第21話 ~燻る憎悪~

 異常に強化された肉体をフルに躍動させ、星屑が瞬く空を俺は跳ぶ。


 県境を抜け、海をまたぎ、目指すはアルカディアに記載されていた住所。


 真っ昼間だったなら間違いなく何かしらに目撃されて騒ぎになっていただろうが、夜だったのが幸いした。


「リーリア、スマホの矢印はどこを向いてる?」

「え~と、あっち! あっちよ!」

「あーうん、大丈夫だありがとう」


 とても感覚的な指示に内心突っ込みたい気分になったが、指を差された方向と横から盗み見たスマホの案内にほぼ違いはない。


 向かう先は、既に照明がほとんど消えて闇に包まれたベッドタウン。 そこからほど近いところにある、個人で開いているにしては規模がそこそこ大きな診療所。


 熊沢クリニックとデカデカと看板を掲げられたそこの駐車場へ勢いよく降り立つと、俺は時間外受付と書かれた呼び鈴を連打しながら叫んだ。


「もしもし先ほどネットで連絡した者です! 受け入れをお願いします! 早く!」

「そう怒鳴らなくても聞こえている。 どうやってここまで来たのか、今は聞かないようにしておこう」


 呼び鈴を押し始めて5秒もかからず顔を出してきたのは、ネット上で熊と名乗っていただけに、縦にも横にも立派な体格をした白衣の紳士。


 髭面のコワモテな外観とは裏腹に優しい眼差しをした大男は、初めて見る古くからの知人の顔を感慨深く眺め、微かに笑う。


「君が飛鷹君かい? 思った以上に怖い顔をしているな」

「感動の対面は後でいい! とにかく今は急患の処置を!」

「ああ準備は出来ている。 ここから先は私に任せろ」


 終始慌てっぱなしの俺とは対照的に、どっしりと構えていたネット上でヒノクマと名乗る医師。 彼は俺達を院内へ招き入れる傍ら、看護士達が持ってきたストレッチャーへ患者を慎重に乗せると、そのまま処置室へと運んでいった。


 手術中を示す赤い灯りが照明が落ちた院内を微かに照らす中、リーリアは最寄りのソファに腰をかけると、俯き加減でポツリと呟く。


「あの人、助かるの?」

「俺は医者じゃないから分からない。 悪いな」

「そう……」


 付近に置かれていた自販機から買ってきた飲み物を手渡し、俺も彼女のすぐそばに座る。 そして意を決すると、今まで胸に秘めていた疑問をぶつけた。


「リーリア、君は元の世界でどんな人生を歩んできたんだ? 俺は、未だに君がどんな人生を送ってきたのかを教えて貰っていない」

「ふふっ、私がどんなに悪いことをしてきたと思う?」

「それは……」


 普段のあどけない様子とはかけ離れた、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべるリーリアに、俺はただ首を横に振って示すことしか出来ない。


 だったら教えて上げると、彼女は重苦しい沈黙を保った俺の代わりに口を開くと、昔を懐かしむように天井を仰いだ。


「私が犯した罪は生まれてきたこと。 本当は生まれる予定が無かったのに生まれてきてしまった。 だから、お貴族様達はこの命の自然への返却を求めて殺しに来る」

「何だと?」


 あまりの残酷な答えに、俺は思わず真顔になって彼女の横顔を見るが、リーリアの言葉は止まらない。


「貴方もさっき見た通り、私の世界の住人はああやって変な植物に寄生されて命を落としたり、酷いときには身体を操られて同胞を殺戮したりしてしまう。 だから、生まれてくる子どもの数や動向は、お貴族様達によって長い間管理されてきたの。 でも私は、お貴族様達の計画に反して生まれてしまった。 父さんと母さんが恋愛的な関係に陥って、繁殖場から逃げ出してしまったから」


 ずっと誰かに聞いて欲しかったのか、リーリアは休む間もなく自分の来歴を全て吐き出すと、昔を懐かしむように目を細める。


「でも、どれだけ心が通じ合っても、私の世界でずっと繰り返されてきた運命からは逃れられなかった。 母は怪物に成り果てた父に撲殺され、父は私の狩りの獲物になった。 貴方と初めて会った時、見せてあげたトロフィーがそれよ」

「……済まない、気安く聞くべき話じゃなかった」

「謝ることないわ、もうずっと昔に終わったことだから」


 深い後悔を滲ませた俺からの謝罪を、リーリアは何事もなく受け止め笑ってくれる。


 だが、いくら彼女が許容してくれても、俺自身が自分を許せなかった。


「悲しい思い出に古いも新しいも関係ない。 いくら忘れようと努めても、不意に甦っては心を踏み荒らしていく」

「……貴方にも、辛い思い出があるの?」

「あるさ、それが人間ってものだろう?」


 彼女の問いかけに俺は深く頷き、そのまま俯く。


 脳裏に過ぎるのは、まだ若かった俺の身と心に癒えない傷を刻んだクズ共の醜態。


 地元の名士の馬鹿息子を凶状持ちにしないため、俺をスケープゴートへ仕立て上げるべくあらゆる犯罪を敢行した犬畜生共の歪んだ笑顔。


 それを思い出す度に、今でも俺の心の片隅で燻る憎悪の炎が、この身を焼き尽くさんばかりに煽られる。


「レイジ君?」

「……大丈夫だ。 なにせ俺は誰よりも強い子だからな」


 急に恐ろしい顔をして黙り込んだ俺に対し強い不安感を覚えたのか、リーリアは固く握り込まれた俺の手を取ると、指を割り込ませながら解きほぐす。


 不測の事態をテコにして、ようやく成った過去の共有。


 それは、俺が彼女の人生への深く干渉することを、無意識のうちに決意させていた。

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