第24話 フォーリンラブと噂話と御曹司と
十二月十九日 午後八時五十分
私は今、サンドバッグに蹴りを入れている。
蹴りを入れてもびくともしないサンドバッグだが、私は岡島に蹴りを入れている想定で蹴りを入れている。いつか来るであろうその日のために私は頑張っているが、足が痛い。こういう場合はどうすればいいのだろうか。ネットで調べるか、そう思った時だった。キッチンとダイニングを隔てるカウンターに置いたスマートフォンが鳴った。
すぐさま画面を見ると、岡島からだった。
葉梨の妹の麻衣子さんの件は、やはり葉梨の妹だから岡島は嫌がっていた。だが麻衣子さんは岡島のタイプから大きくは逸脱していないらしく、葉梨の妹でなければよかったと言うから、私は一度くらいデートしてみたらと言ったが、嫌だと言っていた。
「もしもし」
「あ、奈緒ちゃん? 俺だけど」
「どちら様ですか」
「冷たいなー、直くんだよー」
「で?」
岡島の話は相変わらずくだらない。
重要な話は二割のままで比率が増えることはなかった。だが岡島は重要な話の要点を先に言うようになったから、私は最初だけしっかり聞けばよくなった。進歩はしている。
「葉梨と山野の話と、野川と須藤さん」
「山野?」
「うん。葉梨が山野にフォーリンラブ」
「ええっ!?」
十月末、葉梨が私との予定をキャンセルした理由は岡島との飲み会を優先したからだったが、その飲み会に
山野は小さくて可愛い女の子だ。
大人しくて自己主張しない従順な子で、女性警察官の中では珍しいタイプが故に、同業からは遊び目的ではなく真剣に交際したいとアプローチを受ける子だった。だから松永さんに恋をした時の山野の変わり様には誰もが驚いた。
私はあの時、山野の恋心を知ってどうにかしてあげたいと思った。
恋する女の子の周りが見えなくなってしまう危うさを孕んだ真っすぐな気持ちは、私には眩しかった。私だってこんな風に後先考えずに行動出来たら、自分の気持ちを相澤にぶつけられたらどんなにいいだろうかと思った。
だからなのか、山野がいつまでも諦めない姿に私は絆されてしまい、体の関係でいいのならそう伝えればいいと言った。松永さんは基本ワンナイトだ。それで山野が満たされるなら、諦めがつくのなら、それでいいじゃないかと思った。
だが、松永さんからは叱責された。
私は納得出来なかった。山野は二十六歳だ。立派な大人だろう。分別のつく大人だ。私に何と言われようと、それを選択したのは山野自身だ。私には関係無いと思って、そう口にした。
だが松永さんは見たことのない目をしていた。それは怒りの先にある増悪の目だった。
後日、岡島からも怒られた。
山野の一件で、松永さんの指示で岡島が流した噂話は事実と全く逆だった。
松永さんが山野に執心で、深夜の署内で山野が襲われそうになった所を私が助けた、と。私が松永さんをボッコボコにした、と。
松永さんは山野を守るために泥を被った。同業には絶対に手を出さないはずの松永さんだが、山野は可愛いから無理もないだろうと皆納得していた。
そして私は山野を貶めようとした罰として狂犬の確固たる地位を築いた。
松永さんをボッコボコにするのは無理じゃないかと思ったが、狂犬の親玉の玲緒奈さんには葉梨と制服二人をグーパンして鼻血ブーの実績がある以上、舎弟の加藤奈緒ならやりかねないと誰もが信じたのだ。酷い。
岡島は、噂話の伝達経路から職員の交友関係を調べる役割を担っている。
狭い警察組織は噂話の拡がりが速い。ならば隠したい事実に九十九パーセントの嘘を混ぜて流せばいい。
岡島は混ぜる嘘を人によって変えている。そこでまた新しい交友関係を掴むことも出来るからだ。
岡島は、山野がセフレでもいいと松永さんに伝えたことがバレたら、山野はこの先ずっとそういう扱いを受けることになると私を
「奈緒ちゃん、俺、どうすればいい?」
「うーん……」
「俺は嫌なんだよ」
山野は松永さんの件があった後に異動している。
仕事も勉強もしっかりやっているという事実はあるものの、複数人から男関係に問題があると聞いている。
松永さんが泥を被ることは、山野は意図を理解している。私と岡島が松永さんの代理として山野に伝えた。だが山野はその後、私生活が乱れていった。
松永さんと岡島からは、もう私の責任ではないと言われたが、どう考えても私の責任だろう。山野には連絡を取ってはいたが、いつからか電話の折り返しも無くなり、メールの返信も無くなった。
葉梨は当然だが噂話は知っている。それは岡島から聞いた噂話と別ルートからの噂話で、あまり差異のない噂話だったが、岡島が噂話の出処だと知っているから岡島に聞いたという。『俺にとって都合の悪い事実ですか』と。
岡島は『そうだ』とだけ答えたが、葉梨は悩んでしまったという。松永さんの一件が起きる前の山野なら岡島は二人の仲を応援した。だが今は違う。
「あの、岡島さ……」
「なに?」
「私たちの出る幕ではないよ」
「うーん……そうだけどさ……」
私はソファに座って、天井を眺めている。
山野は身を持ち崩し、松永さんは泥を被って後輩を守るはずが失敗に終わり、葉梨の新しい恋は岡島に反対されている。全て私が原因だ。
「岡島……」
「ん?」
「葉梨にさ、こう言ってみたら?」
「どんなこと?」
「妹の麻衣子さんのこと」
「んんっ?」
葉梨は妹の幸せを願う優しいお兄ちゃんのはずだ。なんとなく、御両親から成人式までの葉梨ヒストリーを聞いていてそう思ったのだ。
先輩の岡島が義弟になると指摘されてピタッと止まっていたが、お兄ちゃんは自分より妹の幸せを優先させるだろう。
「えっと、『山野を諦めたら妹と付き合ってやる』って」
「…………」
「もしもーし!」
「うーん……」
岡島は、葉梨の妹とは住む世界が違うと言う。
確かにそうだ。高卒警察官と官僚では身分差がある。それに葉梨の父親は事務次官にはなれなかったが、現在は天下りしてとある企業の社長だ。岡島の実家は八百屋だから……ああ、どちらも社長だから問題無いか。スケールが違うだけで社長は社長だ。ならば今回のコミックのタイトルはこんな感じだろうか。
『お嬢様官僚が恋した相手は御曹司系警察官―今夜、キミの瞳を逮捕する―』
前回のTLコミックより健全な雰囲気だ。全年齢版か。だがとりあえずブックマークはするが結局は読まなさそうなタイトルだなと私は思った。
「とりあえず葉梨に言ってみなよ」
「……わかった」
岡島が麻衣子さんの恋人になると私は岡島を抹殺出来なくなるが、仕方ない。恋する麻衣子さんを応援することが優先だろう。
❏❏❏❏❏
松永敬志と山野花緒里のエピソードはこちらです
→ https://kakuyomu.jp/works/16817330653805951614/episodes/16817330654976606054
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