3 Pudding


 二階堂珠美————旧姓・草井くさい珠美は、結婚する前まで、花香はなか珠美という芸名で女優をしていた。

 珠美は小学五年生の頃、父が突然蒸発し、生活は困窮。

 それまでは割と裕福な暮らしをしていたため、丸々と太っている体格の良い子供だった。

 それが風呂なしのアパートに母親と引っ越してからは、「クサイたま」と不名誉なあだ名で呼ばれ、いじめにもあっていた。


 だが小学校を卒業してすぐの頃、すっかり痩せて細身になっていた珠美は、当時所属していた芸能事務所の社長にスカウトされ芸能界に入る。

 高校生の頃にはその美貌だけでなく、演技力にも定評のある人気若手女優へと成長していた。

 当時の日本の男たちはみんな、好きな女性のタイプに挙って珠美の名前をあげるほどである。


 そんな珠美に結婚の話が出たのは、彼女が20歳になる少し前。

 映画の撮影中、事故により怪我をした珠美の担当医の下にいたのが、当時研修医だった美月と葉月の父・二階堂和章かずあき

 珠美の母親が和章が二階堂病院の院長の長男だと聞き、結婚させようと行動に出る。


 和章自身は寡黙で、何を考えているかわかりにくい男だったが、医者としての才能は十分に兼ね備えた男だった。

 二階堂家の嫁になれば、珠美の将来は安泰。

 珠美の美貌は最大の武器であるが、歳を重ねれば自分より若い女優に今のポジションを奪われる。

 撮影中に怪我をしたせいで役から降ろされ、ライバルの年下女優に主役が簡単に代わったことで、珠美は自分の代えはいくらでもいるのだと思い知った。

 そういう厳しい世界にいるのだ。


 何より自分に仕事がなくなれば、何をさせられるかわからないという恐怖があった。

 珠美の母親は娘の名前を出して、水商売の男から気を引き、大金を貢ぎ、借金まで作る女だ。

 珠美の稼ぎのほとんどはこの女の借金の返済に使われている。

 珠美は当然断ったが、高校を卒業したばかりの珠美にヌード写真集や成人向けの作品のオファーを勝手に受けて来たことだってあった。

 珠美は早く結婚して、この女と縁を切りたい。


『花香珠美、大恋愛の末の結婚!お相手は二階堂病院の御曹司』という報道が出て当時は相当騒がれたが、実際は好みでもなんともない和章と結婚したのだ。

 美貌と演技力に自信のある珠美は、色恋沙汰に疎い和章をその気にさせる為ありとあらゆる手段で口説き落とし、珠美のファンであるしゅうとの章介も簡単に結婚を許可した、

 しかし、姑の和子は中々認めなかった。


「芸能人と結婚なんて」

「はしたない女」

「息子にはふさわしくない」


 さんざん罵られたが、結婚の話は着実に進む。

 そのうち珠美の妊娠が発覚するが、和子は「どこかよその男との間の子じゃないか」と疑い続けていた。

 そして結婚式の後、生まれた双子の片方が、あまりに自分の幼い頃に似ていた為、そこでやっと和子は珠美を嫁として認めることになる。


 だが、和子による嫁いびりはひどかった。

 仕事も制限され、産後に女優の活動を再開しようと思っていた珠美と和子は何度もぶつかる。

 結婚前から決まっていた復帰作の主演ドラマは、和子に妨害されて白紙になり、珠美はミュージカルで復帰することになった。


 歌の練習をするため、珠美が使っていたのが二階堂家の裏庭にある離れである。

 章介が演技や歌の練習をしたい珠美のために、使うように当てがった。

 しかし、それっきりだ。


 やはり子供達がまだ幼いのに家を空けることが多い珠美を、和子は許せなかった。

 珠美は仕方がなく、そのミュージカルが終わってから、和子が亡くなるまでの間芸能活動を休止。

 使う必要がなくなった離れは、レオンが年に数回掃除に入るくらいで、誰も使っていない開かずの間となっている。


 離れの鍵は一つ。

 珠美の寝室の引き出しに入っているものしか存在しない。


「————別に、返しに来なくてもいいのに」

「いえ、あの離れは奥様のものですから」


 薫は葉月に離れの中を見せた後、鍵を返しに珠美の部屋を訪ねた。


「まぁ、そうだけど……それで、あの子はなんだって、離れの中を見たいなんて言い出したの?」

「……先日拾った猫が、離れに何かいるかのようなそぶりを見せていたようです。それで、気になった————と」

「ふーん……そう」


 珠美は薫から鍵を受け取ると、それ以上詳しく聞かなかった。

 その代わり、鍵を元の引き出しに戻しながら、自分の要求をする。


「ああ、来たついでに……あれ、持って来てくれる?」

「あれとは……?」

「今日の新年パーティーで出してたプリンよ。殺人事件だかなんだか知らないけど、中止になったせいで食べ損ねたの。楽しみにしてたのに……とんだ災難だわ。たかが薬品会社の娘が死んだくらいで大げさなのよ。それも、血は繋がってないんでしょう?」


 珠美は甘いものが好きだ。

 その中でも、特にプリンが大好物。

 しかし、気をぬくと太りやすい体質のため、甘いものを好きなだけ食べるわけにもいかない。

 一月に一度、二階堂家のシェフが作る特製の焼きプリンを楽しみにしていた。

 珠美はパーティーの最後に食べようと大事に取っておいたのだが、事件のごたごたで食べるタイミングを失ったまま、会場にあった余った料理は今キッチンの冷蔵庫に入っている。


「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」

「頼んだわよ」


 薫は珠美の部屋を出て、すぐにキッチンへ向かう。

 表情一つ変えず、長い廊下をもうすぐ還暦とは思えない速さですたすた歩いた。


「まったく……何がプリンだ。本当に、はしたない女……」


 誰にも聞こえないほど小さな声でそう呟きながら——————





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