第91話 何かの存在

***


『彼』は落下を続けている。もうずっと長いこと、続けている。


 ――いつまで落ち続けるのだろう。底はどこにあるのだろう。


 何度かそんなことを考えた。美味しそうな魔力の気配に釣られて飛び降りたのを、ちらりと後悔する。

 でも、今さら帰るなんてできない。

 何度目か、同じ思考を繰り返して。


 不意に、目の前が開けた。


 まるで小さく折りたたまれていた布が、一振りで元の大きさに戻るように。唐突に視界に景色が広がっていく。

 彼の背には夜雲の切れ端。

 眼下には連なる高い山々。

 空気は冷たく、少し息苦しい。

 そしてさらに遥か下には、小さな生き物たちがたくさん蠢いている。それらは2本の手を持ち、2本足で歩いている……


***






 新しい石版のかけらを得た私たちは、まずは変数や代入、クラス名といった、プログラム的に使われているであろう文字と装飾の特定から始めた。

 シリウスに『プログラム』の概念を説明をするのにやや難儀したが、最終的に「魔法を発動するためのルール、規則」くらいで納得したようだ。

 石版の文章自体が限られた量しかない上に、シリウスが資料を作ってくれていたから、特定作業は早々に終わった。

 次にこれらの文字の動作を予測しつつ、既存の詠唱式呪文に置き換える実験に手を付ける。


 場所は私とシリウスの研究室を行ったり来たり。

 統一すれば良い気もするが、各々持っている資料がちょっとずつ違うので、都度取りに行くのである。何せファイル共有はおろかコピー機もないので、資料はそれそのものが貴重品だったりする。


 詠唱式呪文を記述式に置き換える実験は難航した。

 構文が間違っているわけではないと思うのだが、魔法が発動しないのだ。


『開始、精霊・名・水を呼び出し、水を生成。終了』


 基本の水魔法だとこれでいけるはずなのに、魔力を流しても何も起きない。

 各属性の精霊は、JAV○で言うところのクラス名だと予測してみたが、外れだろうか。

 コンパイルエラーや実行エラーと違ってエラー箇所を教えてくれないから、困ったものである。

 もっともクラス内の詳細が不明なので、ただ呼び出せばいいってものではないという話かもしれない。







 7日ほどを費やしても成果がなく、仕方ないので詠唱式呪文の再現は横に置いて、次に移る。

『実行』のみの記述式呪文で発動した『光』を試した。

 何度か試行錯誤の末、これで発動に成功。


『開始、精霊・名・光を呼び出し、10秒の発光。終了』


 きっかり10秒光ってくれた!


「やったね!」

「ああ、やはりこの方向性で正しいな!」


 シリウスと2人でハイタッチしたよ。ユピテルにハイタッチの習慣がないから、最初は私が1人で頭の上で手を振る格好だったけど……。


 それから、シリウスはヒゲをちゃんと剃った。ツルッとした顔が復活である。

 本人はヒゲを伸ばすのに慣れたら剃るのが面倒で仕方ないとぼやいていた。毎朝カペラにお尻を叩かれるようにして身支度しているらしい。目に見えるようだ。


 それはともかく。

 その後、発光時間10秒を15秒、10分と変えても命令が通った。ただし『実行』のみの時の発光時間、約30分を越えると消えてしまう。注ぐ魔力を増やしても限界は変わらなかったので、この記述式としての限界なのだろうか。

 もしくは白魔粘土の限界。あるいはデータ型の違いとか?


 そしてこの書き方では、


『開始、精霊・名・光を呼び出し、五秒後に30秒の発光、発光終了、20秒後にさらに10秒の発光、終了』


 などと条件を足しても成功した。

 ただ、光る場所は呪文を書いた白魔粘土以外では指定できない。

 発声式呪文なら「指さした先」とか「視界に写っている特定のもの」とかの指定も可能なのだが。一長一短である。







「それにしても、どうして光は良くて水は駄目なんだろ」


 私は首をかしげた。シリウスも腕組みして答える。


「光は詠唱式呪文にないからな。記述と発声でそれぞれ相性があるのかもしれん」


「そういや光の詠唱呪文はなかったね。ちょっと試してみよう」


 記述式で書いた光の呪文は単純だった。それを詠唱式に直して唱える。

 光のイメージだから、電磁波ってとこか。波長の短長で色や性質が変わる、光子。


『眩き光の精霊よ、その光を我が指先に灯し給え』


 …………。

 何も起きない。

 光の呪文が存在しないのは、ユピテル人が光というものへの理解が低いためだと思っていたが、それだけではないようだ。


 シリウスが肩をすくめた。


「やはり駄目だな。光は実体がないから、魔法で扱えないんじゃないか」


「いや、実体あるでしょ。光子」


「は? 何だそれは」


 うーむ、光子という概念はふんわり知っているが上手く説明できない。

 何だっけ、粒子と波長の性質を併せ持つ? かの有名な相対性理論のなんちゃらとか?

 あ、駄目だ。ちゃんと考えようとすればするほどフワフワ度合いが増してわけが分からん。

 脳みそがぐるぐるしてきた私に対し、シリウスは続けた。


「実体のあるなしが条件の可能性もある。例えば『温』『冷』も記述式呪文で発動するが、詠唱では発動しない」


「それはどうかな。加熱も冷却もエネルギーの移動でしょう。実体がないとは言い切れない」


「――理解できないんだが、さっきから何を言ってるんだ、お前は」


 くそお! 文系人間のせいでちゃんと説明できるほどの知識がない、悔しい!

 悔しさをにじませつつ、私は言い返す。


「すると何? シリウス説で言うと、どっかに魔法の管理者みたいなのがいて、『これは実体がないから記述オンリーで』とか『こっちは実体があるから詠唱式ね』とか仕分けしてるわけ?」


「興味深い考えだ。可能性として排除できん」


「そんなことあるはずが」


 ない、と言いかけて私は口を閉じた。

 魔法をプログラムみたいだと思ったのは、他でもない私だ。

 プログラムならば基幹システムを作った者が存在するはず。

 少なくとも、特定の入力形式に応じて魔法という形のフィードバックがある以上、何らかの機構があるはずなのだ。規則正しすぎて、自然発生したとはとても思えない。


 ファンタジー世界だから魔法。そんな短絡的な考えで、この可能性をきちんと見ていなかった。

 あるいは、魔法プログラムの創造主はやはりファンタジーな存在、神とか精霊とかなのかとぼんやり思っていた。


 でも、この世界で神様の存在が明確に示された例はない。前世と同レベルの神話や信仰があるだけだ。

 精霊というのも、実在が疑わしいと言われてきた。

 それは先ほどの記述式呪文で、精霊をプログラム上のクラス(部品)扱いして発動に成功した時点で確信した。

 精霊は、少なくとも自然の化身や力の象徴としての存在ではない。便宜上の呼び方だ。

 もっと言えば、私たちが『精霊』と理解しているこの単語は、実際は別の意味を持っているのかもしれない……。


「……魔法の管理者の存在はともかく」


 揺れる思考に酔いそうになりながら、私は言う。


「実体が条件と決めつけるのは良くないよ。手元にある石版は完全じゃないし、この石版の内容以外にも記述式呪文はあるだろうから」


「まあ、そうだな。まだ仮説の域を出ないさ」


 シリウスはあまり気にしていないようだ。


「ともかく今日は、光の記述式に成功した。祝杯と行くか?」


「いいね、最近ずっと根を詰めていたから。ここらで羽を伸ばそうか」


 ここのところずっと研究室に缶詰状態で、お昼と夜の食事も手軽に食べられる軽食ばっかりだった。

 前世のデスマーチじゃあるまいし、好きでやってることで体を壊したらアホみたいである。

 美味しいものを食べてお風呂にゆっくり入って、しっかり寝て。一度リラックスして頭を切り替えよう。


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