第216話 伏兵の崖


 それからしばらくは何事もなく進軍を続けた。

 そして7日目。ユピテル直轄地を抜けてグリア属州に入った。ラスたちが最初に出発してから9日目、既に道程は半ばを過ぎている。 


 グリア地方は乾燥地帯で、岩がちの土地である。大小の岩山があちこちで連なって谷を形作っていた。

 恐らく今日が第一の山場になる。この周辺は今までの平野と違い、見通しが悪い。つまり伏兵などの危険性が上がるのだ。


 昨夜の会議で地図を確認し、特に危険と思われる場所をチェックした。

 翌朝の早朝、まだ薄暗いうちに私はホウキで飛び立つ。偵察のためである。


 私の単独行動をラスは最後まで反対していた。でも、私としては1人の方がやりやすい。

 魔王様以下魔族全体の意志として、人界への不干渉がある。

 だから魔界で体得した魔法を人界で使うのは、約束破り――とまでは行かないが、際限なくはできない。シリウスや魔法学院の皆に教える魔法も、ある程度選ばないといけないと思っていた。

 けれど今回は、全力でラスを助けると決めた。

 私のわがままで魔族たちとの約束を軽んじる以上、影響は最小限に留めなければならない。


 岩陰を選びながら目立たないように飛んだ。いくつか地点を確認していると、とある谷の崖上に兵たちが潜んでいるのを見つけた。

 順調に行軍を進めれば、昼過ぎに通る道だ。

 人数は両側にそれぞれ150人程度。谷の出口にも伏兵がいて、こちらは200人程度か。

 崖の上から矢を射かけたり岩を落としたりしながら出口を塞ぐ作戦と思われた。

 この谷の道幅は狭い。弓矢や岩の直接被害はもちろん、群衆雪崩を起こして圧死も有り得るだろう。

 敵兵たちの装備はユピテル正規兵と比べるとかなり簡素だった。あまり数も多くないし、シャダイ教の民兵かもしれない。


「さて、どうしようかな」


 私は小さく呟いた。

 今すぐ兵たちを行動不能にするのも可能だが、ラスの軍がここを通るまでまだ時間がある。一度報告に戻って、改めて対処しよう。そう決めた。







 一連の内容を報告して、必要な荷物を袋に詰めてから、私は再び飛び立つ。

 軍の歩みに合わせて、念のため先々の道をもう一度確認した。


 そろそろ日も高くなっている。岩の影から影へと飛び移るように移動して、伏兵の様子を見に行った。

 ラスたちがここへ来るまでは、あと2時間程度。崖上に身を伏せるシャダイの兵たちも緊張感を増している。


 ――そろそろいいだろう。


『清らかなる水の精霊よ。汝の身を細かな飛沫に変えて、大地へと降り注ぎ給え』


 霧雨を降らせる呪文を唱えた。範囲は広く、谷の半分ほど。

 晴れた空から突然、降り注いだ雨に兵士たちが驚いている。


『あまねく満ちる雷の力よ。正負に別れて流れ行く、力の道を奔流として、中空に閃き給え――』


 ごく小規模な落雷の呪文である。

 雨が降り続く空中に、小さな紫電が生まれた。

 電撃は火花を撒き散らしながら広がって、その下にいた兵士たちを絡め取った。感電の痛みに悲鳴が上がる。

 両側の崖と、谷の出口。それぞれ伏兵が固まっている場所に1回ずつ雷を放った。


 威力の調整は苦労した。可能な限り殺したくない、でも、弱すぎると行動不能に出来ない。

 もしかしたら、もともと心臓が悪い人は死んでしまったかもしれない。そうならないことを祈りながら、やるしかなかった。


 片側の崖上に降り立つ。兵士たちは皆、倒れ伏していた。

 完全に気絶している人、意識があって呻いている人がいる。とりあえず死者は出ていないと信じたい。


「ア、悪魔、め……」


 覗き込んだ私に向かって、呂律の回らない舌で兵士の1人が言った。心外である。こっちからすれば、待ち伏せして大量殺戮を狙っていたそっちのが悪魔だよ。


「悪魔じゃありません。命が助かったんだから、感謝してよね」


 返事を期待しないで言って、私は荷物からロープを取り出した。倒れている兵士たちに雑に結わえていく。20人ばかり結んだらロープが終わったので、ホウキに引っ掛けて崖下まで運んだ。

 飛行魔導具のシューちゃんことシューティング★スター弐号機は、間接的に触れたものも無重力魔法の対象にする。

 さすがに20人もいっぺんに運ぶと、操作はかなりテキトウになった。人によっては崖にぶつかってガッツンガッツンいっていたが、死にはしないから気にしないでおく。


 片側150人ずつを何往復もしてせっせと運んだ。運び終わった兵は崖下の道端に転がす。

 そうしているうちにユピテル軍の先頭がやって来た。


「お疲れ様。崖上の兵は全員下まで運んだよ。あとは出口に200人くらい倒れてる」


 私が言うと、先頭の隊を率いていた百人隊長は強張った表情になった。


「さすが氷雷の魔女様、噂以上のお力ですな」


「まあね」


 私は肩をすくめる。ここまでのことが出来るようになったのは、魔界で学んだからだ。新しい呪文やホウキはもちろん、魔力回路の精度が向上したおかげで魔力量だってかなり増えた。独学じゃまだまだだったよ。

 ユピテルの兵士たちに頼んで、出口の伏兵も谷の道まで運んでもらった。

 その後は順調にユピテル軍が通り過ぎていく。やがてラスの本隊がやって来た。


「ゼニス! 無事ですか」


 馬上のラスが降りようとしてきたので止めた。今は時間が惜しいもの。


「無事、無事。言ったでしょ、任せておきなさいって」


 私はわざと偉そうに胸をそらして、さっさと進むように言った。

 軍は規則正しい歩調で進んでいく。最後尾になったので、私も一緒に歩いて谷を出た。さて、仕上げをしよう。

 振り返って深呼吸をして、魔力を回す。


『――水の精霊よ、その一滴にて業火の精霊と交わり、不可視の殻の中、炎熱の限界まで膨張し、殻を破りて爆轟せよ!』


 爆発の呪文を唱えた。圧縮された後に解放された水蒸気が、巨大な爆発の力となって谷の出口を削り取る。

 命中した崖の途中が轟音を立てて崩落した。もうもうと土煙が上がる中、次々と土砂崩れが起きて道になだれ込んでいく。

 ようやく崩落が収まる頃には、道はすっかり土砂で塞がれてしまった。


 これであの敵兵たちもすぐには追って来られないだろう。

 土砂を撤去するにも崖を回り込んで進むにも、数日以上のロスは確実だ。それだけ時間を稼げれば、今回は十分。

 あの道を使う普通の旅人には迷惑をかけるが、それは勘弁して欲しい。


「すごい」


「これが魔法の力か……」


 ユピテルの兵士たちが呆然とした様子で口々に言っている。

 私は声を張り上げた。


「さあ、行こう! エルシャダイ王国はもう目前。逆賊を討って平和を取り戻そう!」


「おお!」


「おーっ!」


 歓声が上がる。兵たちの士気が高まっているのを感じる。

 その高揚感に包まれながら、間近に迫った次の戦場に向けて心を引き締めた。

 

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