第18話 ~塵芥の勇気~
この世の者とは思えない十数メートルはあるであろう怪物に、山の中で追い立てられる。
あまりに荒唐無稽な話であるが、これは紛れもない事実であった。
どうすればこいつを街に下ろさずに済むかと、傾斜を滑り降りながら俺は思案するが、その最中に先程通りかかった神社を見た途端、忘れ物を思い出してその敷地へ突っ込んでいく。
視線の先にあったのは、警察に保護して貰うべく木に何重にも縛り付けていた小男。
別に放っておいてもいいが、このまま逃げられず喰われたのでは目覚めが悪いと、肩を叩いて無理矢理こっちに顔を向かせる。
「え……?」
「死にたきゃ勝手にしろ。 気が変わったんなら隠れるなり逃げるなり好きにやれ!」
「ちょ……ほぁあああ!?」
縛り付けていたロープを手刀一発で切断し、化け物の進行方向とは全く別の方向へ男を投げ飛ばすと、俺は急いで石段を駆け下りた。
ここから先は奴次第。
これ以上他人の安否に気を遣う余裕などない。 気を抜いたが最後、こっちが死ぬ。
「レイジ君!」
「……ッ!」
猟師として生きていたというのは伊達でもなく、見知らぬはずの暗い森の中を軽々と先行するリーリアの警告に従い、俺は反射的に身を屈める。
その瞬間、俺の頭があったところを石段を構成していた石材が飛んでいき、巻き込まれた古木が根元からへし折られながら落ちていった。
「この犬野郎が!」
いい加減夢なら覚めて欲しいとも思ったが、虚実が曖昧になってしまったこの世界で、100%有り得ないことこそ有り得ない。
この化け物が人里に降りてしまったせいで、何も知らない人達が殺戮されることさえも。
ならば、この化け物をぶっ殺したことを現実にする他ないと、俺は遂に腹をくくった。
「そんなに喰いたければ、目一杯腹一杯にしてやるよ化け物!」
殴られっぱなしは昔から性に合わない。 だからこの選択にも悔いはなかった。
逃走から闘争へと踵を返した俺は、飛んできた岩や大木を真正面から受け止めると、大きく開かれた口と目の中に投げ込み、駄目押しに蹴りを入れてやる。
当然、ただの獲物から反撃が来ると予期してなかった化け物はモロにそれを喰らい、ただでさえボロボロだった顔を構成する腐肉を派手に崩す。
「ええっ!?」
人間としての膂力の限界を越えた俺の蛮行を目にし、驚いたリーリアのおかしな悲鳴が闇の中から聞こえてくるが、今彼女に構っている余裕はない。
「帰るつもりがないのなら、今ここでくたばれ!」
ここまで痛め付けても逃げないのであれば殺す他なし。
痛みに悶えながらも未だ殺意に満ちた視線を投げかけてくる化け物目掛け、俺は手近にあった石材を振り上げた。
……が、そこで今まで俺の内側から溢れていた力が突如として途切れる。
代わりに俺の肉体に表面化したのは、物を持ち上げるどころか、その場に立っていられないほどの倦怠感と睡魔。
「何だ……これ……」
眠い。 抗えないほどに眠い。 一晩スマホを触りすぎて寝られなかった時以上に眠い。
一体何が起きたのかと考える間もなく、化け物の顔がしてやったりとばかりに歪んだ。
刹那、昼間ユリウスに返された言葉が頭をよぎる。
その時は君が呪殺されるだけだと。
「くそ……」
ああ、呪いとやらはこんな使い方も出来るのかと、俺は苦虫を噛み潰したような顔をして上目遣いに化け物を睨む。
視界の端に、動けなくなった俺を何とかしようと駆け寄ってくるリーリアの姿が映ったが、それを制止する言葉すら絞り出せない。
俺も彼女のここで死ぬのかと、眠気で澱んだ頭でそんなことを考え始めた。
――その時だった。
「ま……待ってくれ! あ……あんたが喰いたいのは俺だろう? た……多分こういうことになるから、偉い先生達はここで死ぬよう俺に言ったんだ!」
「っ!?」
動けない俺と、急いで俺を担ごうとするリーリアの盾になるように、化け物の前に立ちはだかったのは、先程逃がしたはずの小男。
圧倒的存在に怯え、どもりながらも、彼は大の字になって言葉が通じるかも分からない相手に、必死に声を張り上げる。
「か……彼らは偶然通りかかっただけなんだ! い……生贄は俺だけで良い! た……頼むから彼らだけでも見逃してくれぇ!」
「あなた……どうして……」
「だ……だって……俺はこんなことでしか人の役に立てないから……。 どうせ死ぬなら……だ……誰かの役に立って死にたいんだよ!」
思わず呆然とするリーリアを前に、名も知らぬ小男はヤケになったように叫ぶ。 小男の心情を化け物が汲んでやる保証も無いにも関わらず。
だが、その半分ヤケッパチの勇気は思わぬ展開をもたらす。
「駄目男が勇気を振り絞って身を挺す! たまらぬ!」
「ん?」
「え?」
今までケダモノとしての唸り声しかあげてこなかった巨大な狐の生首が、突然流暢に言葉を発したことに誰もが驚く間もなく、その巨体が突如掻き消える。
代わりにその場に現れたのは、奥ゆかしい装束を身に纏った黒髪が麗しい長身巨乳の美女。
彼女は艶やかな笑顔を浮かべながら、るんるん気分で小男の元へ駆け寄ると、赤ん坊をあやすように彼の頭を撫で回し始めた。
「え……え……?」
「我はこういう奴と会いたかったのだ! 確かにクズはクズだが、完全なるクズには堕ちきらない人間の矜持を守ったクズを!」
「お……俺は別にクズなんかじゃ……」
「よしよし愛い奴愛い奴。 これからは妾が坊やの背中を支えてやるぞ。 妾が目一杯甘やかして励ましてクズから普通の人間に育ててやるからな!」
ダメンズと触れ合って元化け物の美女の機嫌がよくなっていく都度に、先程の戦闘で荒廃しきってしまったはずの周囲の環境や建造物が巻き戻したように戻っていく。
それらを見てようやく俺達は、一種の超常的存在に玩ばれていたことに気が付いた。
「……帰ろうか」
「うん」
真面目に命のやり取りをやっていたはずがとんだ茶番だったと、いつのまにか眠気が覚めていた俺は、唖然とするリーリアの背に軽く触れて帰宅を促した。
トンだ騒動に巻き込まれたと、内心自殺を止めに行ったことを後悔しながらその場を後しようとする。
すると、今まで混乱の最中にいた小太りの男が、俺達に向かってどもりながらも頭を下げた。
「あ……あ……ありがとな。 その……、き……気をかけてくれて」
「礼を言っている暇があるなら、そこの物好きに飽きられないよう努めるんだな」
今日はもう疲れた。 もう面倒事に巻き込まれたくないという一心で、俺は軽く手を振る。
しかしそんな俺の心を踏みにじるように、今回の騒動の原因自身が俺に鋭い視線を向けた。
「おい待て小僧。 さっき妾を化け物と言ったな?」
「……あの見た目だったらそう言われたって文句言えないだろ」
「化け物ではない。 稲華姫という大層な名を、太古よりこの地の民草からいただいている異界人だ。 元の名など、とうに忘れてしまったがね」
今さらになって自己紹介を終えた化け物改め、稲華とやらは麓で輝く人々の営みの証を見やりながら言葉を続ける。
「忠告してやろう。 この地は今、招かれざる者達の関心を惹いている。 人として穏やかな日常を望むのならば、安易に暴に身を委ねるのをやめておけ。 人あらざる力を持ってしまったのであれば尚更な」
「飛んでくる火の粉さえなければ、俺だって牙を剥くこともない」
「……警告はしたぞ」
人の持たないものを無闇に振り翳さないのは当然のことだと、言外に示しながら俺はリーリアを伴って帰路についた。
それでは危機感が足りないとばかりに紡がれる、低くおぞましい呪詛に背中を焦がされながら。
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