第145話 魔力のつながり

 今日は魔力回路を久々に使った。また一歩、回復できた。

 夜、寝室に戻ってきて、私はにんまりとする。この調子で治っていけば一人で歩ける日も近いだろう。前のように魔法を使えるようになるのも、もうすぐだ。

 そうしたらさっさとここを出て、境界とやらを通って人界に帰るんだ。


 昏睡状態から復帰して、もう少しで1ヶ月が経とうとしている。ずいぶん長く魔界に留まってしまった。

 ユピテルの人たちから見れば、私はこんなに長く行方不明状態になっている。きっと皆、心配しているだろうと思えば胸が痛かった。


 グレンはいそいそと寝具を整えている。いらんと言ったのだが、「まだ自分でやるのは無理だろう」と言い返されて反論できなかった。次に洗面器にお湯を張って持ってきてくれたので、顔を洗って歯磨きもした。


「ゼニス。体の調子は大丈夫?」


 ベッドサイドのグレンが話しかけてきた。


「ちょっと疲れたかな」


 投げやりに答えると、彼は心配そうに言った。


「今日は久しぶりに魔力回路を動かしたからね。ゆっくりお休み」


「はいはい」


 ベッドに横たわると、待ってましたとばかりに布団をかけてくれる。なんだかなぁ。

 ユピテルでティトが身の回りの世話をしてくれたけど、そこまではやらなかったよ。赤ちゃんじゃあるまいし。……いや、魔族的に20歳は赤ちゃんなんだっけか。うへぇ。


 目をつむるが、眠気はそれほどでもなかった。すぐに眠ってしまった以前に比べ、体力がついてるのだと思う。嬉しい。

 余力があるので、寝る前にもう一度だけ魔力回路のリハビリをしよう。

 脳に小さな電流の火花を起こして、ゆっくりと魔力を巡らせていく。昼間よりもまた一段、スムーズに起動できた。

 何度か魔力を循環させて、ふと、今まで感触が薄くて魔力を流せなかった右手もいけそうな気がしてきた。


 ちょっと試してみようか。もし痛かったり無理そうならやめればいいし。

 そう思って、そっと、そーっと右手に魔力を流してみる。

 すると不思議な感覚があった。


 右手の肘から先が、暗い夜のようになっている。闇の中に時折、流れ星のように白銀の軌跡が走っていた。

 その闇の中に魔力をそっと流すと、白銀が揺れて波紋を作る。無音の世界のはずなのに、しゃらしゃらときれいな音が鳴っているよう。

 その波が心地よくて、私は魔力を進ませていった。







 ふと、右手を少し強めに握られたと気づいた。魔力を追うのに夢中でグレンがすぐ横にいたのを忘れていた。


「ゼニス。その、あまり……そういうことはしないで。あなたの嫌がることはしないと決めたのに、揺らぎそうになる」


「へ?」


 私は間抜けな声を上げて目を開けた。ベッドサイドの椅子に座った彼が私の右手を握って、顔を真赤にして下を見ている。

 薄暗い室内の中で白銀の髪がきらりと煌めいた。闇の中の白銀。


 ――あ。これ、彼の魔力の色だ。私の右手とほとんど一体化して、ゆらゆら揺れている。

 他人の魔力をこんなに身近に感じたのは初めてで、感心してしまう。つながるってこういうことか。当の本人は変態なのに、すごく深くてきれいな魔力の色。魔力の美しさと本人の資質は比例しないんだなあ。

 ちょいちょいとつつくと白銀が揺れて、ちょっと面白い。


「私、何か悪いことした? 右手に魔力を流せそうだったから、試してみただけなんだけど」


 軽い口調で言うと、グレンは呻くように息を吐いた。


「何をしているか分からない?」


「うん」


 魔族のマナー的にNGをやってしまっただろうか。それならちゃんと教えて欲しい。


「じゃあ、少しだけお返し」


 ――闇が震えた。

 微細な振動が白銀を巻き込んで、複雑な波形を作る。その形に見惚れていると、波がゆるやかに滑り込んできた。魔力回路を通じてこちら側に、体の奥の方に。

 体の接触は手を握られているだけ。でも全身でグレンを感じる。抱きしめられた時よりも、もっと……体温とか感触とか、匂いとか。そういうものが大きな存在感となって、私の中に入り込んで満たしてくる。


 なななな、な、なんじゃこりゃー!


『ストップ! ステイ、ハウス!!』


 思わずユピテル語が出た。犬をしつける系のやつ。

 するとピタリと侵入が止まった。言葉が通じたわけでもなかろうに。


「い、今、何したの!」


「魔力交換。ほんの最初の段階だけ。びっくりした?」


 びっくりしたどころの話じゃない。そう言ってやりたかったのに、舌がもつれて上手く喋れなかった。顔から火が出そうなくらい熱い。

 浅い息を繰り返し、やっと落ち着いてきた。


「少しは分かってもらえたかな。あまり無防備に魔力を触れさせたら駄目だよ」


 まだ顔の熱が引かない私に対し、すっかり冷静さを取り戻したグレンが微笑んだ。

 なんていうことしてくれるんだ、このイカレトンチキは! でも最初に手を出したのは私になるのか。ぐぬぬ、怒るに怒れない。


「き、気をつけます……」


 そう言うのがやっとだった。どっと疲れが出る。

 でも羞恥心は今も火山爆発を起こし続けていて、顔のほてりが止まらなかった。

 つまり私は、意図せず色仕掛けをしてしまったようだ。なにそれ。魔族は本当に常識が違って困る!


 ふと見れば、グレンの笑みの形に細められた両目に、睫毛が長い長い影を落としている。明らかに私より睫毛長い、そして密度も高い。

 薄暗い室内の中、淡い陰影が彼の顔立ちを彩っている。切れ長の瞳に高い鼻梁、整った形の唇。

 普段は変態っぷりばかりが目につくけど、改めて見るとこいつ、ムカつくほど美形だ。

 私は左手で布団を頭の上まで引っ張り上げた。


「グレン、ごめん。ちょっと1人にしてくれないかな。貴方がいると寝付けそうにない。その、恥ずかしくて……」


 最後の方は蚊の鳴くような声になってしまった。この動揺した気持ちを恥ずかしいと認めるの、既に恥ずかしいわ!


「分かった。何かあったらすぐ呼んでね」


 最後にちょっとだけ右手を強く握られて、彼が立ち上がった気配がした。

 最近の彼は、私の言うことを割と素直に聞いてくれる。頭突きをして以来だ。私の頭突きはよっぽど効いたのだろうか。まあ、石頭には自信がある。


「おやすみゼニス。良い夢を」


「うん。おやすみ」


 ぱたんとドアの閉まる音。私は布団から顔を出した。息が苦しいのは、何も布団をかぶっていたからだけじゃないだろう。

 油断するとぶり返してくる感触と恥ずかしさに悶えながら、私はベッドをごろごろ転がった。

 そして、うっかり右手を下にしてしまって、けっこう痛かった。

 痛みのあまり「オギャー!」って変な声が出た。これじゃ赤ちゃんというか、妖怪子泣きじじいだ。


 踏んだり蹴ったりである。もうあんなの、二度とやらないぞ!!







++++







 転がっていたゼニスは気づかなかったが、同じ時、ドアの外で。


「どうしよう。恥ずかしがってるゼニス、可愛すぎる……全部手に入れたい、絶対に……」


 ドアを背につけたグレンが、口元を押さえて呻いていた。紅色の両目に灯った熱が、隠しきれない温度で燻っていた。

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