第6話 ~よき邂逅の連鎖~
「お先に失礼します、お疲れ様です」
「あら、最近珍しいわね鷹見君。 残業もせずにさっさと帰るなんて彼女でも出来た?」
「まさか、ちょっとプライベートでやることが増えただけですよ」
臨時職員として勤務している図書館からの帰り際、同僚のおばさま方の茶化しに何気なく返すと、俺はただ家路を急ぐ。 草だけが生い茂る田んぼの真ん中をそこそこ値が張ったバイクで景気よく駆け抜け、辿り着いた駐輪場で顔なじみの人々に通りすがら挨拶をかわすと、見慣れた古臭い平屋に足を踏み入れていく。
「ただいま、リーリアいるかい?」
かつてはため息と共に無言の帰宅を繰り返していたが、リーリアと実質的同居状態となった今、彼女に余計な心配をさせぬ為にも明るい帰宅の挨拶を心がけていた。
しかし、いつもなら明るい迎えの声があるはずが返事がなく、咄嗟に異世界の様子を映す窓へと視線を向けると、そこには明かり一つ灯っていない。
代わりとばかりに窓際に置かれていたのは、回答が終わって採点を待ち侘びる答案だけ。
「今日は仕事か、まぁしょうがないか……」
狩人を生業としている以上、生活も不安定で当然だと俺は自分に言い聞かせると、PCを起動した後、冷蔵庫の中から彼女が食べてみたいと言っていた魚を引っ張り出して今日の料理の下準備を始める。
きっかけは昨日、彼女の暇潰しの為に渡した一冊の図鑑。
リーリア曰く、自分が住む世界には纏まった水が溜まるところなど大樹の内部以外存在しない。 故に魚などという生物は見たことが無いという話から始まり、一体どんなものなのか食べてみたいとねだられた結果、俺が再び長々とコンロの前に立つ羽目になっていた。
「海どころか小さな川すらないなんて……、一体どんな世界に住んでいるんだあの子は……」
今まで培ってきた常識が全く通用しない相手と世界に、好奇心と疑問を共に強く抱きながらも、今は彼女の為の支度をさっさと済ませてしまおうと、レシピを睨みながら材料の有無を注意深く確認する。
今日作る予定の料理は鮭のムニエル。 俺のような普通の人間と味覚が似通っているのなら、バターや香辛料が効いた料理はきっと旨く感じてくれるだろうと考えた故。
だが、起動していたPCからメッセージの着信を知らせる電子音が鳴ると、一旦下ごしらえを中断してディスプレイを覗き込む。
メッセージの送り主は数日前、異世界との接続とやらの実験放送を閲覧していたメンバー。 オンラインではヒノクマを名乗る、古くからのネット上での友人のひとりだった。
「飛鷹さんいるかい?」とネット上での俺の名が手短に書かれたダイレクトメッセージに応じるがまま、俺は談話室と指定された部屋にインすると、リアルと比較すれば気安い口調で呼び掛ける。 現実でこんな気軽に会話を交わせる相手とは久しく会っていない。
「よぉクマさん珍しいな、こんな時間からインしてるなんて。 診察はどうしたんだ?」
「ちょっと家庭内で野暮用が色々出来ちゃってなぁ、医院にお願いしてちょっと休みを取らせてもらうことにしたんだぁ。 俗に言う子育て休暇ってやつなのかなぁ、うん」
即座に返ってくる温和で野太い声。 普段殺伐とした現場にいるとはとても思えないのんびりとした語調が、同僚の口やかましいオババ様連中に罵られがちな俺に癒しをくれる。
「ところで飛鷹さんこそ、最近ご無沙汰みたいだけど何かあったのかい? ちょっと心配してね」
「ああまぁ……こっちも色々ありましてね……、ところでこの間の実験の結果ってどうなりました? 異世界の何だのって」
「え!? あ~俺にはちょっと分からないなぁうん……途中で中継止まっちゃったしなぁうん……失敗したんじゃ無いかな~?」
「はぁ、そうですか」
リアルでの近況を確認し合うも、途端に俺もクマさんも同時に挙動不審となり、曖昧な言葉を返しあうに至る。
何かがおかしい。 俺も、そして恐らくクマさんも同じことを考えたのか、短い沈黙が互いの間に流れる。
だがそんな沈黙も、クマさん側から聞こえてきた幼い声が無邪気に打ち破った。
「パパ~、もこもこにおかしあげていい?」
「駄目ッ! 本当に食べさせて大丈夫かも分からないから!」
「もこもこ? 新しく犬か猫でも飼ったんですか?」
「ええうん! そんな感じ! うん! ガキンチョ共が騒がしくなったからちょっと落ちるなぁ!」
「え? ああはい、子守お疲れ様です」
自分から接触してきたにも関わらず一方的に通話を切られたことに俺は思わず苦笑するも、ある種の確信を得て席を立った。
「……何か出会いがあったんだな、あの人も」
世界は思ったよりも狭いのだと、クマさんがオフラインになったのを見届けてながら噛み締めると、夕飯の支度へ再び着手する。 一人だったらいくらでも予定は変えられるが、少なくとも今は独りではない。
「ただいま~! レイジくんいる?」
「あぁ先に帰ってたよ、今日も無事で何よりだ」
フライパンでバターを溶かしている最中に窓の向こうから元気な声が聞こえてくると、俺は眦を緩めながら軽く手を振って迎える。
「飯ならもう少し待ってくれ、昨日君が食べたいって言ってた奴を用意している途中だから」
「本当? 楽しみ!」
すこし焦がしたバターの醸す良い薫りに惹かれ、窓のそばまで寄ってきたリーリアへ伝えると、彼女は満面の笑みを浮かべながら席に座った。
そんな影一つ無い笑顔に、俺も軽く笑みを浮かべて返すと、質問するにはよい機会だとフライパンを振りながら問う。
「なぁリーリア、ここ以外に別の世界と繋がったって噂を聞いてないか?」
「うううん? そもそも他人と顔を合わせるなんて滅多に無いし。 ……でもどうして?」
「ああいや、ちょっと気になったんだ。 こうやって知り合ったのは世界で俺達だけなのか、なんてな」
俺から投げかけられた新たな疑問に、リーリアは彼女なりに難しい顔をして考え込む。
だが、すぐにまた朗らかな笑顔を浮かべると、俺の顔をジッと見つめながら口を開いた。
「分からない。 でも、私達以外に誰も出会っていないと寂しいから、きっと他にも良い出会いをした人はいるって私は思いたいな」
「寂しいから……か……」
論理的には何の意味も成さないが、リーリア自身の人柄が滲み出たような言葉。それを聞いて俺は思わず微笑んで返すと、ちょうど焼き上がった料理を皿に盛り、彼女の前へ差し出した。
「ほら出来たぞ。 冷めないうちに食べようか」
「ありがとう! いただきます!」
芳ばしいバターの薫りが食欲をそそる出来たてのムニエルを、初めて食べるというのにリーリアは臆さずフォークを突き立てていく。
無垢という言葉が身体を成したような、彼女の笑顔と仕草。
それを見て俺は“偶然隣人になってくれたのがこの娘で良かった”と仄かに思い始めていた。
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