すべては所詮、愛の偽物。
立談百景
1. love letter
「あなたはこんな私を信用しなくてもいい。でも私には信用できる人が、もうあなたしかいないの」
目の前の女に、私は囁く。
二十六回の逢瀬、十三回の
彼女は私のことをやり手の女性起業家として見ている。
――恋愛詐欺師。私はそれだ。
金を持っている女を見つけて
今回の女から、私は最終的に一億円ほど金をもらった。起業した会社の取り急ぎの運転資金という名目だ。それまでに彼女に対して掛けたこちらの金子は一千二百万円ほど。
そしてここが重要だ。
私は彼女に受け取った金のうち、七千万円を返済した。手元には三千万ほど残り、最終的な利益は一千八百万ほどになる。
そしてこれ以上は返せないかもしれないと泣きつき、彼女が「いいのよ」と許してくれたところで、姿を消す。私は彼女の中の思い出になる。
そんな詐欺が上手くいくのか?
上手くいくようにするのが詐欺師の領分だ。
小さな詐欺から大きな詐欺まで――私がこれまでにもらった金はおよそ数億円には上るだろうか。愛を与えた、それが見返り。
もちろん金も大事だが、しかし何も知らないまま私を「本物」として見つめる女の瞳に、私は何よりも悦びを覚える。
私は女を騙す、女の詐欺師だ。
――同性婚が法的に認められて、十余年。
結婚という行為は少しずつその意味や目的を変えながら、しかし変わらずに人が社会を形成する上で重要な意味を持っている。
税金対策としての同性婚、互助関係のための同性婚、性別を区別しない結婚は、生存戦略的な意味だって持つ。結婚と愛は、こうして明確に制度と慕情に区別された。
そうして結婚詐欺も多様化、高度化した。男が男を騙し、女が女を騙す。或いは愛を嘯き、或いは単なる儲け話として。
いまは社会が大きく変質する過渡期だ。――詐欺師にとっては動きやすい。
そして私はいま、新たな女に狙いを付けた。
新興の遺伝子ビジネスベンチャーの起業家。潜り込んだ別の企業のレセプションパーティーで彼女を見つけた時、私は彼女を最後のターゲットにしたいと強く思った。
正直に言えば、彼女はひどく魅力的だったのだ。針か花か、凜然とした佇まいは美しすぎるほど美しく、力強かった。
彼女を騙せたらどんなに気持ちがいいだろう、なんて。
欲が出た。冷静さを欠いた。
本当に――詐欺師失格だ。気持ちを優先して標的を選ぶことは、これまでになかったのに。
彼女をみつけ彼女のことを調べ、会社を調べ周りを調べ、数ヶ月後、そして私は再び彼女と相見えることになった。
「不破嶺衣奈社長? 初めまして。私はこういう者です。あなたの新しいビジネスに、大変な興味が」
とある企業の周年記念のホテルのパーティー会場の片隅、ひとりでつまらなさそうにシャンパンを飲んでいた不破嶺衣奈に私は声をかけ、名刺を渡した。
「トリスタンパートナーズ……」と、彼女はその切れた美しい瞳で、私の名刺に書かれた会社名をなぞる。ベンチャーキャピタルとしてはそれなりに名が通った実在の会社だが、もちろん名刺は偽物である。会社名と住所、そして肩書きと名前だけが書かれた名刺。本当に必要な場合だけ連絡先を書き入れるという、実に傲ったビジネス慣習を持つ会社だ。
「
冷たそうに見えた彼女が、すっと微笑む。
「ええ、構いません。――ここは少し騒がしいですね。外にいきましょう」
私たちは持っていたグラスを起き、会場の外に出た。
「早速ですが――志田狭さん。よく私のことをご存知でしたね」
会場の外のラウンジソファに向かいあって腰掛けて、不破嶺衣奈は早速そう切り出した。それは性急な性格というよりは、どこか神経質そうな物言いにも聞こえた。
彼女の会社「メンデル・ゲノム・エディティング」は、植物や動物の遺伝子にまつわるビジネスを行っている会社だ。必要な遺伝子を残し、先天的な病気を回避し、繁殖力のある有能な遺伝子を作り上げる。要するに、デザインされた動植物を生み出すための企業である。
「もちろん——知らない、なんて言う方が失礼でしょう」
時代の寵児のあなたを……なんて言い方は好まないだろう。私は口をつぐむ。
私の詐欺の標的は、いつもある種の富裕層だ。女性の躍進――なんて言葉が旧時代のものになった現代において、女性の富裕層の多くは起業家、投資家、経営者などである。
この階層にいる人間に馬鹿はいない。しかし気位が高い人間が多いのもまた事実だ。
私は彼女のビジネスの先進性を称え、業界への寄与や業績を諳んじて見せる。
……しかし、どうにも固い印象だ。彼女は薄らと微笑みを湛えるばかりで、こちらの話の何かが刺さった様子はない。
よほど人を見る目に厳しいらしい。それもそうだろう。メンデル社のビジネスは、世間的にも逆風が大きい。主に倫理の面で取り沙汰されることも多く、いくつもの企業がメンデル社に近づいては、離れていったと聞く。
「――本題ですが」
ビジネストークもそこそこに、私は話を切り替えた。まずは彼女に取り入らなければならない。私は入手していた、ある情報を提示する。
「メンデル社では近頃、カルタヘナ法の緩和のため、ロビー活動に力を入れているとか」
私の言葉に、初めて不破嶺衣奈の顔色が変わった。
この話は詐欺師グループのつてで知ったものだ。カルタヘナ法は生物遺伝子の組み替えを規制する法律で、その緩和についてをある政治派閥への働きかけているが、難航しているらしい。
「トリスタンはそんなところまで調べているのですね。――その通り。我々はゲノム編集と遺伝子組み換えについて、民間企業が営利目的で生物に行えるよう、法改正を働きかけているところです」
つまり、メンデル社の次のビジネスは倫理の先に行こうとしているのだろう。
――次の一手を間違えると、取り返しがつかないだろう。彼女のビジネスがどういうものか、理解を示さなければならない。……だが残念なことに、彼女がカルタヘナ法をどうにかしてまで進めたいビジネスの正体は掴めなかった。されを探るためにボロを出せば、どんどん不信は募るだろう。嘘を塗り固めるうちに身動きが取れなくなるなんて、詐欺においては素人のやることだ。
だから私は、詐欺で重要なのは正直であり、真摯であることだと考える。余計な嘘はつかず、目の前の人物をよく見て、よく理解して――愛さなければならない。
「誤解が無いように申し上げると、実は、私はあなた方がどのようなビジネスを新しく行おうとしているのか、存じ上げません」と、私は正直に伝えた。
当然、不破嶺衣奈は怪訝そうな顔をする。
「こちらのビジネスの中身も知らないのに、投資を?」
「知らないからこそ興味がある。なんていうと、投資家としては信用ならないでしょうが。……メンデル社のこれまでの実績や技術力を見ても、法改正をしてまで進めたいというその遺伝子ビジネスの、最初の投資者になりたいのです」
「――理解に苦しみます。我々のことを理解せず、そのような……」
「私はあなたを理解しているつもりです」
と私は言葉を遮った。
「不破嶺衣奈さん。あなたが望んでいるのはカルタヘナ法の緩和じゃなく、撤廃なのでしょう。あなた方の研究を浚うと見えてくる」
メンデル社は設立から十年に満たない若い会社だ。最初は遺伝子組み替えを用いた植物の品種改良から始まり、遺伝子同士を掛け合わせた研究用ハイブリッド植物の開発、繁殖に向いた養殖魚のゲノム解析と識別、そのノウハウの販売、それらを応用した畜産業への進出と、表向きは全うに、法令にも倫理にも則り、遺伝子工学を用いたビジネスを行っている。
それでもメンデル社が槍玉に挙げられるのは、ビジネスとは直接関わりない研究や、特許の取得にある。
「枝の違う動物同士の遺伝子を掛け合わせたキメラ家畜プラントの特許、繁殖力を極限まで高めた植物を砂漠化地域に送り込む緑化構想、サルの受精卵のゲノムを操作し必ず四つ子を産ませる技術理論――どれもこれも、およそ倫理的とは言えないでしょう」
「…………」
「だからこそあなたには、もう見えているはずだ。電子顕微鏡の奥には、まるで家の壁紙を変えるように、誰しもが遺伝子を自由にできる時代がくることを。……あるいはあなたにしかそれは見えていないのかも知れない」
私はそこで、彼女に渡した名刺を今一度拝借し、万年筆を取り出した。
「――これまでの歩みは、まるで孤独な旅でしたね。あなたのビジネスの目的地が現在の倫理を超えた先にあることを、私は理解しているつもりです」
そして名刺の裏面に、電話番号とメールアドレスを走り書きする。
「私がお供しますよ、不破嶺衣奈さん。融資はすぐにでも可能です。政治家に取り入るには何かと必要なものもおありでしょう? お望みであれば、私が個人的に帳簿に載らない数字を用意することもできます。――まあまずは、お友達からということでも構いません。書いたのは個人的な番号です。ぜひ一度、お食事でも」
不破嶺衣奈に名刺を返し、そのまま私は立ち去るつもりで、椅子から腰を上げた。
しかし彼女は私に一言、ある問いかけをした。
「――あなたは墓の下まで、付き合ってくれるんですか?」
不破嶺衣奈は試すような目で私を見る。
そして私は平然と嘘をつく。
「もちろん。……健やかなる時も、病めるときも」
彼女の目を流し見て、私はその場をあとにした。
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