二話 「影あるところに正義あり」 ②

 太陽機関 本部




 桐谷創太は、太陽機関の梅印銭闘員。

 年齢は十二歳。両親は二人とも太陽機関の幹部職。

 彼は、生まれながらにして『価値のある存在』だった。


「おい、創太。どうだったんだ、昨日は」


 太陽機関本部のエントランスで、並べられていたアクリルベンチに座っていた創太に話しかける男が一人。


田坂たさかのオッサン!」


 男は、創太と同じ梅印銭闘員で、創太の身長の丁度二人分の巨体。

 創太は声に明るさを滲ませて立ち上がった。


「駄目だった! なんか強そうだったんだけどなぁ……」

「アレ? お前……聞いてねぇのか?」


 田坂と呼ばれた男は眉を曇らせる。


「何を?」

「川崎の嬢ちゃん、『何が何でも銭闘員にしろ』って上から指示されてたはずなんだが……」

「え? 聞いてねぇよ? 初耳」

「……また連絡ミスか。仕方ねぇな、この組織は」


 太陽機関に限った話ではないが、この世界の連絡手段は無数に存在しているにもかかわらず、上手く人々の情報伝達がなされているわけではない。

 インフィニティのおかげで生活に対してかなりの余裕があるということが、人々の怠慢を生む。

 組織などまともに機能しているはずもなく、存在するだけで『価値』があった。


「でも……なあ、何であの姉ちゃんがそんなに必要なんだ?」

「奥宮の学生は、『奥宮の学生』ってだけで価値が付く。だが、その中でも『推薦組』は特別だ」

「『推薦組』?」

「奥宮学園長が自ら欲したギフターの子どもさ。そして、そのうち更に何人かは、将来的には『松印』にもなり得る逸材なんだ。嬢ちゃんはその推薦組の中でも、同年代で一番のエリート。早くから銭闘員になってもらう必要がある。その方が、価値が上がりやすいからな。……お前、もう一回行って来いよ?」

「マジかー……。ま、それが『正しいこと』なら、俺も何とか言うこと聞かせてみるよ! どんな手ぇ使っても……な!」


 創太は星華のギフトに負けるつもりは全く無かった。

 彼の抱いている自信……それも彼の『価値』を高める要因になる。

 創太は、伸びをしながら表情を緩ませていた。



 午後 花水木公園




 この日の星華はプールで泳ぐ気にはならなかった。

 元々遊泳は彼女の趣味の一つでしかなかったが、最近は特に凝っていたので、この花水木公園にいる時間も長くなった。

 公園内をぶらりと散策していた星華だったが、彼女は先日の誠一のことを思い出していた。



『なんか困ってることあんの?』



 確かに彼女は困っていた。

 昨日は適当に創太を追い払ったが、最近はしつこく太陽機関から勧誘を受けていた。

 勧誘というよりは、もう命令に近くなっていたのだが。


「……はぁ」


 大きく溜息を吐いても誰かが反応してくれるわけではない。

 『黒子』がいるとはいえ、本当は彼女も孤独感を感じており、『学校へ行こう』という誘いの方は悪く思っていなかった。

 ただしプライドがどうしても邪魔をする。

 彼女は溜息交じりに自嘲した。


「何だ、疲れてんのか?」

「……!」


 星華に背後から話しかけたのは創太だ。

 田坂に言われて、二日続けて訪れたのだ。


「? そういうわけじゃない?」

「……何しに来たの?」

「昨日と同じさ! なあ、考え直したりしてねぇか?」


 星華は二度目の大きな溜息を吐く。

 だが、今度は目の前の少年が反応する。

 創太は眉をひそめた。


「私の意思は変わらないわ。帰って頂戴」

「……しょうがねぇなぁ……」


 どこからともなく、創太の右手に鞭が出現した。

 iウォッチを使ったわけではない、彼のギフトだ。


「え? 何?」


 創太は突進する。


「オラァァッ」

「!? キャアッ」


 創太は鞭で思い切り星華に殴りかかった。

 残念ながら彼女はギリギリで躱したが、鞭が撃ち付けられた地面では石畳が抉られていた。


「ちょ、ちょっと! いきなり何すんのよ! 馬鹿なの!?」


 抉れた石畳を見て星華は激しく動揺する。

 彼女はしゃがんだ姿勢になって声を上げた。


「いや、だって言うこと聞く気なさそうだし……」

「だからって、いきなり攻撃することないでしょう!? 脅迫って知ってる!?」

「? 何だそれ?」

「あのねぇ……」


 星華は頭を抱えながら『黒子』を呼び出した。

 やり合う必要があると考えたのだ。

 ズズズと音を立てながら黒い人影が集まる。


「ヴオオオオオオオ」


 昨日見せた巨人の怪物だ。

 しかし、初見ではない創太はもう怯まない。


「私に言うことを聞かせたいなら、この子を倒すことね!」


 星華は既に勝てる気でいる。

 実際、怪物の大きさは創太の十倍以上はある。

 ただの人間なら相手にならないことは明らかだ。

 しかし――。


「俺の『正義』を舐めるなよ」


 創太は大きくジャンプした。

 とても、普通の人間に出来る跳躍ではない。

 それは、銭闘力が高いからこそ出来るものだ。


「うおおおおおおおお」

「ヴオオオオオオオオ」


 鞭が大きく伸びた。

 その巨体にも通じるほどの大きさだ。

 これも、とても人間に持てるような大きさではないのだが、銭闘力というエネルギーは不可能を可能にする。



 バッシィィンッ



 鞭が巨人をねじ伏せる。

 音を立てて巨人の『黒子』は倒れていく。

 公園の花壇やベンチ、石で作られた建造物などがそれによって潰されていく。


「うっそでしょ……」


 星華は冷や汗を垂らした。

 倒されることはもちろん、一撃で沈められるとは予想だにしていなかった。


「うりゃあああ! 参ったかあああああ!」


 そう叫びながら創太は着地した。

 『黒子』が倒れこむ衝撃で砂埃が舞う。

 砂埃を背後に創太はニヤリと笑った。


「何なのアンタ……」

「桐谷創太! アレ? 昨日も言わなかったけ?」

「そーじゃなくて……」

「話聞く気になった?」


 星華は一瞬目を閉じて考えた。

 だが、それでも彼女は頷かなかった。


「……嫌だ」

「えぇ……」


 星華は歯を食いしばっていた。

 強がりなのは見ても明らかだ。


「言ったじゃない、私の人生は私のモノなの。食べ物も、暮らす場所も、この世界では自由でしょう? なのに、生き方だけを縛られてたくはない。『私が』決めるの」

「わかんねぇなぁ……。そんな生き方に『価値』があんの? ……まあ、そういうことなら……」


 創太は鞭をしならせる。

 もう一度攻撃するという意思表示だ。

 先程声を荒げられたからか、今度は突然ではなく少しずつ足取りを進めて星華に近づいて行く。

 ゆっくり、ゆっくり。

 そして、大きく鞭を持つ腕を振り上げ――。


「オラァァァッ」


 叫んだのは、創太ではない。

 むしろ、創太は吹っ飛ばされていた。

 吹っ飛ばしたのは――。


「大丈夫か!? 川崎!」

「ふ、藤沢君……!?」


 誠一はたまたま星華に会いに来ただけだったのだが、運が良いのか悪いのか、タイミングが恐ろしく良くなってしまった。

 星華が襲われている場面に出くわした誠一は、彼女を助けようと全身を掛けて創太に思い切りぶつかった

……と、実はそういうわけでもない。


「藤沢君……どうして……」

「アイツは銭闘員だろ? 何で襲われてるんだ?」


 早口で尋ねる。

 彼の脳内では、既にプランが作られていた。


「いや、その……私銭闘員に勧誘されていて……。断ったら襲われたというか……。というか、何で藤沢君――」

「成程! そいつは大変だな! どうだろう川崎、俺があのガキンチョを追い払うから、代わりに学校に来る気はないか?」


 彼は一瞬で打算を思いついた。

 それが彼女を助けた理由だったのだ。

 あまりの勢いに星華は唖然とする。

 が、すぐに自分を取り戻す。


「……プフッ。どうするかを決めるのは私。貴方が追い払うことが出来たら考えてあげてもいいわよ? 藤沢君」

「……にゃろぅ」


 二人は微笑み合った。



 バサッ



 誠一に吹っ飛ばされて雑草に突っ込んだ創太が勢いよく体を出した。


「うがああああ! 何すんだいきなりコラー!」

「貴方が言う?」


 誠一は憎まれ口を叩く星華を庇うようにして前に出て、創太と向かい合った。


「俺、子どもと喧嘩する趣味はないんだけど。大人しく引き下がりなよ」

「うるせぇ! 俺には正義がかかってんだ!」

「正義? 何のことだよ」

「俺は正しいことをしてるんだ。だから、アンタは銭闘員になるべきなんだよ。断る方がおかしいんだ! 俺は間違ってないんだから!」

「意味わかんねぇんだけど……」

「だーかーらー! 太陽機関が正しいんだから、言うこと聞かなきゃ駄目だろ! 何で正しくないことするんだよ!」


 創太は半分癇癪を起こしていた。

 子どもらしい、自分の思い通りにいかないことで起こす癇癪だ。


「……『太陽機関が正しい』って、誰が言ったんだ?」

「正しくなきゃ価値がないだろ? 正義があるから価値があるんだ! だから俺達は強いんだ!」


 星華はもう理解する気を起こしていなかったが、誠一は違う。

 周囲の価値観がわからない彼は、彼なりにその価値観を読み解こうとしていた。

 たとえそれが子どもでも関係はなく、少なくとも、理解しようとするそぶりは見せていた。

 彼は顎に手を乗せる。


「……成程。つまり、アレか? お前は、この世では『価値の高さ』が絶対だと思ってる。だから、価値の高い銭闘員とやらを抱える太陽機関は偉い、と考えている。……馬鹿馬鹿しいな。自分のない奴ほど、長いものに巻かれたがる。ま、ガキンチョに言っても仕方ねぇか」

「お前だって子どもじゃん……」


 創太はムスッとしながら鞭をしならせる。

 誠一と戦う準備は出来ていた。


「で、川崎、お前は何で勧誘を断るんだ? メリットもデメリットも思いつかねぇんだけど」

「私は……他人の指図を受けたくないだけよ。……馬鹿馬鹿しい?」

「いや、そんなこと思わねぇよ。お前みたいに我の強い奴は好きだしな。……お前は自由に生きるべきだ。その方が人間的だ」


 星華は、生まれて初めて自分を肯定してもらった。

 両親が健在なら、この年までに一度も自分を肯定されないなどということはあり得ないのだろうが、彼女はずっと一人で過ごしてきたので、その経験が無かったのだ。

 彼女の瞳に、輝きが灯った。


「……よくわかんねぇ! ああもう! メンドくせぇから、もうお前もボコすからな!」


 創太は二人の会話を聞き飽きたのか、もうゆっくり近づきはしなかった。

 勢いよく、誠一に向かっていく。


「わ! ちょ、ちょっと待て!」

「問答無用! 正義執行! うらああああ!」



 バシィィンッ



 誠一は鞭で思い切りしばかれた。

 そのまま先程の創太の様に雑草の中へ吹っ飛ばされる。


「藤沢君!」

「次はアンタだ!」


 目的を忘れ、ただただ二人を襲うだけになってしまった創太。


「待て!」


 誠一は吹っ飛ばされて倒れこみながらも、雑草がクッションになって衝撃を和らげることが出来た。

 だが、ダメージは十分に負っている。


「ぐ……クソ、話し合いのできない奴は嫌いだ……」

「待てってなんだよ!」

「……だから、そいつをやる前に……俺をやれって……言ってんだ。ハァ、ハァ……」

「藤沢君……」


 殴られた腹部を抑えながら息を整えようとする。

 彼に創太を破る程の力はない。

 だが、飛び道具を使えば話は変わる。

 彼は痛みを堪えて創太を倒す算段を思案した。


「お前一体何なんだよ……」

「藤沢誠一……気軽に下の名前で呼んでくれ……ハァ。ぐぅ……俺を倒したら……ハァ……そいつ連れてっていいから……だから……俺と戦え……ガキンチョ」

「藤沢君!?」


 焦る星華を手で制しながら創太の反応を窺う。


「……そういうことなら……わかった! じゃあ勝負だ!」


 創太は素直な性格をしていた。

 鞭を構えて誠一の出方を窺い始める。


「……ハァ、ハァ……その……前に……話が……あんだけど……」

「ま、満身創痍じゃない……」


 痛みは遅れてやって来る。

 誠一は、創太から貰った一撃で既に意識が飛びそうになっていた。


「何だ?」


 誠一は創太の下に寄っていく。

 明らかにもう後一撃加えるだけで倒れそうな誠一を見て、創太は彼の言葉を待とうとする。

 誠一は創太の目の前に立った。

 が、そのまま通り過ぎてしまう。

 通り過ぎ、創太の背後へ向かい、そして――。



 パァンッ



 創太が振り向こうとした矢先、破裂音が轟いた。


「え……あ、あああああ! いってぇぇぇぇ!」



 パァンッ



 さらにもう一発。


「うあああああ!」


 創太は倒れこんだ。

 両膝を抱えて立ち上がることが出来ない。

 彼は――両膝に銃弾を受けていた。


「いでぇ……いっでぇよぉ……」


 涙を浮かべながら悶えることしか出来ない。

 そこに蜂をさすように、誠一は拳銃の銃口を創太の額に押し付けた。


「正当防衛だ」


 誰もそんなことは聞いていなかったが、明らかにただの不意打ちだった。

 創太が素直な子どもだと判断した誠一は、卑怯にも油断を誘い、背後から拳銃を撃ち放った。


「ず、ずりぃ……」

「ずる……」


 味方であるはずの星華にまで引かれていた。

 しかし、誠一の耳には聞こえていない。


「おいガキンチョ、名前は?」

「き……桐谷創太……」


 銃口をグリグリと擦り付けながら誠一は尋問風に問い始める。


「そうかそうか……ハァ、ハァ……いってぇな畜生! 何なんだよその鞭は! おかしいだろ威力! ハァ、ハァ……撃つぞコラ!」

「も、もう撃ってるけど……」


 星華のツッコミも届かない。


「おい創太、お前、もう諦めたよな? 帰るよな? 二度と川崎の勧誘しないよな?」

「で……でも……ハァ……正義の為に……」

「正義もクソもあるか!」

「グボォ!」


 誠一は思い切り拳銃で創太を殴った。


「どうなんだ? 死にたいか? 生きたいか? 川崎のこと放っておくって約束すれば殺さずにおいてやる。さあどうする!?」

「し、死にたくない……」

「じゃあ約束するな!?」

「それは……ど、どうしよう……」

「じゃあ死ね」



 パァンッ



「藤沢君!? 何してるのよ!?」


 星華からは見にくかったが、銃弾は僅かに創太の額から外れた石畳に撃ち放たれていた。

 石畳には弾丸が貫通した穴が開き、煙が出ていた。


「外した」

「……」


 創太は息を飲んだ。

 誠一の外し方がわざとではなく、疲労から来るものに見えたからだ。

 今、自分が殺されていたことに気付いたからだ。

 彼は十二歳という若さで命の大切さを学んだ。


「わ……わかった! 約束! 約束する! だから……殺さないで!」

「……初めからそうしてろ。まったく……」


 誠一は呆れながら拳銃を離す。

 創太は恐怖で泣き喚いていた。

 誠一は創太の傍を離れると一息吐いた。


「……よし! これで学校来てくれるんだよな、川崎!」


 誠一は満面の笑みを星華に向けた。

 星華は唖然として、頷くことすら出来なかった。



 翌日 奥宮学園




「なんだ、制服似合うじゃん」


 星華は誠一の言った通り登校してきた。

 昨日の誠一の姿を見て、そうしないと嫌な予感がすると考えたのだ。


「当然ね。私ってスタイル良いし?」

「先輩どうやってこの人連れてきたんですか?」


 傍にいたレインが誠一に尋ねる。


「まあ、俺の想いが通じたってことだな。な!」

「そ、そうね……」


 星華は口元を歪めせた。


「あの子……大丈夫?」

「創太か? 大丈夫だろ、傷は治したし」

「……いや、あの傷は残ると思うけどね……」


 創太はその強さから、誰かに襲われることなど一度もなかった。

 昨日の一件がトラウマになっても何もおかしくないのだが……誠一は気にしていなかった。


「言っておくけど、私、貴方の言うことに従ったわけじゃないからね」

「ああ、もちろんだ。お前は自分のやりたいように生きるべきなんだ」

「……じゃあ、学校に来なくてもいいの?」


 誠一はフッと笑った。


「お前が今ここにいるのは、お前がやりたいように生きている一方で、俺もやりたい放題したからだろ? 違うか?」

「…………藤沢君って、怖い人ね」


 彼女は、誠一が目の前で少年を拷問の様に脅迫したことで、自分を間接的に脅しているのではないかと勘繰った。

 少なくとも、誠一は自分以上に自身の意志を貫こうとする人物だと彼女は理解した。

 結果的に目的を達成したのは、間違いなく誠一だったのだから。


「先輩、私の制服は?」

「は? 何?」

「いや、私の制服は『似合ってる』って言ったことなくないですか?」

「……だって、お前が制服以外の服着てるとこ見たことないし……」

「かぁーっ! 気の利かない男!」

「うざ」


 昨日の誠一の姿を見た星華は、二人のやりとりを微笑ましいと見つつも、どこか危うさを感じ取っていた。

 しかし、それを言葉にすることは無い。

 久しぶりに来る学園の校舎に目を移し、彼女はこれから自分がこの場所でどのように過ごすかを思案していた。

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