3. Somewhere Nowhere
結局、私は不破嶺衣奈の犬になることにした。
当初の計画は見事なまでの失敗。不破嶺衣奈にはもっと慎重に近づくべきだった。
「あんたの話は新聞配達から聞いていた。情熱的なまでに女を虜にする詐欺師の存在――。悪い奴らとはつるむべきだな。こうしてあんたに会うことができたんだから」
社長室で少し聞いたところによると――どうやら不破嶺衣奈は、倫理に挑もうとしているらしい。
研究所を案内しながら、隣を歩く不破は私に問いかけた。
「志田狭周子、同性婚についてどう思う?」
「同性婚、ですか? そうですね――同性同士の恋愛の可能性を国の制度として担保されてるというのは、仕事としてはやりやすいところです。……家族になる、ということはいまでも特別な意味を持つと思いますし、異性にひどい目に遭わされた経験のあるひとが、その特別さを同性婚に求めるようになることもある」
「なるほど、詐欺師らしい見方だ。では同性婚のメリットは?」
「先ほども言いましたが、家族になれることでしょう。法律上の『親族』になりますから」
「ではデメリットは?」
「ありません」
「素晴らしい、私もそう思うが……同性婚ではひとつだけ、異性婚と決定的に違うところがある」
「――夫婦間で、子供を作れないことですね」
「その通りだ」
そして不破は、ある部屋の前に止まった。
「ここだ。ただの資料庫だからそのままでいい」
指紋認証で鍵を開け、不破が部屋に入る。私もそれに続いた。
薄暗い資料庫で、不破はあるファイルを見せてきた。
サルの写真と――これは、顕微鏡で見た受精卵? 実験と記録の写真がいくつもあり、写真の下にこんなキャプションを見つける。
『編集精子と卵子の人工授精により生まれた同性子のカニクイザル』
これは――
「私たちは、女性の遺伝子を取り込んだ、編集可能な人工精子、及び卵子の開発に成功した。つまり同性同士で、子を生すことができるようになる」
私は驚きを隠せなかった。まだどこの誰も作れていない、それは禁忌的な技術だ。
「メンデル社はここまでの研究を……」
「私はこれを、当たり前に使える世界にしたいと思っている。そのためにあらゆる根回しが必要だ。安全性の証明、法改正に認可。……きっと十年そこらでは済まないだろう、それくらい険しい道のりだ。しかし同性愛に関する事情や世間の見方だって急速に変わっていった。風向きは悪くない。同性婚が認められて以降、未婚率は少しずつだが改善している。もちろん婚姻制度を『利用する』という向きも強いが……。しかし子を求める同性婚者は数多くいる。出生率が下がり、日本の経済が脅かされるいま、この技術は同性婚に新たな意味を持たせる」
「……夢のような話だと思います。家族のあり方がまた変わるかもしれません」
「その通り。だからまずは種を蒔きたい」
「…………」
「この技術が欲しいという人間を増やす、それから――この技術を、無認可の状態で使わせる」
「使わせる……使わせるんですか? この人工精子を」
「そうだ」
「誰に?」
「いまの第一政党、
「――は? どうやって?」
「それは君に考えてもらう」
「…………」
ようやく――不破嶺衣奈の目的が読めてきた。
「田場之は同性愛者、でしたね」
「そうだ。そして大臣時代に人工授精にや不妊治療への保護強化を進めた人物でもある」
「なぜ田場之に?」
「田場之は時期首相候補だ。彼女にこの技術が伝われば、いずれ厚生労働大臣の人事に便宜を図ってもらえるかも知れない」
「随分と……回りくどいやりかたをしますね。この技術が実際のものなら、いくらでも欲しがる人はいるでしょう」
「そもそもこの技術は、おそらく発表するタイミングも、発表する場所も大事だ。ただでさえ悪評の立つ我々メンデル社がいま発表するのは、得策ではないと考えている」
「…………」
「法律が変わり、風向きを読んで、一気に発表したい」
つまり政治レベルで、この技術を発表するための働きかけを行おうと言うのだ。そして政治家の後ろ盾も欲しいのだろう。
「まずこの技術を使うにあたって、邪魔な法律を軒並み解決しなくちゃならない。発表するよりも前に、だ。腐っても、命党は不動の第一党だ。本来なら他の政党にも根回ししたいところだが……まずは、ということさ。詐欺師の君なら、きっと国も虜にできる」
「私はただの詐欺師です。政治的な駆け引きに私を使うのは無謀では?」
「政治的な駆け引きではメンデル社は不利だ。当然名前の知られた私も――。私は金を積んで政治家に取り入るだけでは、この技術を世間に持ち出すのは到底無理だと考えている。いずれ世間の逆風が吹いて政治家連中がうちを槍玉に挙げて足を切ろうとするのは目に見えている。だから――この技術が広まるための要は『子孫を残したい』という根源的な感情に他ならない。その感情を広めるために君のような詐欺師が必要なんだ」
あまりに長大な計画だ。私はさすがに頭を抱える。
――たかだか恋愛詐欺師にこの役割が務まるのか?
「自分にこんなことができるのか? と君は考えているな」
「――顔に出ていましたか? これじゃあ詐欺師失格だ。私をお払い箱にしてください」
「おくゆかしいことを言うじゃないか。『新聞配達』も、君を高く評価していたよ。魔性とは君のことを言うのだと」
「私を売った詐欺師だ。彼女にとっては、私も情報だったのでしょう」
「違うよ。彼女は君を売ったりしていない。もともと協力者で、私は今回の計画を相談していたのさ。そして君が適任だと言われた。――君が私を詐欺に掛けようとしていたのは、全くの偶然だ。たまたま運良く、巡り合わせたのさ。だから私は君の力量を見たかった。君がひとをどのように詐欺にかけるか、見ておきたかった。だから新聞配達が君を売ったと言うのは、彼女の名誉のために否定しておこう。――君だって、本当は彼女を信頼しているのだろう? 新聞配達にはまだ動いてもらう必要があるし、君とも協力が必要だろう。私は仲良くしろと言える立場にないが、一度連絡してみたまえよ」
「……まあ、考えておきます。それじゃあ私は、田場之と接点を作り、取り入るよう試みます。社名と社長の名前は出しても良いんですか?」
「もちろん構わない。あんたの名刺も作っておこう」
「私は平気で嘘をつきますよ。この会社のあることないこと、田場之に吹き込んでもいいんですか?」
「技術的な……実現できないこと以外なら好きにしてくれ」
「……分かりました」
「随分と――従順じゃないか。もう少し詐欺師としての気概を見せてくるかと思っていたが」
「騙しても得がない相手というのはどうしてもいますから。――それにあなたの話に乗った方が、詐欺師としては面白そうでもあります」
「ふふふふふ、頼りにしているぞ、志田狭……いや、名前は志田狭周子で良いのか?」
「志田狭周子で構いません。今はあなたしか知らない名前だ」
「では周子、よろしく頼む。もちろん報酬だって用意する。金なら概ね言い値で。それ以外でも実現可能なものであれば、なんでも」
「そんな破格の条件ならば、尚更都合がいい。――報酬は考えておきます」
――従順だ、なんて自分でもそう思う。
だが今は従順で良い。
当初の計画は失敗したが、それでも私はまだこの詐欺に負けていないからだ。
なぜなら私の目的は金じゃない。私は彼女を騙したい。それだけが今も目的なのだ。
「それでは――墓の下まで付き合ってもらうぞ、志田狭周子」
私の目的を知ってか知らずが、あるいは私が詐欺師としてまだ腐っていないことを、彼女は気付いているかも知れない。
それでも私は、やはり平然と嘘をつく。
「もちろん。……健やかなる時も、病めるときも」
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