないけど、使えるとも思わない。 小さくても世界を創造できる魔法なんて、一体どれだけの魔力が必要になるのかしら」
私の世界に存在する魔力全てを注ぎ込んでも怪しいと、空気中に浮かぶ光の粒子を目で追いながら、リーリアは歩きざまに至る所を触れて回る。
「だが、誰も管理せずにこの凄い空間とやらが維持できるとは俺には思えない」
「貴方の考えは当たってるわ。 魔法による構造物は、魔力の供給が断たれ次第消滅を始める。 だからこういう時は、魔力の流れを遡っていけば術者のもとへ辿り着ける。 小賢しく魔法を使う獲物を追う時に必須の知識よ」
現実世界での関係がそっくりそのまま入れ替わり、俺はリーリアに言われるまま導かれるまま歩を進める。
“何も分からない”という彼女が覚えたであろう漠然とした不安を、噛み締めるように感じながら。
だがそれも、頭の中に直接流し込まれてきた思念によって遮られた。
「また新たな入居者とは。 この世界の神が何を考えているのか分からんな。 自分の箱庭を外来種に荒らされていいことなど無いだろうに」
「なんだこれは……テレパスってやつなのか!?」
「慌てないで大丈夫! あそこを見て!」
思わず頭を抱えながら狼狽える俺を落ち着かせるように、リーリアは俺の背に片手を添えると、もう片方の手で俺の目の前を指差した。
殺風景な空間に飾られるには場違いな、アンティークな雰囲気の窓の向こう。 そこに全身を長い体毛に覆われた巨大な獣の一部が映り込む。
何よりも強く、何よりも偉大な生き物。 太古の昔より地域を超えて言い伝えられてきた架空の超生命体。
それは優雅な仕草で鎌首をもたげると、鼻先をこちらに向けて正面から部屋の中を覗き込んできた。
「まさか、本物のドラゴンなのか?」
「……龍、ドラゴン、ワーム。 多くの者がそう叫んで我に怯えの感情を向けてきたよ。 ここまで物理的な存在の大きさに差があれば、仕方がない話かもしれないがな」
俺の問いに対し、ドラゴンのような生物は苦笑いのような表情を浮かべて美麗な髭を撫で上げる。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。 私の名は……」
「モコモコ!このこはモコモコっていうんだよ!」
「モコモコだと?」
大いなる龍が紡いだ言葉を突如遮るつたない声。 一体何事かと注視すると、彼の眉間の体毛の中から、様々な種族の子どもらがこちらの様子を伺っているのに俺は気が付く。
「名前はあるにはあるが定命の種族相手に名乗るには長くてね、子ども達から授かった名前で通している。 必要なら君達も遠慮無く呼びたまえ」
「まぁ……貴方がそれで良ければ……」
厳かな雰囲気を持ちながらも、常に穏やかな視線を向け続ける絶対者もといモコモコ。 彼は自分の体毛に埋まっていた子どもを念力らしきなにかで確保すると、そのまま俺達がいる部屋の中へゆっくりと下ろす。
「さぁ坊や達、私は彼らと大事なお話をするから親御さんらのもとへ帰りなさい。 こう頻繁にこちら側へ来てはご家族も心配するだろう」
「みなモコモコのことしんじてるからしんぱいいらないよ! じゃあつぎはらいおんまるのところにいくね!」
慈悲深き龍からの忠告など何処吹く風で、子供らは元気にさよならの挨拶をすると、別の遊び相手がいるらしい場所へと走り去っていく。 その小さくも元気な背中に名残惜しそうな視線を向けながら、モコモコは寂しげに零した。
「どんな生き物も、幼子というものは総じて愛おしいものだ」
「ちゃんと躾なければただの獣に成り果てるがな」
「それを防ぐのが、君のような教育者の端くれが成すべきことだろう?」
俺からの苦言をさらりといなしつつ眦を細めた偉大なる龍は、鼻先を窓のそばまで近づけると、語調を改めてテレパスを送ってくる。 絶対者としての威厳に満ち満ちた意志を。
「逹人殿から事情は聞いた。 面倒ごとが解決するまでの間、私が責任を持ってここで君達を守り抜いてやろう。 あくまで第三者の立場としてだがな」
全ての問題を無責任に解決してやるほど私は傲慢ではないと付け加え、モコモコが窓の向こうに形成されたワームホールの中へと消えると、今まで殺風景だった空間が人が住まうべきある程度文化的な部屋へと変成を遂げる。
圧倒的強者の掌の中で命を握られるという現状。
それは俺やリーリアの心の言い知れない不安感を積み上げさせていた。
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