イロ

あれから薄曇りの日には今まで見えなかった色が見える様になった。それはユラユラと湯気の様で、人や動物から植物や物まで見る物全てが纏っている。最初は物の輪郭がぼやけて見えている様で、視力が落ちたのかとも思ったが、板書の文字などは問題なく見えるのでおかしいと思っていた。色と言ってもほんのりと色味がかっているだけで、お日様が出ている日や夜などは見えない。


それが、ある日の放課後、部活帰りに校庭を横切っていると、知らない女子生徒が今まで見た事も無い深い冷たい暗黒を背負っているのが見えた。他の子らと話す明るい表情とのコントラストがちぐはぐで余計目を引いた。


け。』あの声だ。

「えっ?」

『行け。アレを助けよ。』、と同時にフッと身体が浮かんだかと思うと、足が勝手に動き出した。

「ちょっ…!」

自分の意に反して、あっという間にその女子生徒の前に立っていた。

『助けるって、どうやってよ…?』

突然の登場に、その子は不審げな視線を向けた。でも同級生じゃない事が分かったのか突然肩をすくめて「あのぅ、何か?」と尋ねてきた。

取り巻く他の生徒が少しずつ後ずさりして、その子と自分を中心に半円ができた。何をすべきか分からないまま彼女の前に立たされて、ジワっと額と首筋に冷や汗が滲むのが分かった。

『もう、どうしろって言うのよっ!』

焦っていると、彼女の纏っていた色がモヤっと広がって手に触れた。湿気を帯びた冷たさと共に辛さが伝わってきて、ジワっと溢れ出しそうになった涙を俯いて堪えた。すると視線の先に彼女の綺麗な指先が見えた。いつかビーチで拾った桜貝の色だ。思わずその手を取って思い付いた事を口走った。

「きれいな爪だよね!何使ってるの?」

「はい?」

触れた手の先から彼女の暗黒が揺らぎながら少しずつ明るさを増して青っぽくなっていった。手を取ったまま続けた。

「ほら、私の爪見て!縦線入ってるでしょ!しょっちゅうササクレもできちゃうし、割れちゃうし!悩んでるのよ、マジで。」

「あっ、はい…。」

「だからあなたのきれいな爪見て、どうしても聞きたくなっちゃって…。ごめんね、いきなりっ!」

青が明るさを増して少しずつ緑がかってきた。温かみがでてきた。

その子は首を傾げて少し考えると、思い付いた様に言った。

「あの、ハンドクリーム…かもしれません。」

「ハンドクリーム…?」

「叔母がくれたんです。フランス製って言ってたかな…。今ちょっと名前は憶えてないんですけど…、よかったら家で確認しますけど。」

「そうしてくれる?助かるわ!私、3年の宮下明日叶。」

そう言って、もう片方の手も彼女の手の上に重ねてギュッと力を入れて、少し上下に揺らしてからそっと離した。

「じゃ、待ってるね。ありがと。」、と言うと、その子は少し恥ずかしそうに笑って、「はい。」と答えた。


気まずくて、恥ずかしくて、その場を急いで離れた。校門を出た所で振り返るとその子が纏う色は周りの子達に比べると格段に暗かったけれど、随分ましになっている様に見えて少し安心した。駅までの道のり、冷静さを取り戻すと、だんだん腹が立ってきた。

「何よ、あれ!いきなり『助けよ。』って、何の説明も無しに、人の身体を道具みたいに使って!」

反応があるかと耳を澄ましたが、何もない。

『あれじゃ、完全、挙動不審じゃん!もう、絶対ヤバイ奴だって思われた…。大体キレイな爪って…。そんなんで普通見ず知らずの子に話しかける!?』

カッカしていたけれど、電車に乗り込む頃には心配が募ってきた。

『…大丈夫かな、あの子…。そう言えばクラスも名前も聞かなかったな…。』

『大事ない。アッキは解かれた。』

「何よ。いるんじゃない!」、と思わず口に出してしまい、他の乗客が驚いてこっちを見た。手に持っていたスマホを少し口に近づけて通話しているふりをして、すみません、と小さくお辞儀した。

『アッキって?』

『悪しき気のことじゃ。アレは人を良からぬ場所へと引きずる。』

『ふーん…。じゃ、私が助けたって事?』かなり恥ずかしい思いをしたけれど、あの子を助けられたのか、と思うと安心した。

『いかにも。我がそちに授けた力でな。』

余計な一言にイラっとして、

『…?それややこしくない?自分に力があるんなら、私なんか使わないで自分でしたらいいじゃない!』

『それは使いのなすべき業。』

『どういう事?なんで?』

『…。』


家に帰り着き、お茶を飲もうとティーバッグをカップに入れた所までは覚えているが、気が付くと外には街灯がともっていた。食卓に座ったまま2時間以上寝てしまっていた様だった。

「あー、ご飯炊かなくっちゃ!」

母親が帰ってくる前にご飯炊いて、汁物を準備しておくのが明日叶の仕事。急いで立ち上がると、ひどい立ち眩みがした。

「あー、何かすっごい疲れてる…。」

お米をセットして、玉ねぎとワカメと卵のお味噌汁を作っている所で母が帰ってきた。

「おかえり~。ごめん、知らない内に寝ちゃって、ご飯あと20分かかる~。」

「あ、明日叶、あんた大丈夫?何か、こう…」、そう言って言葉が見つからないのか両手を伸ばして円を描くようにグルグルしながら、

「どんよりしてるよ!」と言った。

『マジか…』

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