第20話 ~朽ちかけた刃~

「医者に湾港労働者、警備会社顧問や作家か……随分と馴染んでいるもんだな……」


 ネカフェからアルカディアにアクセスして数日たった晩。


 俺は自宅からサイトにアクセスし、この共同体と出会うことが出来た異界人や同居人の情報を何気なく閲覧していた。


 中でも目を惹いたのが、滞在中いかに過ごしているかというアンケートに対する回答である。


 登録されている情報が正しいのであれば、多くの異界人が肉体労働にしても頭脳労働にしても幅広い職種に就労し、日銭を稼いで過ごしている。


 一体どんな手段で出自を誤魔化しているのか知らないが、全く勝手が違う世界に流れ着いたわりには手際がいいと称賛せずにはいられなかった。


「本当に色々な世界から人が流れてくるのね、そっちは」

「一切不安がないワケじゃないぞ。 なにせ化け物共の住処に繋がる門だってあったからな」


 横から画面を覗き見たリーリアが呟いた暢気な一言を耳にし、俺の脳裏に一切の意思疎通が効かなかった虫の化け物共の姿がよぎる。


 今のところ、文明的かつ理性的な種族ばかりがこちらに渡ってるからいいものの、万が一覇権的な野心を剥き出しにする凶暴な種族が現れたらどうなるのか。


 思わず悲観的な結末を考えてしまったが、隣に座っていたリーリアが画面から俺の顔へ視線を移していたこと気が付くと、ひとまずイヤな考えを追いやって彼女に視線を返した。


「ん、どうした?」

「別に大したことじゃないわ。 ただ、いつか私も貴方を家に招待出来たらって思ってたの。 私も貴方には頼られてみたいから」

「そうだな、叶うなら俺も君が住んでいる世界を見てみたい。 君の言うとおりならば、緑豊かな美しい世界なんだろう」


 お世辞ではなく、本心から零した何気ない願望。


 だが、それを聞いたリーリアの声色が微かに変わる。 日々を必死に生きる健気な少女のものから、冷徹なハンターとしての声色へと。


「多分期待しすぎると後悔すると思うわ。 私の世界は貴方の世界ほど情勢が安定していない。 だからお貴族様達の機嫌一つでなんだって変わってしまう。 罪人かどうかさえも」

「……そうか」


 一旦言葉を切って様子を伺うも、リーリアの頑なな表情は変わらない。


 これ以上無理して聞き出しても彼女の機嫌を損ねるだけだろうと、俺は当たり障りのない話題を自分から切り出した。


「ところで、もうこんな時間だが大丈夫か?」

「……そうね、私もそろそろ寝ないと明日に響いちゃう」


 普段の就寝時間をとうに過ぎていることに気付いたリーリアは、静々と窓枠を乗り越えて自分の世界に戻ると、バツの悪そうな笑顔を俺に投げかけてくる。


「何だか気を遣わせちゃったみたいでごめんなさい」

「気にするな、俺にもデリカシーが足りないところがあったかもしれん」


 何が彼女の逆鱗に触れてしまったか知れないが、明日になればきっといつも通りの関係に戻れるだろうと、深く考えないようにしながら俺もぎこちない笑顔を返した。


「それじゃおやすみなさいレイジ君、良い夢を」

「ああ、おやすみ」


 いつものように挨拶を交わし、互いにカーテンを閉めようと手を伸ばす。


 だがその瞬間、リーリアの部屋を照らしていた魔術的な明かりが突如掻き消えた。


「え?」

「なんだ?」


 リーリアも全く想定していなかったことなのか、彼女は戸惑ったように周囲を見渡す。


 何かがおかしい。 互いにそう考えた瞬間、リーリアから見て死角である後方頭上から突如、刃物で武装した人影が音も無く落ちてきた。


 魔力で形成された輝く刃先を真下に向けて、目指すは彼女の首一直線。


 考えを巡らす猶予などなかった。


「リーリア!」


 俺は咄嗟にリーリアの手を掴むと、力任せにこちら側の世界へ引っ張り込んだ。


 刹那、標的を見失った刃は木で出来た床を容易く貫き、基礎の部分を深々と抉り抜く。


 当然、事態はそれだけに留まらず、侵入者は窓越しに俺達の姿を視認すると、懐から実体のある匕首を抜いてこちら側に飛んだ。


 こちら側の神による武装解除や強制排除などは当たり前のようになく、招かれざる客は問答無用に目撃者である俺へ向かって躍り掛かる。


「レイジ君!」

「安心しろ。 化け物ならともかく人間相手に今の俺が殺されるか!」


 倒れ込んだリーリアを背後に庇い、俺は軽く身体を捻りながら跳躍すると、刃物を振り翳して突っ込んでくる馬鹿へ蹴りを見舞った。


 大きな弧を描いて放たれた回し蹴りは、匕首が俺の腿の肉を抉るよりも早く敵の横っ面にぶっ刺さり、仮面付きの防具に守られていた馬鹿の頭を脳ごと揺らす。


 しかし凶器は未だ相手の手の内にあり、アドバンテージは相手にある。


 ならばやるべき事は一つ。 形勢が覆る前に相手を徹底的に叩きのめすまで。


「このタコが!!!」


 常人では決して繰り出せないスピードと強度を持った俺の拳が、上中下段あらゆる方向から馬鹿の身体を打って打って打って打って打ちのめした。


 呻き、悲鳴、許しを乞う声などが殴っている間ずっと聞こえるが、その一切を敢えて俺は無視する。


「恨むならテメェの浅はかさを恨みやがれ!」


 リーリアを一方的都合で奪われそうになった怒りに駆られ、俺は腹を狙った後ろ蹴りを全力で繰り出し、血反吐をばらまかせる。


 家具か何かが壊れたかと誤認するほどの騒音を上げ、招かれざる客は思い切り床に叩き付けられて昏倒するが、そのまま寝かしておいてやるほど俺は優しくない。


 遠慮なく手足を踏み砕いて無理矢理覚醒させると、仮面を付けっぱなしの顔面を何度も机に叩き付けて尋問を開始した。


「言え。 誰の差し金で何故この子を襲ったのか。 言わないのなら目と脊椎をグチャグチャにする」


 反抗の兆しを察する都度に馬鹿の横顔を殴りつけ、再三に渡り脅す。


 質問を続けるうちに馬鹿の仮面が砕け、その下にあった顔が露わになっても俺は手を緩めない。


 そう、たとえ相手が女であっても。


「これ以上その綺麗な顔をボロボロにされたくなければさっさと吐け。 未来永劫傷物になりたくないだろう」

「……私が綺麗? おかしいことを言い出すじゃない貴方」


 今までほぼ無抵抗だった女が、俺が無意識に吐きつけた言葉を聞き付けてゆっくりと顔を上げる。 血で汚れ、痣が浮かぶほど殴られたにも関わらず、その顔はとても凜々しく美しかった。


 未だ名も知らぬその刺客は、俺という成長した男を珍しいものを見る目で眺めた後、ポツリと呟く。


「私は……死にたくなかっただけなの……」

「なんだと?」


 思わせぶりな言葉を耳にし、俺は反射的にその真意を問いただそうと女の両肩を掴んだが、遅かった。


 刺客が何かしらの反応を示すよりも早く、彼女の全身の穴という穴から太い樹木が飛び出し、身体を引き千切らん勢いで巻き付き始める。 まるで宿主の身体に流れる血液を、一滴残らず吸い上げようと目論むかのように。


「これは!?」

「絞殺病って言うの。 この間言ってたでしょう? 私の世界の男は皆成人前にこうやって命を落とすって。 でも、女の人の中にも稀にこうなってしまう人がいるの」

「稀にだと? こんな都合のいいタイミングで発症するワケがない! 誰だか知らないがコイツの口を封じるつもりだ!」


 このまま放っておけば間違いなく殺される。


 だが今の自分に何が出来る? 何も出来ないはずはないと、ほんの一拍の間に自分でも驚くほどの量の思案が脳裏を過ぎ去っていき、やがて思い至る。


「確か登録されていたはず、アルカディアに異界人向けの医者が……」


 アルカディアにアクセスした際、緊急用の連絡先として紹介して貰ったアドレス群。 その中の一つからヤケに既視感のあるアドレスを見つけ、咄嗟にメッセージを送り付ける。


 そのアドレスは偶然にも俺のSNSに登録されていたものと全く同じもの。


 そう、古くからの知り合いであるヒノクマさんのアドレスそのものだった。


「はいこちら熊沢クリニックアルカディア窓口。 どうしました?」

「俺だクマさん! アンタに至急診てもらいたい者がいる。 異界出身の急患だ!」

「飛鷹くん!? いや……ちょっと待ってくれ! 今、君の大まかな住所を見たが、私のクリニックまで滅茶苦茶遠いじゃないか! とてもじゃないが間に合わないぞ!?」

「説明は後だ! とにかく受け入れの準備だけでもしておいてくれ! すぐに着く!」


 終始困惑しっぱなしのヒノクマさんへ一方的にお願いを押し付けた後、俺は改めて武装解除した刺客を急いで小脇に抱え、もう片方の腕でリーリアを誘う。


 聞きたい話は山ほどあるが、そんな暇などない。


「今日は一緒にいた方が良い。 大丈夫だからしっかり掴まってるんだ!」

「う……うん!」


 一瞬何か言いたげだった彼女だったが、今は不満を飲み込んでくれたようで、すぐに俺の首に腕を回す。


 彼女から信頼に深く感謝しながら、俺はリーリアの腰を支えるように腕を回すと、音も無く野外へ飛び出し、音に追いすがるように闇を駆けた。


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