第47話 辞書

 研究室のドアを開けると、相変わらずのゴチャゴチャ状態、いや、前よりひどくなっている。

 物が散乱する中で獣道のような細い隙間を通り、机まで行く。


「今取り組んでいるのは、魔法文字を形で分類する方法だ。魔法文字は形が複雑だが、一定の規則性がある」


 ユピテルの書物は巻物である。シリウスは物が山積する机の上で巻物を開こうとして難儀していた。

 仕方ないので、机のスペースを確保するのを手伝ってやる。


「それは触るな! 大事なんだ」


 ペン立てをよけようとしたら、強い口調で文句を言われた。


「はいはい。じゃあ、どれなら触っていい?」


「この辺なら重要度が低い。……ゼニスは僕がなにか言っても、怒らないよな」


「大事なんでしょ? なら触らないよ」


「他の奴らはどうせゴミみたいなものだとか、片付けろとかうるさいから」


 それは真っ当な意見だろうなあ。でも本人がこだわるなら、それはそれでしょうがないよ。彼の部屋だから、自分で片付けようと思わなければどうしようもない。


「片付けなくても、今の状態でいいんだ。どこに何があるか分かってる」


 ぶつくさ文句を聞きながら、机の上をあけた。

 巻物を開いて伸ばす。膨大な数の文字が、整然と並べて注釈がつけられていた。

 この片付いていない部屋の主が作ったとは思えないくらい、几帳面に規則正しく羅列されている。


 これは、なかなかのものだ……。

 私が魔法語の勉強を始めた時、まるで日本語やその他の漢字圏の文字と言葉のようだと思ったが。

 シリウスのこれはまさに漢字辞典のようで、漢字の偏やつくりの分類になっている。

 こう見ると、偏やつくりのようなパーツにも意味があると見えてくる。漢字の「さんずい」が水の意味を持つように。


 魔法の研究は、魔法語の追求であるとも言える。

 呪文は発話が必要だが、魔法語を理解するためには文字も必要不可欠。

 単純な読みからの索引だけでなく、こうして多角的に見ると理解が進む。

 もし今後、また遺跡から新しい文字が発見されたとしても、この表を参照しながら探れば答えにたどり着けるだろう。


「シリウス、これ、素晴らしいよ」


 思わず私は言った。


「文字のパーツごとに分けるっていう発想がいい。魔法文字はユピテル文字と違って、文字そのものが意味を持つものね。発音だけ追っていても、わからないことがいっぱいある。これは解決の糸口になるよ!」


「そうか、そうか。もっと褒め称えるといい」


 シリウスは得意満面だ。単純な奴である。


「これ、冊子にしたいなあ。せっかくきれいに一覧になってるのに、巻物だと見たい場所をすぐ出せないもん」


「冊子とはなんだ?」


「こうやって、ページごとに切り分けてとじる方法」


 手近にあった何も書いていない紙で、説明をする。


「で、目次に見出しとページ数をつければ、見たい場所をすぐめくれるでしょ?」


「なるほど。効率的でいい方法だ。早速やってみよう」


 シリウスは物の山からハサミを取り出し、いきなりざっくり切り始めた。巻物が端から切られて紙片になっていく。


「ちょ、ちょっと待って!」


「なんだ? 大きさを揃えて切ればいいんだろ」


 だからって準備もなく切り始めるやつがあるか!


「切ったページが散らばっちゃうよ!」


「なくさないよう、集めておいてくれ」


 シリウスはざくざく切っている。無造作にやっているようで正確で、というか、巻物に書いていた文字の一覧が同じ幅のブロックでまとめられていたらしい。きっちり同じ大きさでページが量産されていった。

 しばらくすると巻物はすっかり姿を消し、一山のページが出来上がった。何気にとじるためのスペースもちゃんと取ってある。


「これを紐でとじればいいんだろ。まずは穴を開けるキリがいるな。この辺にあったはず」


 机の脇の謎の山に、シリウスが手を突っ込む。


「あった、あった……うわ!?」


 キリを取り出す前に、山がズドドドドと雪崩を起こした。ううむ、デジャブ。


「ねえ、シリウス」


 私はチベットスナギツネのような顔をしながら言った。


「さすがに片付けの必要があると思うんだけど、どうかな?」


「うん……」


 雪崩山に腕を埋めたまま、シリウスはしょんぼりと頷いたのだった。







 ついにシリウスも片付ける気になったようだが、ここまで部屋がゴチャゴチャだと大仕事になる。

 先に冊子を作ることになり、ページを全部まとめて私の研究室に持ってきた。


 私の研究室は、まあまあ片付いている。ティトが備品を管理してくれているからだ。

 私もどちらかというと散らかし人間で、放っておくと物が増える。反面教師のシリウスがすぐそこにいるため、なるべくこまめに片付けようと決心しているから、だいぶマシだが。


 切り分けたページに番号を振り、キリで穴をあけて紐でとじた。目次は後で、ページ番号を参照しながら作るそうだ。

 とじ方は和綴じにした。

 前世の姉が和風漫画の同人誌としてコピー本を出した時、和綴じを手伝わされたので覚えている。ティトに裁縫用の針と丈夫な細い紐を借り、するすると穴を縫って綴じた。


「できた!」


 こうして本邦初、冊子型の魔法文字辞典が出来上がった!


「すごい、見やすい!」


 ぱらぱらとページをめくる。分類ごとに順に並べられているおかげで、とても分かりやすい。

 残念な点を一つだけ挙げれば、紙の片面にしか内容が記されていない点か。巻物は裏には書かないから、仕方ない。それでも十分に見やすかった。


「なるほど。巻物よりもよほど素早く目的の情報を参照できる。いいな、これ」


 シリウスもページを捲っては頷いている。


「これ、図書室に置きたいね。一年生の魔法語学習に役立つと思う」


「駄目だ。これは僕のだ。ゼニスならともかく、他人に貸すなんてできるか」


「写本を頼もうよ。2冊か3冊作ればいいじゃん」


 コピーも印刷技術もないので、本を増やすには手書きの写本しかない。写本の費用はそれなりに高額だが、良い書物は増やしたいもの。


「僕は写本を頼むほどのお金を持ってないぞ。どうするんだ」


「そりゃもちろん、魔法学院の経費に決まってるよ。魔法語の勉強がはかどれば、学院のためにもなるもの」


 善は急げ!

 この話をオクタヴィー師匠に持っていこうとして、思い直した。持って行く相手は、シリウスの伯父である学院長にしよう。甥っ子の良い仕事を見れば喜んでくれそうだ。






 学院長室に行って、魔法文字の辞書を学院長に見せると、最初は冊子形式に戸惑っているようだった。でも内容が優れているのはすぐに認めてくれた。


「シリウスは魔法文字に関しては、実に有能なんです。魔法文字に関しては……」


 学院長は寂しくなった頭髪に手をやりつつ、遠い目をして言う。

 気持ちは分かるが、私は反論してみた。


「いいじゃないですか、彼は魔法文字の優秀な研究者でしょう。他のことは苦手でも、これだけ得意なことがあるのは素晴らしいですよ」


「うむ……そうですな」


 学院長がうなずくと、シリウスも嬉しそうにしている。


「従来の読み方からの辞書に加えて、この形の分類辞書を使えば、魔法語の習得の大きな助けになると思います。ぜひ写本して図書室に置きましょう」


「ええ、わたくしとしてもそうしたいところですが、なにぶん大きな金額の決裁はフェリクスの承認が必要でして」


 そうだった、今の魔法学院はフェリクス本家が経営を握っているんだった。

 つまり説得すべきはオクタヴィー師匠か。彼女は巻物を手繰る仕草がかっこいいとか言ってたけど、それはそれ、これはこれ。

 別に巻物を全廃するわけじゃなし、大丈夫だろう。


「では、私から師匠の了解を取ってきます」


「お願いします」


 というわけで、師匠の部屋に行ってこの話をすると、案外簡単にOKが出た。


「いいわよ。魔法語の複雑さから、習得に時間がかかるのがネックだったもの。便利に使える道具は、どんどん使いなさい」


 と、景気のいい答えであった。

 フェリクス家門は元から資産家で、今年は氷の商売がかなり上手いことやれたからなぁ。予算は潤沢である。

 図書室の管理人を通じて、写本の専門家を手配してもらうことにした。魔法文字みたいな一般に知られていない内容でも、きっちり正確に写してくれる技術のある人だ。


「シリウス・アルヴァルディ。ゼニスに感謝するのね。きみはもう少しでこの魔法学院を追い出されるところだったのよ。素行不良と、さしたる研究実績を出していないせいで」


 うわ、そうだったのか。でも素行不良は言い訳のしようもないが、研究実績はどうなんだろ。これだけのものを作る能力があるのに?

 シリウスに聞いてみると、こう答えた。


「締切に何度も間に合わなかった。納得できるものができるまで待てと言ったのに、この女が聞く耳を持たなかったんだ」


「こらっ! 師匠を『この女』なんて言っちゃ駄目。学院の偉い人だよ!」


「ちっ……」


 おい、舌打ちやめろ。師匠が不機嫌な顔してる!


「ゼニス、付き合う相手は選びなさいと前に言ったでしょう。この金髪坊やときみはふさわしくないと思うけど?」


「えっと、彼にもいいところがあるので、今回は見逃してあげて下さい」


「――仕方ないわね。でも、今後はよく考えて頂戴」


「はーい!」


 さらに文句を言いそうになってるシリウスの腕を引っ張って、さっさと退散したよ。


 あー、肝が冷えた!

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