第23話 果し状とTLコミックと霞ヶ関文学と
十一月十二日 午前十一時五分
私は今、葉梨の実家で葉梨ヒストリーの続きをご両親から聞いている。
――中学一年生のゴールデンウィークから、スタート。
六月十五日に葉梨の実家へ初めて訪問した私は、後日ご両親へお礼状を送った。
内容を意訳すると、『この前はお邪魔しましたー、
先に出したお礼状はボールペンで書き、カステラのお礼状は筆で書いた。カステラが美味しくて、その気持ちを毛筆で
私は幼い頃から習字を習っていて字は上手い。母は以前、私に習字を習わせた理由についてこう言っていた。
『女はね、家が綺麗で字が上手いとそれだけで信用されるのよ。簡単よね。ふふっ』
大人になった娘は、母の言葉の意味がよーく理解出来るようになった。だが母に言われた通り家も綺麗にしているが、母はリビングダイニングにトレーニングマシンしか無いのは違うだろう、と言いたそうな顔をした。だが綺麗であることには違いは無いから、私は問題ないと思っている。
デカくて可愛げのない狂犬の私は、足が速いことと字が上手いおかげでマイナス評価にならずに済んでいる。ありがとう、お母さん――。
だが、果し状みたいなお礼状を受け取った葉梨のご両親も私を評価して下さったせいで、また私は葉梨ヒストリーの続きを聞くハメになっている。果し状はやめておけばよかった。
大きくなったウニちゃんは私の膝の上でひっくり返り、お腹をこちょこちょされ待ちの可愛い顔をしているが、こちょこちょしたら帰りたいと思った。
◇
午後二時二十四分
私は今、葉梨の実家の応接間で符牒を決めている。
私たちには共通する符牒はあるが、個人的に決める符牒もある。相澤との符牒はある程度、松永さんと共通したものだ。
それは松永さんの指示でそうすることになったのだが、理由は相澤が若干ポンコツだからだ。松永さんがいつでも確認出来るようにするために共通にしたのだった。
葉梨と岡島の二人だけの符牒はもちろんある。
私はそれがどんなものがあるのかを聞いたが、それを決めるのもどうかと思うし、素直に教えられて覚えた葉梨もどうなのかと思った。
「なんで『おんぶ』なんて決めたの?」
「岡島さんはおんぶして欲しい時があるそうなので」
その符牒が生きた時はあったのか問うと、一度だけあったと言う。官舎の近所で飲み、ほろ酔い気分で符牒を送った岡島を葉梨はおんぶして帰ったという。
「バカなの?」
「……はい」
その時、応接間の向こうの玄関に入って来た人がいた。話し声が聞こえる。お手伝いさんの声と、女性の声だ。お母様の声ではなかった。
葉梨は妹が帰宅したと言った。
私はご挨拶をしないといけないと思い、それを葉梨に伝えた時だった。お手伝いさんの言葉に驚いた。
「
――坊ちゃま! 坊ちゃま!!
確かにお手伝いさんからしたら葉梨は坊ちゃまだ。
だが当の坊ちゃまは闇金の取り立てみたいな格好が似合う熊の坊ちゃまだ。いいのかそれで。
「坊ちゃま……」
「はい……恥ずかしいからもうやめて欲しいですけど……仕方ないです」
妹さんは客人が誰かと聞いていて、お手伝いさんは先輩だと答えていた。私はご挨拶しようと思ったが、葉梨は決めた符牒を練習している。
妹さんにもご都合があるだろう。帰宅してすぐだ。頃合いを見て葉梨に紹介していただこうと思った。
◇
五分程が経った時だろうか。ドアがノックされ、葉梨がドアを開けると、デカい葉梨に隠れている女性の足が見えた。葉梨は応接間に引き入れ、妹さんは私に頭を下げている。
――官僚がっ! 地方公務員に頭を下げてる!
私は彼女よりさらに腰を曲げて頭を下げた。
そして顔を上げて妹さんを見ると、彼女の表情は落胆の表情を消す瞬間だった。
「はじめまして! 加藤奈緒です!」
「はじめまして。妹の
そこにいる麻衣子さんは小柄な女性で、黒髪ロングでハーフアップの髪型にネイビーのアンサンブル、千鳥格子のフレアースカートを着ている。帰宅して間もない割にはメイクが綺麗だ。グロスは塗り直したのだろう。そして微かに香水の香りが漂う。
――もしかして麻衣子さんは……。
麻衣子さんの横にいる葉梨へちらりと見ると、目をそらした。
――先輩を、岡島だと思ったのか。だから……。
これは麻衣子さんが岡島に恋をしているとか、恋をしているとかなのだろうか。ああ、いけない。私は想定外のことが起きて動揺したのだろう、同じことを二回も心の中で呟いてしまった。
だが霞が関の官僚と警察官なんて身分差があるだろう。岡島は恋人に一途で溺愛っぷりはなかなかだが、見た目は昭和のチンピラだ。最近は令和最新版インテリヤクザになっているが、油断するとチンピラに戻っている。岡島はお嬢様が恋をする相手ではないだろう。
だが私は思った。
お嬢様、身分差、一途、溺愛、チンピラ。そこから導き出されるのはこれしかないな、と。
『お嬢様が恋した相手はヤクザ!? 一途なカレの溺愛に甘くとろける官僚は今夜もコワモテなカレに愛されちゃいます!』
TLコミックにありそうなタイトルが頭に浮かんだが、現実にヤクザと霞が関の官僚が関係を持ったらいろいろとマズいだろうなと思った。
◇
応接間から微妙にがっがり顔で去った麻衣子さんのことを葉梨に聞くと、やはりそうだった。
岡島は葉梨が実家に帰る時の二回に一回はついて来るという。迷惑なチンピラめ。
麻衣子さんはチンピラ時代の岡島を怖がっていたが、令和最新版インテリヤクザに徐々に変遷している今年春頃から岡島の見た目の良さを認識し、フォーリンラブしたようだと葉梨は言う。
「岡島には言ったの?」
「言っていませんけど……」
岡島は麻衣子さんの変化に気づいていて、二回に一回はついて来ていた実家訪問は六月を最後に来ていないという。
「岡島も賢いね」
「と言いますと?」
「だって付き合って別れたら、葉梨との関係が悪くなる」
岡島は合コンで知り合った女と付き合うことはあるが、長続きしない。これは警察官だから仕事故に仕方のないことだ。もし麻衣子さんと付き合ったとしても同じことになる。
「でも妹はけっこう……あの……」
「あのさ、葉梨はいいの? 岡島が義弟になるの」
私の言葉を聞いた葉梨は固まった。ピタッと。まるで静止画のようだ。無理もない。先輩のチンピラが義弟になるのは嫌だろう。
それに私も困る。葉梨の妹と岡島が恋人同士なら岡島を抹殺出来ない。それは本当に困るのだ。
「葉梨、任せて。私が諦めさせるから」
◇
午後三時四十分
私は今、麻衣子さんとお茶を飲んでいる。膝にはクルミちゃんがいる。
岡島と私が同期だと知ると麻衣子さんは目を輝かせていろいろと聞いてきた。
だが私が警察学校で岡島から膝カックンされた時の話をした時、彼女は眉根を寄せた。お嬢様は岡島の粗暴な行いに眉根を寄せたのかと思ったが違った。こう言ったのだ。
「加藤さんは背がお高くていらっしゃいますから、岡島さんはあまり腰を屈めなくとも膝カックンが出来たのでしょうね」
――これは霞が関文学だろうか。
「はい。そのようでした」
私はそう言うしかなかった。
霞が関文学解読は高卒の末端警察官がやることではない。桜田門とか署の上の方の人が解読するものだ。それに岡島は腰を屈めずに膝カックンしたのは事実だ。
葉梨なら意味がわかるかと思い、麻衣子さんの隣でウニちゃんのお腹をこちょこちょしていた葉梨を見ると、指が止まってウニちゃんを見つめていた。
――お兄ちゃんも霞が関文学は難しかったのかな。
葉梨には諦めさせるとは言ったものの、麻衣子さんが岡島のことを話す時の目の輝きをいざ目の当たりにすると、同じ女としては応援したいとも思ってしまった。
どうしようか。
仕方ない。岡島に相談してみよう。私はそう思った。
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