昨夜遅くまで映画の共演者たちと新年会に参加していた珠美は、二日酔いのため昼過ぎまで横になっていた。

 そこへ、柴田がやって来る。


「何よ……呼んだ覚えないんだけど? っていうか、日吉は?」

「す、すみません、若奥様。メイド長は今日と明日は有給でして……って、そうじゃなくて、あの、離れの鍵を貸していただきたいのですが」

「離れの鍵……?」


 年末にも薫に離れの鍵を貸したばかりだ。

 あの全く使っていない離れに一体何があるというのか、珠美は疑問に思った。


「お嬢様が、急ぎ必要だと……!!」

「あーもう、わかったわよ……ちょっと待ってなさい」


 しかし、それよりも頭痛の方がつらい。

 頭を押さえ、イラつきながら寝室の引き出しから鍵を取り出すと、柴田に投げつけるように渡す。


「あ、ありがとうございます!」


 何度も頭を下げてから、大慌てで走り去っていく柴田。


「何をそんなに急いでいるんだか……」


 柴田は、警察が来ているということに焦っていたのだ。

 とくに悪いことはしていないのだが、警察と聞くとどうも身構えてしまう。

 そうとは知らず、珠美はあくびをしながらまた寝室のベッドに横になる。


「離れ……————か」


 目を閉じて、昔のことを少しだけ思い出した。

 あの離れで、復帰作のミュージカルのために一人練習をしていた頃のこと。


 メイドや和子に美月たちを預け、久しぶりに一人の時間を過ごした。

 離れの中は少し古いが、暖炉の上に飾られた絵は美しく、棚の中にもたくさんの絵がある。

 その中から気に入った絵をいくつか並べて、それらに囲まれながら過ごしたあの時間は、姑の嫁いびりからも、育児からも何もかも解放された瞬間だった。


 同じ敷地内だというのに、まるで別荘地に来たような気分にさせてくれる。

 昭和で時が止まっているような場所だから、余計そう思うのかもしれない。

 その思い出の中に、まだ二十歳だったレオンの姿もある。

 和章と章介が学会で地方に行き、和子は婦人会の集まりで家を空けていた日。


 メイド達に美月たちを預け、あの離れでレオンの20歳の誕生日祝いにワインを飲んだ。

 飲酒は二十歳になってからという法律を律儀に守っていたレオンが、すぐに顔を真っ赤にしていたのが可愛くて、つい手を出してしまった。

 妊娠してからは、もう二度と、レオンに手を出さないように気をつけていたのに……


「……あの時まだ、学生服だったわね」


 レオンは高等専門学校に通っていたため、初めて珠美と会った時はまだ学生。

 フランスの血が混ざっているレオンは、共学だと父親と同じように女子にモテすぎて自堕落な生活を送るに違いないと、母親の言うまま中学からずっと男子校に通わされていた。

 うぶで可愛いレオンを珠美は気に入り、いつも人の見ていないところでちょっかいをかけていた。


 妊娠がわかってから和章と夜の営みがまるでなかった珠美は、その日から密かにレオンと愛人関係をつづけている。

 実は、薫と辞めて行った使用人の数人がそのことを知っているが、珠美はそれに気づいていない。


 ふと当時のことが懐かしくなって、珠美は上体を起こし、窓の外を眺める。

 珠美の寝室の窓から裏庭の離れはよく見える位置にあった。

 そこで、見慣れない若い男が離れに向かって歩いているのを見つける。


「誰……?」


 柴田はお嬢様が急ぎ必要だと言っていた。

 てっきり、美月のことだと思っていた珠美は首を傾げる。

 そういえば、美月とレオンは今日の午後から、美容室に行っているはずだと時計を見れば、もうすぐ昼の一時になる。

 レオンはその帰りにダイオウデパートにも寄ると行っていた。

 屋敷に戻ってくるのは夕方のはずだと、すぐにサイドテーブルに置いていたスマートフォンを手を伸ばし、珠美はレオンに確認のメッセージを送るが、運転中なのか既読がつかない。


「美月じゃないなら……葉月?」


 薫が葉月に離れを見せて、そんなに日にちも経っていない。

 猫がどうとかいいていたなと……曖昧な記憶を呼び起こしながら、珠美はカーディガンを肩から羽織って外へ出た。

 今は使っていないとはいえ、珠美にとってはレオンとの思い出の場所でもある。

 それはレオンも同じで、大切な場所だからこそ年に数回掃除をしている。

 そこに部外者を入れるなんて、珠美には堪え難いことだった。


「ちょっと、柴田。これは一体どう言うこと? なんで部外者が……」


 離れの前で青い顔をして立ち尽くしている柴田を問い詰めたが、彼女はただ口を金魚のようにパクパクと動かしただけで、何も言わなかかった。


「————ああ、奥さん、すみませんが、捜査にご協力ください」


 見知らぬ若い男————須見下が珠美に事情を説明する。

 この離れが、芸術アート連続殺人事件の犯行現場である可能性が高いと……


「冗談じゃない! 私は知らないわよ、そんなもの」


 珠美は倒れたイーゼル、乱雑にめくられた絨毯を見て、葉月を睨みつける。

 しばらく使っていなかったとはいえ、大切な思い出の場所を荒らされたのだ。

 それも、大嫌いな姑とそっくりな葉月に……


 その時、レオンから美容室の前で美月を待っていると返信が入る。

 珠美はそれを見てすぐに電話をかけた。


「レオン、今すぐ来て。今すぐよ!!」


 電話口で声を荒げる珠美。

 レオンは美月を美容院に置いたまま、すぐに二階堂家に戻る。

 しかし、その時にはすでに警察車両が何台も二階堂家の前に停まっていた。




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