【書籍1巻発売記念】双子のタイムスリップ小冒険:3
フェリクスの屋敷はアグリッパ浴場からそう遠くない場所にある。
フーギは町の雑踏を歩いた後、こっそりと塀を越えて中庭に降り立った。
他の使用人や奴隷に見つからないよう、魔力体の実体を薄める。こうすれば存在感がとても薄くなって、よほど勘の良い相手でない限りは気づかれないのだ。
(ラス王子はどこだろう?)
フーギはきょろきょろと辺りを見回した。
彼はラスに会ったことがない。
三十年後では、ラスは国王としてエルシャダイ王国に住んでいる。
母ゼニスからラスの話は何度も聞いていた。けれど会いに行きたいと頼んでも、ゼニスは困ったように笑うばかりなのだ。
ふと見ると、中庭の柱の陰に小さな男の子がいた。褐色の肌にはちみつ色の髪をして、ターバンを巻いている。
たぶんあの子がラス王子だろうとフーギは思った。
その子は退屈そうに柱に背を預けて、中庭の空を見上げていた。
「こんにちは」
「わあっ!?」
フーギが横から声を掛けると、ラスはびっくりして飛び上がった。
ラスからすれば何の気配もないところからいきなり声掛けをされた感覚である。
「だ、誰ですか!」
警戒心をむき出しにする彼に、フーギは前もって用意しておいた言い訳を言った。
「僕はゼニスの親戚だよ。ちょっと用があって、首都まで来たんだ。それでラス王子にもご挨拶をと思って」
「ゼニス姉さまの親戚……。本当だ、髪の色がおんなじです。顔も似てる」
ラスは飴色の瞳をまんまるに見開いている。
(かわいいなあ)
と、フーギは思った。九歳のフーギに対して、ラスは六歳。一回り小さい。
最年少の魔族としてフーギはいつも子供扱いをされてきた。双子のジョカがいるから寂しくはないけれど、ラスのような弟がいれば楽しいだろうなと思う。
「ラス王子は、何をしていたのですか?」
「ゼニスの親戚なら、呼び捨てでいいですよ。言葉も普通にしてください」
「うん、分かった。ラスは一人で何をしていたの?」
「ええと……」
ラスはもじもじと指を組み合わせる。
「ゼニス姉さまが帰ってくるのを待っていました。一人でいても、つまらなくて」
「あれ? アレク叔父さま……じゃない、アレクは一緒じゃないの?」
フーギはゼニスの弟の名前を挙げた。
三十年後の大人のアレクとフーギは交流がある。アレク夫妻の子供たち――フーギのいとこたちとも仲良しだ。もっとも人間であるいとこらは、魔族の双子と違ってとっくに大人の姿になっている。
ラスは不思議そうに答えた。
「アレク? アレクは田舎のお家にいますよ。僕たち、文通してるんです」
「あれれ?」
フーギは首をかしげた。彼の知っている限りでは、ラスとアレクは首都で一緒に住んでいたはず。
実際のところは、来年になるとアレクが首都までやって来る。ラスの学友として呼ばれる形だ。
けれど今は誰もそんなことを知らない。ゼニスの説明不足とフーギの勘違いであった。
フーギとラスはしばらく首をかしげ合っていたが、やがてどちらともなく笑い始めて、うやむやになった。
それから彼らはおしゃべりを始めた。
フーギはさりげなく聞いてみる。
「ねえ、ラス。ゼニスはどんな人?」
「姉さまはすごい人ですよ! まだ子供なのに、フェリクスのご当主のティベリウスさんと難しい話ができるんです。今年の夏は氷の商売で、大成功しました」
ラスは自分のことのように誇らしげだ。
「僕にも優しくしてくれて、おかげで病気が治りました。ずっと寂しくて苦しくて怖かったのに、ゼニス姉さまに出会ってからは、毎日楽しくって」
「へぇー?」
そういえば。ラスは最初は体が弱かったとゼニスが言っていたのを、フーギは思い出した。病気を治したとは聞いていなかったが。
「元気になって良かったね。ラスは将来、立派な王様になるんだもの」
フーギが言うと、ラスはきょとんとした顔になる。
「僕は王様になりませんよ。兄上が二人いますから。一番上のアルケラオス兄上は立派な人で、次の王様です。二番目のシモン兄上はちょっと気むずかし屋だけど、僕は好きです。だから僕は将来、兄上たちを助けて、国のために働きます」
「え……でも……」
言いかけてフーギは口を閉じた。
ラスが国王の座につくのは間違いない。三十年後の現実でそうなっているのだから。では、二人の兄はどうなってしまうのか。
フーギはゼニスの言葉を思い出した。
『ラスはすごい人だよ。辛いことや悲しいことがいっぱいあったのに、負けないで立ち上がった。大きな責任を一人で背負って、それでも逃げ出さないでいる。私は本当は、ラスの力になってあげたかった。……できなかったけどね』
あのときの母は寂しそうで、悲しそうで。フーギとジョカはそれ以上何も聞けなかったのだ。
そう思い出して、フーギは首を振った。
「そっか、ラスにはお兄さんが二人もいるんだね」
「はい。ふたりとも自慢の兄上です」
にこにこと笑うラスに、フーギは何と返していいか悩む。結局言葉は見つからず、こんなことを言った。
「ねえ、ラス。ゼニスが帰ってくるまで一緒に遊ぼう。何して遊ぼうか?」
ラスはぱっと笑って答えた。
「じゃあ、クルミ投げをやりましょう! 僕、クルミを取ってきます!」
そう言って廊下を走って行ってしまった。
クルミ投げはユピテルの子供たちの定番の遊び。クルミをピラミッド状に積んで、そこに別のクルミを投げつけて崩し、崩れ方で点数を競う。
「それじゃあ僕は、投げる位置と積む位置に線でも引いておこう」
フーギは中庭に出て小石を拾い、土の部分の地面に線を二本引いた。
戻ってきたラスと一緒にクルミを積んで、二人で投げては盛り上がる。
一通りクルミ投げをした後は、追いかけっこや影踏みをした。
見慣れないフーギに不審な目を向ける使用人や奴隷もいたが、ラスと仲良く遊んでいるせいで特に何も言われなかった。
そうしているうちにだんだん時間が過ぎて、午後の空が薄っすらと夕暮れの色を帯び始める。
と。
『フーギ、聞こえる? お風呂終わったよ。そろそろ帰ろう!』
ジョカの声が脳裏に響いた。魔力による念話である。
『そうだね、戻らないと。魔力体が消耗してきた。浴場まで行くよ』
フーギは返答をした後、ラスに言う。
「ラス、僕もう帰らなきゃ。今日は楽しかったよ」
「そうですか……。僕も楽しかったです。また会えますか?」
ラスは残念そうにしている。フーギは眉尻を下げた。
「えっと、どうだろう。あまり首都まで来られないから」
「…………」
下を向いてしまったラスに、フーギは慌てて頭をなでてやった。
「きっとまた会えるよ。少し先になっちゃうかもだけど、約束だ」
するとラスは顔を上げて、嬉しそうに笑った。
「はい、約束です!」
二人はぎゅっと手を握り合わせる。
「じゃあね! さようなら!」
フーギは手を振って、中庭から走り去った。
「あっ、待って! 玄関まで見送りします! ……あれ?」
ラスは後を追いかけたが、廊下の曲がり角を曲がったはずのフーギは姿を消していた。
辺りを見回しても、玄関まで行ってみても影も形もない。
「ふしぎな人……。でも、また会えるって約束してくれましたから」
今は再会を楽しみにしておこうと、ラスは思った。
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