ヒメ

「歩く?」

「うん。せっかく来たんだし。」

「イヤ、いいけど。明日叶あすか…何か、変わったな。」

「そう?」、ととぼけながらも『そりゃそうだよね。』、と思った。ママと別居してからはパパの隣を歩くのも何だかイヤで、ここ数年はなるだけ避けてきたのだ。パパを空喜びさせている自覚はある。でも、これもそれも偉そうに私を呼び出しているあの声のせいだ。

「命拾いしたからかなぁ…。それにしても気持ちいい~。ね、さっきの池、見える所あるかな。」少し大袈裟に伸びをして聞いた。

「あー、展望台からだったら見えるんじゃないか。行ってみるか。」

罪滅ぼしのため、パパには見せた事のない、研究し尽くした可愛い笑顔を作って、元気よく頷いた。パパはちょっと照れ臭そうに歩き始めた。


車で来た道を逆方向に歩いていくと程なくして左手に展望台が見えてきた。さっきからの風が追い風となって急かされる様に歩を進めていくと、桃色の光が淡い柱の様に真っすぐ流れる雲をも突き抜ける様にはっきりと立つのが見えた。展望台から目を凝らすと、池の周りの遊歩道歩く人影が見えた。どこからあの道に降りるんだろう、と身を乗り出すと、何のことはない、一段下にも展望台があって、そこから、手すり付きの階段が続いていて「縄が池遊歩道」と丁寧に標識まであるではないか。


「ねぇ、パパ、遊歩道があるって。行ってみようよ。」と標識を指さした。

「でも道が悪いって、さっきのオジサン言ってたじゃん。今回はやめといた方がよくないか?」

「大丈夫だよ。ほら見て、歩いてる人いるもん。」、と私が指さす方向を見て、

「おっ、本当だな。」と言ってから、私の顔を覗き込んだ。

「疲れてないか?無理して、何かあったら大変だからな。」

「大丈夫。ゆっくり歩くし、無理はしない。」、と得意の上目遣いでお願いすると、

「そっか。ヨシ、じゃちょっと行ってみるか。どっちにしてもこの風じゃ、まだテント張れないしな。」、と言ってパパが先に下りて行った。

「気を付けろよ。」

「うん。」

風に吹かれながら階段を下りていくと、今に足元を掬われてそのまま宙に舞い上がりそうで、手すりをしっかりめに掴んで、一歩一歩足裏に力を入れて進んでいった。階段を降りきって、安心して目をあげると、さっき展望台の上から見た人が立ち止まって池を眺めていた。裾がはためいて、女の人だと思った。

「へー、キャンプ場にそぐわない格好だな。」、とパパが言った。パパは目が良いのが自慢で、40代半ばの今でも2.0は見えると豪語している。私は学校の板書位なら見えるけど、そんなに遠くは見えない。

「よく見えるね。」

「まぁな。それにしてもイヤに綺麗な恰好してるな。」

『綺麗って…』と思ったのが顔に出たのか、

「おい、そんな怖い顔すんなよ。散歩にはそぐわない格好だなって思っただけだよ。」

その女性はチラッとこちらを振り返ったかと思うと、急ぐように歩き出した。そして、私たちとの距離が少し開くと確認するよう立ち止まって、また歩き出すと言った具合で、一向に距離は縮まらず、私にはその人がどんな格好しているのかが分からなかった。

そうこうする内に、桃色の柱がは段々と近づいてきた。遊歩道は緩やかに左に曲がっていくが、柱は真正面奥。すると前を行く女性が、迷わず真っすぐ柱の立つ雑木林に入って行った。でもその姿は木の陰になったのかすぐに見えなくなってしまった。『あの人も呼ばれたのかな。』、と直感的に思った。

「あれっ、あの人は?」、池を眺めていたパパが聞いた。

「真っすぐ、あの森の中に入ってっちゃった…。奥に何かあるのかな?」なるだけ自然に言った。

「どうだろうな。まぁ、近くまで行ったら分かるだろう。」

そうして200mほど歩いて、あの女性が入って行った所を見ると、足元には大きめの平たい石が敷かれた石畳が雑草の下に見え隠れしていた。目を上げると、奥にそれは立派な木が何本か生えていて、細い縄が掛かっていた。桃色の柱はその辺りから出ている様だ。

「あー、きっとあの木がご神体で、近くに神社か何かあるのかもな。どうする?行ってみる?」、と尋ねるパパに、しっかり頷いて、石畳へと足を踏み出した。


木がざわざわと枝を揺らす。光の柱はもうすぐそこだ。

すると木立の陰にさっきの女性の赤いスカートが見えた。

近づいていくと、女性はこちらを振り返った。真っすぐに私を見据えたかと思うと、『あっ!』、ユラリとその場に崩れる様に倒れてしまった。


「大丈夫ですか!」急いで駆け寄るパパの後に続くと、倒れた女性の脇に小さな朽ちかけた祠があるのに気が付いた。桃色の柱はその祠を中心に描いた円から出ていた。思わず手を伸ばしながら近づくと、途端に桃色の柱がフっと消えて、それと同時に周りの景色の彩度が一段階上がったような気がした。


「遅し!」イライラした太い声が耳の奥に響いた。驚いて回りを見たが誰もいない。


「救急車呼ぶか!場所は、縄が池の遊歩道の…。う~ん、明日叶!その辺に目印になるものないか?神社の名前とか?」、とパパに言われて祠を見やると側に古ぼけた板が傾いて刺さっていて墨で名前が書かれていた。

「姫神社だって!」

パパは急いでポケットから携帯を引っ張り出して、救急車を呼んだ。


救急車を待つ間に、その女性の意識は戻ったが、呆然としている彼女は、今どこにいるのかも、どうやってここまで来たのかも全く覚えていない様だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る