第9話 ~遠い存在~

「やれやれ酷い目に遭った……お役所仕事ってのはこれだからイヤなんだよ……」


 不幸にも職場で異世界へと繋がる門が開いてしまったせいで、俺やその場に偶然居合わせた人々を待っていたのは、徹底した身体の洗浄と聞き込みとは名ばかりの尋問。


 しかし、その内容も至ってお粗末で、何が原因で引き起こされたのかを探るのではなく、誰の仕業なのかと責任の所在を探すばかり。 たったそれだけの追求のために俺や巻き込まれた住人達は市民体育館で缶詰にされ続け、ようやく解放されたのは三日目の晩だった。


 おまけに調査とやらの為に職場の図書館は閉鎖された挙げ句、その間の賃金の問題も宙に浮いたまま。 どこまでも無責任なお国のやり方に内心はらわたが煮えくりかえるのを感じつつ、俺は職場近くに放置されていた自分のバイクに跨がると、八つ当たりとばかりにエンジンを吹かしながら車道へと飛び出した。


 本当ならこのまま家までかっ飛ばしてやりたいのが本心だったが、明らかに地元の者では無い面々が我が物顔でカメラを回しながら彷徨いているのを視界に入れると、イライラが再燃してくる。


「高貴なるメディアのエリート様とやらがこんな田舎くんだりまでご苦労なこったな」


 缶詰にされている間に全国的な騒ぎになっていたのか、ここらでは見たことも無いような都会のマスコミが検問よろしく主要な道路を占拠し、解放された面々を手ぐすね引いて待ち構えている。


 当然、俺がそんなものに引っ掛かってやる義理は無い。


「ゴミ共め、大人しく電波箱の中でお遊戯会だけやってりゃいいものの」


 あんな連中に絡まれるくらいなら野良犬とエンカウントする方がマシだと、俺は遠目に見える下品なバンから近寄られる前にUターンを決行すると、田舎特有の小道や農道を総動員し、短時間で家まで辿り着いた。 当然、無知蒙昧な輩に尾行されるようなヘマは一切無い。


「はぁ~……やっと帰って来られたなチクショウ……」


 慣れない環境での生活に疲れ果て、玄関扉をのっそりと開きながら俺は自宅に転がりこんだ。


「……あぁただいまリーリア、何も言わず家を空けてて済まなかったな」


 突然の留守に心配かけただろうと考えると共に、あの娘は過酷な世界で命を繋ぐ者である故、気にも留めていないだろうという冷たい考えもまた浮かぶ。


 しかし、異界に繋がる窓から覗いて来る影を見た瞬間、頭に浮かんだ雑念が総じて吹き飛び、俺は思わず目を剥いた。


「うぉ!?」

「ああ、おかえりなさい……無事に帰ってきて本当に良かった……」


 幽鬼と見紛うような雰囲気を醸しつつ俺を出迎えたのは、やつれきった顔を無理に動かして笑顔を浮かべるリーリア。 彼女は机から身を乗り出した体勢で、俺の世界との境界ギリギリまで顔を近づけたまま、完全に身を硬直させていた。


 ただの仕事からの帰りとは明らかに異なる疲労の様子と、しょぼしょぼと瞬きを繰り返す目の下に浮いた濃い隈を見とがめ、俺は思わず問う。


「リーリア、もしかして俺が消えた晩からずっと起きてたのか?」

「だって……心配だったから……もう二度と会えないかと思ってたから……」


 終始戸惑いっぱなしの俺を前にして、彼女は嬉しげに言葉を紡ぎきると、そのまま机に突っ伏すようにして眠ってしまった。


 すぐさま大きな寝息が聞こえ始め、彼女がどれだけの体力を振り絞っていたのかを、言外に俺へと知らせてくる。


「……俺の身を案じてくれたのか。 それで体調を崩してしまっちゃ元も子もないだろうに」


 ただ近くで住んでいる。 たったそれだけのはずなのにここまで情を示してくれる彼女に、俺はとても言い難い感情を覚え、異界と俺の世界の境を超えて手を伸ばした。


 ……はずだった。


「うっ!?」


 刹那、彼女の頬に触れるより先に、俺の意識は突然一面真っ白な空間に飛ばされる。


 そして眼前に現れたのは、途方も無く巨大な植物の塊。


 あまりにも大きすぎて、葉と枝以外の部位を一切窺うことが出来ない巨大な樹木らしきもの。 その奥深くから響いた厳かで低い声が、俺の脳自体に言葉を刷り込んでくる。


 ――たまには己から他者に寄り添いたまえ、気高く脆い硝子の鷹よ。


「何だと!?」


 そう言うお前は誰なのかと、姿を見せぬ声の主に問わんとするがすぐさま現実空間へと送り返され、見慣れた部屋の中で立ち尽くしていたことに気付いたのは数分後。


「何なんだ今のは……、あんなモンがこの世界にあるはずがない……」


 差し伸ばしたはずの手は、この世界と向こう側の境をギリギリ超えない所で止まり、無造作に投げ出された彼女の手を正すことすら叶わない。


「リーリア……」


 何も知らず、平和に寝息を立てる乙女の横顔を眺めながら、俺は無意識のうちに呟く。


 彼女は近くにいるようで、限りなく遠い場所にいる他人のだと、改めて思い知らされながら。

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