キャンプ
あの場所は病院の清掃員のおばちゃんに聞いた。どうやらその山の中腹にはキャンプ場があって週末になると利用客で賑わうらしい。
呼び出しがかかっているとは言え、一人でよく知らない場所に行くほど肝は据わっていない。どうしようか考えていると昔の事を思い出した。
小学校に入った頃だったろうか、足元がまだ覚束ない弟と、父親に連れられて時々キャンプに行った。暗い夜、焚火の光の輪の向こうに何かが潜んでいそうで怖くて早く家に帰りたかったっけ。
『パパに頼んでみるか…。」
断られない様な言い回しをアレコレ準備して、退院の日、家に向かう車の中で父親に言った。
「あのさ、病院の窓から見える山にね、キャンプ場があるんだって。」
「らしいな。最近キャンプ好き増えてるみたいだしな。何かトイレとかシャワーとかの設備がある建物ができたとか聞いたな。」
「ねえ、パパぁ、私がちっさい頃キャンプ連れてってくれたよね~。」
「えっ、覚えてんのか?あんま好きそうじゃなかったから、大きくなってからは行かなくなっちゃったけどな。」
「夜の外、怖かったんだよ。でも、思い出したら懐かしくなっちゃってさ。ソーセージとかちっちゃいフライパンで焼いてくれたよね。」
「おー!ママが持たせてくれたおにぎりと食べたよな。」
「そー言えば、キャンプ、ママはいなかったよね。」
「あー、あの頃、ママちょっと参っててさぁ。だから休みの日はお前らの面倒は任せとけって…。でもお前らなかなか大変でな。で、外に連れ出すと割と大人しくなる事に気付いて…。きっと外だとパパが唯一の頼れる大人だったからだろうな。」、と居心地悪そうに笑った。
「ねぇ。久しぶりにキャンプしない?あそこで。」
「そうだなぁ…。」
「金曜とか、土曜とか。どう?」
「金曜って、今週の?」
「うん。退院祝いにさ!」
「退院祝いか…、じゃ、仕方ないか。」
父は普段はつれない娘のお願いに、明らかに嬉しそうで、ちょっと良心が痛んだ。でも「タダチニイデコヨ」という声は日に日に苛立ちを増している様で、退院する頃には、周りのガラスがビリビリ震える程になっていた。
不思議と冷静に受け止められてはいるが、とにかく声の正体を突き止めないと落ち着かないし、「来い、来い」と一方的に言われるのも腹が立つ。それに何より「行かなくちゃ。」っていう、得体のしれない焦りに似た気持ちが抑えられなかった。
次の土曜、父親は約束通り朝からキャンプの準備をして迎えに来てくれた。白髪がチラチラ見え始めたボサボサ頭が気になったけど、服装のせいか、何だかいつもより若く見えた。
普段父親とは顔も合わせたがらないのに、ママが珍しく飲み物やらおにぎりやら入れた保冷バッグを持って玄関まで見送りに出てきていた。
「ありがとう。」と言ってバッグを受け取ると、ママはニッコリうなずいて、パパに視線を向けると、
「随分久しぶりだけど、大丈夫なんでしょうね?」、と言った。
「実は俺も心配で、昨日家でテント組み立ててみたよ。まぁ、独りでも何とかできたし、今日は
「退院したばかりだし、無理させないようにしてよね。はい、これ、念のため。」、と保険証を出した。
「分かってるさ。着いたら連絡するし。…でも、そんなに心配だったら一緒にどお?場所あるよ。」、と言われ、ママは少し考えている風に首を傾げた。
こんな自然な二人、いつ振りだろう。私が知っているママとパパにはもっと距離があったし、もっと互いに無関心だった。何だか今まで自分が暮らしていた世界とは少しだけいい方向にずれた世界に生まれ変わったかのような不思議な気がした。助手席に座り、明るい気持ちで、窓越しに高い秋空を見上げていると、
「タダチニイデコヨ。」、とまた低い声が降ってきて、窓ガラスが細かく揺らした。
「だから、今、行こうとしてるじゃない!もう!」、と思わず声が出た。
と同時にパパがドアを開けて、「えっ、何か言った?」と聞かれ、
「ううん。」、と慌てて首を振った。
「じゃ、行くか!でも、体、きつくなったら、我慢せずにすぐ言えよ。ママも心配してるし。」
「うん。…今日、ママ、ちょっと優しかったね。」
「ああ。」
「パパ、ちょっと嬉しそうだった。」
「そうかぁ?」
フフ、と笑顔を交わして、パパはエンジンを掛けた。
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