第119話 思い出の先へ

 出来ることなら、ラスの想いに応えてあげたかった。

 彼を弟のように思っているから、もちろん嫌いじゃない。好きか嫌いかで言えば、大好きだ。

 弟同然の時間が長かったものの、もうずっと「姉さま」と呼ばれることもなく、大人になっていく彼を見ていた。


 実はちょっとだけ、ラスはもう私を姉と思っていないと気づいていた。

 いつからだろう、以前は純粋に家族として慕ってくれていた彼が、時々はっとするような思い詰めた目をしていたから。

 でも私はそうと認めたくなくて、半ば無意識に見ないふりをしていた。ラスにはずっとかわいい弟でいて欲しかった。


 けれどそうした対応が、彼を追い込んでしまったのだろうか。

 今、間近に見上げる彼の両目は、昔のままの色でありながら見たことのない熱を宿している。




 ――怖い。ふと、そう思った。




 馬鹿げている。たとえどんな時でもラスはラスだ。私を傷つけるような真似をするものか。

 じゃあ何が怖いのか。そう考えて、思い当たった。


 ……過剰な評価が後ろめたい。ズルで天才に見せかけている自分が情けない。

 これだけ心を寄せてくれているのに、メッキが剥がれて失望されるのが怖い。

 異世界人などという異質さを知られたくない。ずっと皆を騙していたとバレたくない。

 若いふりをしていても、実際はいい年だ。実年齢はラスの母親よりも上。


 私の本質が、ただの嘘つきでつまらない人間だと知られるのが怖い……。


 そう気づいて愕然とした。

 ラスは心からの想いを告げているのに、私は保身に走っている。なんて卑怯なんだ。

 怖がりで卑怯者、平凡どころかそれ以下だった。


「……ごめん」


 だから私は言った。彼から目を逸らして、うつむきながら。


「ごめん。私、ラスの気持ちに応えられない」


 応える資格がない。最初から資格などあるはずがなかった。


 握られた手に力が籠もる。少し痛いくらいに握り締められて、彼の瞳を見上げると、悲しみの色が見えた。

 かすれた声の問いかけが聞こえる。


「どうしてですか。僕が頼りないから?」


「違うよ。ラスは立派な大人になったもの」


「弟ととしてしか、見られないから?」


「それも……違うかな」


「じゃあどうして!」


 小さく叫ぶような声が、心に突き刺さる。

 言わなきゃ、ちゃんと言わなきゃ。私が薄汚い人間だから、ラスに相応しくないと。今まで皆を騙していたと。

 けど、彼は魂の永遠と不変を信じるシャダイ信徒だ。転生前の記憶があるなんて打ち明けたら、化け物扱いされて拒まれるかもしれない。怖い。


 言いよどむ私を、ラスは辛抱強く待ってくれた。

 そして結局、口に出したのはこんな言葉だった。


「ラスには私よりも、相応しい人がいるはずだよ」


 答えはなく、今度は私が言葉を待った。夜の空気の中、お互いに目を見つめ合いながら待って――

 ふと、ラスの体から力が抜けた。


「……振られちゃいましたね」


 手が離される。ずっと握り合わせていたから、指の間を通る夜風がいつもより冷たく感じられた。

 ラスは体温を惜しむように、両手を胸の前で組み合わせた。まるで祈りのように。

 一瞬だけ目を伏せて、顔を上げた彼はにこやかに笑ってみせた。


「あーあ、一生の告白のつもりだったのに! ゼニスはまるで要塞のような女性ひとですね。難攻不落で、ちっとも振り向いてくれない」


 努めて明るく言っているけれど、ラスの声は微かに震えている。私はただ黙って、その声を聞いていた。

 すると彼は半歩だけ近づいて、間近から目を覗き込んできた。


「でも、僕、諦めませんから」


「え」


「一度断られたくらいで、ゼニスへの想いは消えませんよ。僕が諦めるとしたら、ゼニスが他の人に心から恋をした時くらいかな」


「そんなことになる可能性は、低そうだけど」


「そうでしょう? じゃあ、いずれ僕の恋が実る日も来そうですね。楽しみだなぁ!」


 彼はにっこり笑って――私の額にそっと、キスを落とした。唇の感触は一瞬だったけど、私はフリーズしまくった。


「ユピテル人にとってはなんてことないでしょうけど、エルシャダイ人としてはかなり思い切ったことですよ、これ」


 そんなことを言って照れている。


「よし、じゃあ今日は帰りましょう。あまり遅くなると危ないですから。家まで送りますよ」


「だ、だ、大丈夫だよ! 慣れた道だし、ほら、私すごい強いから!」


「あはは、そうですね。竜殺しの大魔法使いですものね」


 いいからいいから、とラスは言って、結局家の前まで送ってもらった。

 さすがに道中はお互い黙りがちだったけど、先ほどの出来事がだんだん信じられなくなってくる。実は夢でも見たんじゃないか。

 夢ということにしておいた方が、お互いのためじゃない?


 そんなことを考えていると、アパートの入口でラスが言った。


「おやすみなさい、ゼニス」


 彼の淡い微笑みは透明で、とてもきれいだ。


「うん、おやすみ。気をつけて帰ってね」


「はい。……ゼニス、今日のこと、忘れたり誤魔化したりしないで下さいね。僕、何度でも告白しに行きますから」


「ぇ、あっ、はい……」


 見抜かれている。


「それでは、いい夢を」


 そう言って遠ざかる背中を、私はぼんやりと見送った。ずいぶん長いこと見ていて、さすがに寒くなってきてクシャミが出た。

 それでようやく、部屋に入ったのだった。







 思いもよらぬ告白を受け取ってから数日。私はずっとぼんやりして、ミスばかりしていた。

 しまいにはシリウスから、


「どうしたゼニス。悪いものでも食ったのか?」


 と言われる始末だ。こいつに様子がおかしいと気づかれるなんて、よっぽどだったのだろう。

 最近はどうにも、落ち込む機会が多いな。




 ラスの想いに応えられる気がしない。……少なくとも今はまだ。

 待ってくれるならそうして欲しい、でもいつまで? 彼の貴重な時間を、私なんかのためにいつまで浪費させるつもり?


 なんかそんな感じで、ぐるぐるして答えが出ないのである。







 しかしほどなく、そんな日々を吹き飛ばす大ニュースが飛び込んできたのだった。


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