第4話 ~欲なき善意のお返しに~

 比喩では無く、文字通り空を覆うほどに生い茂った人間より巨大な枝葉の間を、一筋の金色の風が弓を携えて疾走する。


 数時間前、異世界に住む青年に温かな感情を傾けていた者とはとても思えぬ殺意を醸す女狩人リーリア。 彼女の視線の先には、音も無く滑るように木々を渡る化け物の姿があった。


 レイジが住まう世界の生物で例えるなら、タコに甲虫の殻を被せたような外見をした醜悪な怪物。 それは追っ手であるリーリアの存在を察知すると、彼女の細い首をへし折らんと一斉に触手を振り乱し、大気を引き裂く。


 単に彼女へ害を加える目的のみならず、牽制として放たれた打撃により、樹齢が幾つあるかもしれない太い枝が耳障りな音を立てながらへし折られ、リーリアの足場となり得るものが次々と失われていく。


 もっとも、この程度の反撃があることを既に見越していたのか、リーリアの対応は早かった。 へし折られ、眼下の闇へ落ちようとした太い枝に浮遊の魔法をかけると同時、化け物に向けてそれを放つ。


 打ち棄てられるだけのゴミから暴力的な質量の矢へ転じたそれは、たちまち化け物の目と心の臓を貫き、勢いそのままに巨大な木の幹へ磔にした。


「神様に逢ってきなさい、生まれるべきでなかった者よ」


 死亡確認とトドメを兼ね、念入りに心の臓と脳に相当する臓器に向かって無慈悲に矢を撃ち込みながら、リーリアは冷徹に呟く。 そしてこの種の怪物を仕留めた何よりの証拠である嘴を引き抜くと、括り付けたロープで引っ張りながら家路を急いだ。


 大の男ですらとても持ち上げられないような超硬質の骨の塊がロープで巻かれた瞬間、そよかぜに吹かれたタンポポの綿毛のようにひとりでに浮き上がり、枝葉の間を飛び回るリーリアの背中を追って飛ぶ。


 物理的には決して有り得ない現象であり、レイジが目撃すれば間違いなく驚嘆するような光景であったが、リーリアにとっては慣れたもので、家に辿り着くなり倉庫の中へそれを放り込むと、誰もいない家の中に向かって一人声をかけた。


「ただいま、今日も無事に帰ってきたよ父さん」


 彼女の声の先にあったのは、以前レイジに見せてやった萎れた生首。 この世に残る唯一の肉親の痕跡へ帰宅の挨拶をし、リーリアはようやく纏っていた殺気を解く。


「ふぅ、これで依頼されていた分の仕事はおしまいね」


 魔法により極めて精巧に描かれた手配書に印を刻み、間違いなく課せられた仕事を終えたことを確認し終えると、彼女は手にしていた物騒なものを部屋の片隅へと投げていく。


 今までなら、次の仕事が舞い込むまで時間を潰すだけの退屈な日々に戻るだけ。


 でも今は一人ではない。 奇妙な隣人と共にあるのだと、リーリアは西側にはめ込まれた窓の方へ自ら歩み寄っていった。


 名も知らぬ世界と繋がる門と化した窓を通して、魔法という恩寵が存在しない残酷で救いのない世界を再び覗き込む。


 そこでは半日前、長々と言葉を交わした青年が見られているとも知らずせっせと運動に励んでいた。


「18950...18951...18952...」


 常人ではこなせるはずも無い回数のトレーニングを易々とこなし続ける異様。 このまま放っておいたらいつまでもやり続けてしまいそうな不安に駆られたのか、リーリアはおずおずと声をかけた。


「あのレイジ君……何をやってるの……?」

「何をやってるも、君に貰った奴を喰ってからエネルギーが有り余ってしまってな。 ずっと身体を鍛えていたのさ。 いやぁ凄いなあれは」

「う……うん……まあね……」


 自分達が摂取した時とは比べものにならない事態になっていることをひとまず呑み込み、リーリアは心の内を気取られないよう生返事をする。


 すると、息を荒げるどころか汗一つ流していなかったレイジは微かに笑い、昨日と比べると多少気安めに椅子を窓のそばまで寄せ、世間話でもする体で口を開いた。 運動をしてリフレッシュしたせいか、今日は不器用な野郎の方から積極的に話題を切り出す。


「しかし怪我が無くて良かった。 狩りと聞いて少し心配をしていたんだ」

「ふふっ、体が大きいだけの獣なんて私の敵じゃないわ。 小さい頃からずっと相手取ってきたんだから当然よね」

「小さい頃からって、君の世界の学校ではそんなことまで教えるのか?」


 また己の知らないことを知れるのかと、好奇心を露わにするレイジ。 しかしその問いをリーリアが耳にした途端、彼女の表情が初めて不満げに歪んだ。


「お貴族様の子供でもないのにそんなところ行けるわけ無いでしょ? 私達のような下々のものは化け物に殺されないようにするだけで精一杯なんだから」


 それの何がおかしいのかとリーリアが逆に問い返すと、レイジは少し考え込んだ後に言葉を選びながらおずおずと改めて問う。


「リーリア、君は字の読み書きは出来るかい?」

「字を読める人なんて偉い人達とその子供達くらいしかいないけど、魔法さえあればそこまで困ることもないし気にしたこともないわ」

「そうか……お偉方だけが教育をねぇ……」


 リーリアの言葉を聞けば聞くほど、レイジが黙って考える時間が長くなっていく。 そんな少し重たい沈黙にリーリアが耐えかねて何か別の話題を振ろうとした瞬間、レイジは手振りでそれを制した。


「なぁリーリア、もし俺が君に文字を教えてやれると言ったらどうする?」

「私に……字を……?」

「そうだ、こんなタフな身体にして貰ったお礼を俺にさせてくれ。 何でも貰いっぱなしってのはあまりに不公平だろう?」

「でも貴方に私の世界の文字なんて……」

「それについてもいいアイデアが浮かんだのさ。 全部俺に任せてくれよ」


 戸惑うリーリアを前に、レイジは自信ありげに笑う。 そこに今まで彼女に見せていた微かな疑いの気配はなく、ただただ親切心のままに振る舞う温和な青年の姿があった。

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