第12話 ~繋がる心と心~

 SNSのタイムライン上を、玉石混淆の情報が凄まじい勢いで流れていく。


 ネット社会となった現代において日常となって等しい光景だが、職場で異世界への門が開いて以降、すっかり様子が様変わりしていた。


 クマよりも大きな、見たことも無い謎の生物と遭遇した。

 何処の企業が発売したかも分からない、謎の車に轢かれかけた。

 特撮に出て来る怪人のような、ヘンテコなコスプレをした変人集団を多数目撃した。


 まるでテレビのしょうもないクソヤラセ企画にしか見えない文言が、証拠として提示された動画と共にPCの画面を乱舞する。


 以前ならばただの馬鹿の戯れだと問答無用にブロックしていたが、人様の目に隠れて門を乱立しようとする輩がいる事を知って以来、万が一に備えるためにも俺は精力的に情報収集に勤しんでいた。


 時折、風説を流布したとして国や自治体からの削除要請によって投稿が消えていくが、いくら政府や企業が必死に箝口令を敷こうと躍起になっても、ネットワークという現代社会の短波ラジオが完全に情報を遮断することを許容しない。


「やはりあの山だけじゃなかったのか」


 目撃情報があった県と市町村のデータを集め、その中から間接的証拠に優れた信憑性のありそうなものをピックアップしながら、俺は思わず呟く。


 ただでさえ目立っているものを揃えただけでも、全国津々浦々に数多の目撃情報がある。


 これに加え、未だ見つからず潜伏しているであろう連中がいることを考慮すると、もしもの時の逃げ場などどこにもないように思えた。


「皆、大丈夫だろうか……」


 少しでも自分と親交のある人達が、今まで地球上に存在しなかったもののせいで不幸な目に遭わされていないかと、余計な心配事だけがドンドン増えていく。


 しかしそれも、背後から明るい声を投げかけられたことで一時的に脳内から霧散する。


「レイジ君! そろそろ出来上がるから待っててね! もう少しだから!」

「分かってるから慌てなくていい。 待つことには慣れてる」


 じゅうじゅうと美味しそうな音を門の向こうで鳴らしつつ、慌ただしく食器やら道具やらを持ちながら往復するリーリアへ返しながら、俺は椅子に座って漂ってくる薫りを軽く吸う。


 旨みと塩気、そして甘みを伴った芳しい薫りは、俺の飢えた満腹中枢を容赦なく刺激し、自然と大きな腹の音を鳴らせるに至った。


「あー……」

「ふふっ! 期待してくれて嬉しい!」


 不覚にもらしくないことをやってしまい反射的に苦笑いを浮かべた俺へ、リーリアは作業を続けながらも眩いばかりの笑みをくれる。


 暗く固く凶暴な面構えをした俺とは何もかもが対照的な、明るく元気で柔らかい朗らかな笑顔を。


 そうやって何気ないやり取りを重ねていくうち、慌ただしかったリーリアの動きが徐々に収まり、やがて止まった。


「後は仕上げにあれをこうやって……、よし出来た!」


 完成を告げるリーリアの声が聞こえたと思った瞬間、彼女の魔力を帯びて浮き上がった大皿が宙を駆け、こちら側で待つ俺の机の上に音も無く着地した。


 目の前に出されたのは、鶏肉に似た動物の肉に甘辛そうなソースが絡められた肉料理。 こちら側の料理でいえば照り焼きに近いと思われるものが、温かな湯気を立てて俺に喰われる瞬間を待っている。


「…………」


 ありがたいことに料理の第一印象は旨そうの一言に尽きる。 ちょうどよい焦げ目が付いた肉も、その下に敷き詰められた野菜かハーブと思わしき葉物も、そしておまけのように添えられた果実も、異なる世界で生きる俺が受け入れやすい色と形状をしていた。


「レイジ君……?」

「ああ、色々似てるなって思って見てたんだよ。 こっちの世界の料理にもそっくりな物があったからな」

「本当!? 凄い偶然ね! もしかしたらどれだけ世界を隔てても、人が考えることは結局同じなのかもしれないわ!」

「ふふっ、そうかもしれないな」


 思ったこと考えたことを何の躊躇いも無く口にするリーリアの素直さに、俺は思わず微笑んで返すと、出された料理に箸を付ける覚悟を決める。


 トマト嫌いの俺でもカプレーゼは旨く感じたもの。 迷った時は取り敢えず喰ってみるに限ると意を決すると、程よく焼けた知らない動物の肉を口の中へ放り込んだ。


 肉に染み込んだ味と食感を確かめるよう、二度三度注意深く噛み締めてみる。


「……おお」


 その瞬間、俺は今まで何を恐れていたのかと馬鹿らしくなってしまった。


 淡泊だが確かな旨みを含んだ肉と、適度な甘みを含んだ赤いゼリーのような調味料が不思議にも絶妙にマッチし、食を進ませる。 さらに添えられていた果実の中身を肉と一緒に食べてみると、まるで寿司に添えられたアボカドのように、共に口に含んだ物の旨みを数段引き上げてくれる。


 そして、お世辞でも社交辞令でもない本音が、自然と俺の口から零れ落ちた。


「旨いよリーリア、俺が作る料理どころか下手な定食屋と比べてもずっと旨い」

「本当? 嬉しい!」


 やったやったとリーリアが身体まで使って喜びを表現している間にも、俺の箸は一切止まらずあっという間に皿の上を綺麗にしてしまい、飯を炊いていなかったことを心の底から後悔した。


「ごちそうさま、美味かったよ」


 異界の飯がここまで良い物だったのかと心底感激しながら、からっぽになった皿だけを向こう側へ差し出し返却する。


 しかし、リーリアが皿を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、俺は思わず冷静になって問いかけた。 よくよく彼女の腕を見てみると、蔓状の奇妙な形状の傷痕が、手や腕の裏側の目立ちにくい位置に深々と刻まれている。


「リーリア、その傷はどうしたんだ?」

「え? だ……大丈夫よ! たいした怪我じゃないから……」


 俺から問いかけられた瞬間、今まで上機嫌だったリーリアは突然口籠もると、あらぬ方向へ視線を逸らしてしまった。


 だが彼女がそうする間にも、俺は一人考え続ける。


 幾度となく狩りに出かけ、その都度一切の怪我も疲れも見せぬまま家へ帰ってきたのを見てきた。 その上、一人暮らしにも慣れているのなら今さら自炊で手を切るような真似はしないはず。


 そうやって考えていくうちに、あまり考えたくなかった答えに辿り着く。


「普段なら決して狩らない獲物を俺のために無理して仕留めてきた。 だからそんな変な傷を負ったんじゃ無いのかい?」

「………うん」


 極めて稚拙な推理だったが、案外図星だったようでリーリアはそのまま俯いて黙り込んでしまう。


 べつに叱ってる訳でもないのに、ここまでしょぼくれて貰ってもそれはそれで困る。 何とか会話を再開する為の口実を探すうち、俺はふと思いついた一つの可能性に賭ける。


「薬を塗ってやるから手を出してくれ。 別に取って食ったりはしないから安心して欲しい。 俺は君が心配なんだよ、リーリア」

「……うん、分かった。 貴方の手がこっちに来られるか分からないけど」


 多少強引でもあった俺の申し出に、リーリアは快く承諾すると門のすぐそばまで手を伸ばしてくれた。


「頼む」


 無事に彼女の許可は出た。 だから今さら文句はないだろうと、偉そうに頭の中でほざきやがった何者かへ毒づきながら、俺はリーリアの手を取るべくゆっくりと手を伸ばす。


 その瞬間、以前同様偉そうな輩の声が俺の意識を貫いた。


 ――下手な口実だが、今はその勇気に免じてやろう。 硝子の鷹よ。


 偉そうな口上が意識の底へ消えていくと同時、今まで頑なに俺の侵入を拒んできた門が俺の手が通り抜けるのを認め、彼女の手へ触れることを許してくれる。


「あっ……」

「少し痛むかもしれないが我慢してくれ」


 絶対的な力を持った何者かの戯れで意識を飛ばされることもなく、俺は内心ホッとしながら、微かに怯えるように震えるリーリアの手へ、自宅で常備している軟膏を塗ってやる。


 初めて触れた彼女の手は、狩人として生きてきたとは思えないほど華奢で柔らかい。 もっとも、リーリアが抱いた感想は正反対だったようで、彼女は微かに頬を紅潮させながら正直な感想を呟く。


「大人の男の人の手って、こんなにも逞しくて大きいのね」

「見た目だけだ。 きっと君ほど器用で力強くはない」

「そう……」


 軟膏を塗られている間、リーリアは大人しく俺の指が自分の肌の上を滑っていく様を見つめていた。


「これで終わりだ。 少し痒みを感じたりするかもしれないがじきに良くなる」

「えへへありがとう、貴方って色々出来るのね」

「いいや俺の力じゃない、この文明社会において俺は誰よりも役立たずだ」


 ただ薬を塗られただけだというのに過剰に褒めてくる彼女の言葉にこそばゆいものを感じ、俺はやんわりと否定する。


「俺が人よりも秀でていることなど暴力以外何一つとして無い。だから存在を必要とされることも無い。 これまでも、そしてきっとこれからもな」


 多少親しくなった仲でしかないに相手に対し、勝手に喉の奥から紡ぎ切られる重い言葉。 それを言い切った瞬間、俺は正気に立ち返って詫びを入れようとするが、リーリアの反応の方がそれよりずっと早かった。


「じゃあ……、私が初めてになってあげる。 貴方のそばで、貴方を必要としてる初めての人に」

「何だって?」


 彼女の言葉の真意に気付くより早く、リーリアの身体は猫のようにしなやかに躍動し、こちら側の世界に向かって跳ねた。


「なっ……」


 咄嗟に制止しようと俺は思わず手を伸ばすが、彼女の伸ばした手が問題なく門をすり抜けたのを目撃すると、飛んできた彼女の身体を反射的に抱き留める。


「えへへ、来ちゃった」

「なんて無茶な真似をしたんだ! 無事に抜けられるかも分からなかったのに!」

「だって、貴方のことを放っておけなかったから」

「……そうかい」


 自身を省みない無茶をしたリーリアを思わず叱責するが、彼女がぼそりと紡いだ言葉を聞いて、俺は強く出ることが出来なくなりそのまま口を噤む。


 それを許しだと判断したのか、俺の腕の中で抱き留められていたリーリアは逆に俺の背中に腕を回すと、嬉しげな笑い声を洩らしながら胸板に顔を押し付けてきた。


「やれやれ、また忙しくなりそうだな……」


 そんな彼女を眺めながら俺は思わず呟くが、悪い気は一切せず、リーリアの気がすむまでそのままでいることにした。


 慕われるという初めて経験する事柄に、心地良いものを感じながら。

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