第81話 私たちの功罪
私が目を覚ましたのは、山麓の街の宿でのことだった。
すぐ横にアレクとラスがいる。ずっと付き添ってくれていたらしい。
「丸2日、眠っていたんですよ。目が覚めて良かった」
と、ラスが泣き笑いの表情で言った。
私の記憶は狼を全滅させた辺りで途切れている。あれからどうなったのか聞いてみた。
アレクが答える。
「あの鉱脈の広場から出口を見つけて、俺が外に出たんだ。そしたら近くに川があったから、上流に行ってみた。途中でドルシスさんたちと会って、もう一回戻って、ラスと姉さんを助け出したんだよ」
「そうだったんだ」
「ドルシスさんが言うには、山の中腹が突然光ったのだそうです。それでそちらの方に向かったら、アレクに会ったと。きっとあの時の魔力石の光ですね」
山の外側まで光ったのか。そりゃあ魔力石が相当埋蔵されてるってことかな。
そんなことを考えていると、ドルシスさんと採集隊の女性も部屋に入ってきた。
「ゼニス、意識が戻って良かったな! 怪我の具合はどうだ?」
言われて右腕を見る。包帯がぐるぐる巻きになっていた。きちんと手当てをしてもらっていたようだ。
動かすと痛くて「ほぎゃあ!」みたいな悲鳴を上げそうになった。危ない危ない。
「さすがにまだ痛いですねぇ」
「そりゃそうだな。幸い、骨に損傷はないと医者が言っていたぞ。それに獣の咬み傷は化膿しやすいが、それもない。運が良かったな」
消毒の魔法を使ったからね。治癒の前に消毒で正解だったと思う。先に治癒だと傷は治るが、最悪破傷風とかの感染症で死んだかもしれない。
咬み傷というか、牙が突き立てられた直後に狼を殺したから。牙が肉に食い込んだ状態で振り回されたり、噛み千切られたりしたらもっと重傷だったろう。
「ゼニス、今から治癒魔法は使えないんですか?」
と、ラス。
「使えるよ。あれは怪我を一瞬で治すんじゃなくて、体の治癒力を大幅に高めるものなの。全治1ヶ月の怪我が3日で治るとか、そんな感じで」
答えながら、私は違和感を感じた。今、ラスが「ゼニス」って言った?「姉さま」じゃなくて?
そういやアレクも「姉ちゃん」から「姉さん」になってたな。どういう心境の変化だろう。
首をひねりながら包帯を取る。
……うわぁぁ、傷がグロい。薬草を塗ったようで、なんか緑色のヘドロみたいな有様になってる。こわい。
なるべく傷を見ないように呪文を唱えようとして、部屋中の人がじーっと見てるのに気が付いた。
「あのー、そんなに見られると気が散ってしまうんですけど」
「おっと、すまん! 腕とはいえ、女性の肌と傷をジロジロ見るものではなかったな。後ろを向いておくから、魔法を使ってくれ」
ドルシスさんが後ろを向き、ラスと採集隊の人もそれに習った。
アレクはベッドサイドに近づいてくる。
「俺は弟だからいいよな? 姉さんが魔法を使うところ、あんまり見たことないから見学させて」
「アレク! 一人だけそんなこと言うのはずるいです」
ラスがアレクの肩を掴んで、無理やり壁に向けた。……なにやってんだか。
ずらりと並んだ皆さんの背中とお尻を眺めながら、魔力循環を始めた。2日も眠っていて体力を消耗していたので、魔力回路もギシギシ軋んでる。それでもなんとか必要分の魔力を作った。
『命に宿る大いなる力よ、我が手に触れるこの者の、流れる血を固め、小さきものの献身にて傷口をふさぎ、やがて芽生える新しき肉と皮をもて、健やかなる肉体を取り戻せ』
出血も少しだけあったので、血止めの効果を呪文に入れて唱えた。
柔らかい光が手のひらから発して、傷口に吸い込まれていく。ズキズキした痛みが引いていった。
今すぐ見た目が変わるものではないが、これで数日後にはほぼ完治まで持っていけると思う。
魔法が終わったので、みんなが前を向く。ラスが新しい包帯を巻き直してくれた。
「馬車で移動しても大丈夫なくらい回復したら、みんなで首都の家に帰りましょう」
「うん、そうだね。きっと向こうのみんなが心配して待ってるよ」
目覚めたばかりで魔法を使って、疲労感が濃い。とろとろとまぶたが下がってきたら、ラスが布団をかけてくれた。
なんだか前と反対だね。そんな風に考えているうちに、また眠りに入っていった。
それから何日か経って、私の怪我もすっかりよくなったので、首都に帰ることにした。
今回の一連の件は都度、ティベリウスさんに急使を出して情報を報告していたそう。魔力石の鉱脈発見も、私が無事でいることも伝えてあるということだった。
「それにしても、どうして狼があんなに出てきたんでしょうね」
帰り道、馬車に揺られながら私は聞いてみた。近くにいた採集隊の人が答えてくれる。
「分かりません。今年は山の木の実が不作だったので、狼の獲物になる動物も少なくて、山を降りてきたのかもしれないけど……」
「このくらいの不作は前にもあったが、狼は出なかっただろ」
他のメンバーも口を出す。
例の魔力石の鉱脈がある場所も、本来の狼の生息域より山を下った場所にあった。移動してきた狼がねぐらにいい洞窟を見つけて、居着いたのではないかということだった。
視線を少し移すと、街道の横で材木が積まれているのが見えた。そのそばでは木こりたちが斧を振るって、太い木を伐り倒している。
森林伐採、環境破壊……。ふと、そんな単語が浮かんだ。
「この森の開発が進んだのは、最近のことですよね?」
私が言うと、メンバーたちとドルシスさんもうなずいた。
「首都の薪や建材の需要が旺盛になったのがこの30年、さらに魔力石の採集で人が増えたのが2、3年といったところだな。それがどうかしたか?」
30年は最近といえるのか? まあ、ユピテルは前世よりも時間の感覚がおおらかなので、最近の範疇なのかな。
それはともかく、話を続ける。
「可能性の話なんですけど。伐採で森が狭まって、動物たちが減ったり環境が変わったりして、狼の行動に影響が出たということはありませんか」
皆は顔を見合わせた。採集隊の人たちが言う。
「……ありえます。俺は以前、狩人をやっていました。祖父と親父も同じ狩人で、年々獲物が減っていると言っていました。森の伐採が始まって、しばらくしてからです」
「伐採は山の裾野だが、狼の行動範囲は広い。ちょっとした変化が山の上の方にも影響を与えた可能性は、大いにあるでしょう」
この問題、けっこう大事な気がする。これから魔力石の採掘が始まるとなれば、環境への影響はさらに大きくなるから。
前世で鉱山開発に伴う鉱毒の流出や環境破壊は、大きな問題になっていた。
魔力石自体に毒性はないが、山中を掘り進めることで崩落や地盤沈下が起こったり、地盤自体に何らかの有害物質が含まれていて流出したりと、考え出すときりがないほどだ。
鉱脈を発見するべきではなかったのかもしれない。そんな思いが頭をよぎった。
でも、もう報告が行ってしまっている。なかったことにはできない。
不幸中の幸いは、前世でよく起きた銅や重金属の鉱毒と違って、魔力石は精製する際も特に汚染物質が出ない点か。
私は鉱山採掘の技術も鉱毒関連についても、まったくの素人だ。これからどんな問題が起きるか、予測もできない。
だけど白魔粘土の開発者、鉱脈の発見者として責任を感じる。
採掘が始まったら、時折様子を見に行こう。そして問題が起きるようであれば、可能な限りの対策を施そう。
ユピテル人は環境破壊などという概念自体を持っていない。そういうことがありえると、地道に話をしていかなければ。
それで十分とは言えないだろうが、何もしないでいるよりはマシだと信じて。
馬車は街道を進んでいく。
北西山脈の山々が徐々に遠ざかり、森はまばらな林となって、やがて平野と丘陵へと姿を変える。あと一つ川を越えれば、ユピテル半島だ。
狼が教えてくれた、環境の問題。
いつの間にか大人びた雰囲気になっていた、ラスとアレク。
魔力石の大鉱脈だけでなく、様々な変化と気づきを得た旅だった。
ユピテル人もその他の人々も、そしてこの世界そのものも。よりよい未来へと歩いていけますように。
――なんて、私が願うのは大げさかな。
そう思いながら振り返れば、もう遠くなった山々が空に青い稜線を描いていた。
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