第8話 ~拡散する門~

「人同士が助け合って生きているんじゃないの?」


 昨晩、リーリアに問われた言葉を脳裏でリフレインさせながら、俺は職場の広い休憩室の片隅で一人弁当を黙々と食べ進める。 周囲では和気藹々とお喋りをしている面々がいるが、俺には決して近づかない。


 もっとも、司書という職業柄それはある意味当然でもあった。 周囲は歳を経た女性ばかりで男はたった一握り。 おまけに数少ない同性仲間の彼らも俺の雰囲気が怖いという理由から、仕事上の理由が無い限り決して近づかない。


 しかし世の中に物好きはいるもので、一つの柔らかな人影が物怖じせず俺のそばまで寄ってくる。


「お疲れ様鷹見君、相変わらず機嫌が悪そうなお顔をしてるわね」

「そういう貴女は随分機嫌が良さそうですね、中善院さん」


 声をかけてきたのは、職場に合わない性別と顔と性格のせいで何かと孤立しがちな俺に対し、珍しく積極的に接してくれる物腰柔らかなマダム。 彼女は俺と一席開けて隣に座ると、口元を淑やかに隠して微笑んだ。


 彼女の出自こそ未だ知らないが、何気ない振る舞い一つ一つと整えられた身なりに、育ちの良さと彼女自身の穏やかな気質が垣間見れる。


「長女が今度結婚するのよ。 気が難しい子だから心配してたんだけど、そんな子に惚れてくれる男の子がいたなんてね」

「そりゃ、おめでたい話じゃないですか」

「ありがとう。 ……ところで貴方も今年で30でしたっけ? 早く身を固めて親御さんを安心させてもいいと思うわ」

「俺みたいな顔の怖い非正規雇用の将来不安定な野郎に寄ってくるお嬢さんなんて、そうそういやしませんよ」


 唐揚げとご飯を腹の中に詰め込みながら無愛想に返答すると、中善院さんは何がおかしいのか、子供を見守るような眼差しで俺の横顔を黙って眺めている。


 そんな折り、この職場らしくない軽薄で耳障りな笑い声がふと耳に止まると、中善院さんが机の上に置いたスマホに自然と目が行った。


「ところで、一体何を見てたんです?」

「ああ、何かおかしな配信をしていたのよ。“ここじゃない世界とこの世界を繋げて幸せを目指して見た”なんてね」

「異世界とこの世界を?」

「世の中奇特な方が多いわよね、こんな詐欺紛いなことに何万もお金を投げてしまう人がいるなんて」


 実際に俺が異世界の人間と接しているとも知らず、中善院さんは一転して呆れたような眼差しを携帯の画面へ向けた。


「今を言い訳ばかりして頑張れないような人間が、どれだけハンデを貰ってやり直しても、結局どこかでボロを出して、頑張る人間の踏み台になるのが関の山でしょうに」

「誰だって少しくらい夢を見たいんですよ。 でなければただ苦しいばかりの人生じゃないですか」

「あら、思ったより優しい反応をするのね。 てっきり厳しい感想を言うかと思ってた」

「所詮俺も、煮えかけた茹で蛙みたいな立場ですからね」


 別に他人の趣味にとやかく言うつもりは無いが、少なくとも自分も恵まれた立場ではない。 そんなことを思いながら、俺は画面の中でサムい茶番を繰り返すストリーマーに生暖かい視線を送ってやっていた。


 画面の中で小芝居を繰り返す男の背後の液晶の中に突如、巨大な虫のような怪物が映り込むまでは。


「……ッ!」


 俺が息を呑むと同時に配信が唐突に途絶えた。


 ――刹那、中善院さんが持っていた携帯の画面が稲妻が轟くような爆音を上げながら砕けて“門”と化し、そこから地球上に存在しない生命体を呼び寄せる。


「え?」


 現れたのは、蛇のような、蔦のような、よく分からないしなやかな身体を持った巨大な獣。 それは事態を一切把握できず凍り付いた人達をぐるっと睨め付けると、一番近い場所で座っていた中善院さんへと真っ先に食らいつき、高々と鮮血を噴き上げさせた。


 途端に悲鳴が響き、休憩室はパニックに陥る。


 あれは何だ、何が起こった、誰か何とかして、と他人任せで不愉快な悲鳴が俺を苛立たせるが、化け物に食らいつかれた中善院さんが無意識に零した言葉が俺を平静へと導き、彼女の方へと視線を向かせる。


「誰か……」


 か細い声で必死に紡がれた言葉の後、死にたくないと口が動いているのが視界に入り、俺は咄嗟に床を蹴った。


 日和っている暇などない。 放っておけば俺の目の前で誰かが死ぬ。


「待てやオラァッ!」


 門の向こう側に逃げられる前に何とか自分へ注意を向けようと、俺は普段から仕事用に持ち歩いているペンの先端を咄嗟に化け物の大きな目玉へ突き立て、全力で蹴り上げた。


 途端に耳障りな叫び声が館内全体に響き渡り、騒ぎを聞き付けた別部署の職員や警備員、そして男性利用客が集まってくる。


「うるせぇ! 公共の図書館で一体何を……」

「な……なんだあの化け物は……!」

「人が噛まれてるぞ! 急いで引き剥がせ!」


 彼らは何が起きているかまったく分からないようだったが、俺が先陣を切って化け物に挑みかかっているのを把握すると、武器になりそうな日用品を手にして一斉に後に続いた。


 一人一人では無力で臆病でも、一旦流れに乗ってしまえば人間は小賢しく強い。


 鈍器を持って集まった数人が死角からメッタメタに殴打しまくり、たまらず化け物が振り払おうと鎌首をもたげれば、その隙に複数の誰かがまた死角からカッターやハサミで滅多刺しにする。


 致命傷にこそならないものの病的なまでに執拗な攻勢に、化け物は得られる食料と負わされる怪我が釣り合わないと踏んだのか、咥えていた中善院さんを乱暴に吐き出すと、一目散に門の向こうへ逃げていった。


「逃げたぞ! 野郎一体何処に消えやがった!?」

「馬鹿! そんなことより彼女の止血の方が先だ!」

「応急手当は私がやります、誰か警察と救急車を!」


 化け物が一瞬で眼前で消え、集まった人達は困惑した様子を見せるもすぐに各々がやるべき役割へ移っていく。


「もう大丈夫です。 すぐに救急車が来ますから」

「ありがとう鷹見君……、でもどうしてあんな無茶を……?」

「娘さんの花嫁姿も見られずに死ぬなんて、そんな惨い話があっちゃいけねぇでしょ」


 必死に身体を起こそうとする中善院さんを押し留めながら返すも、やたら表が騒がしくなっていることに気が付くと、彼女のそばから離れて窓の外に視線を向ける。


 そこに並んでいたのは警察以上に物々しい装備が施された大型車両が複数台。 中に乗り込んでいる人員も明らかにカタギの人間には見えず、俺は思わずため息をつく。


「やれやれ……、今日は遅い帰りになりそうだな……」


 一体誰が何をどう説明すればいいのかと答えの出ない解を考えながら、俺は中善院さんを搬送しようとする人の流れに乗って、慌ただしく表へと出て行った。

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