ヨビヨセ
ようやく出口に辿り着くと、外は霧のような細かい雨が木々を包むように柔らかく降っていた。生気をたっぷり含んだ湿り気のある空気に触れた途端、全身が髪の毛の先までピリピリと痺れて文字通り生き返った心地がした。耳の奥にトクトクと心臓の鼓動を感じ、血の巡りに体がじんわりと熱を帯びできた。
何だか泣けてきて、涙が止まらなくなった。
ピ…ピ…ピ…。
「心拍戻りました!」
後で母から聞いた話によると、どうやら不整脈発作で、通学途中の電車の中で倒れて救急搬送されたらしい。ちょうど居合わせた人がAEDを使ってくれたおかげで一命を取り留めたという。3日目の朝意識が戻り、色々検査を受け、おそらく何かのウィルスが原因だろうと結論づけられた。そう言えば倒れる前、ちょっと風邪を拗らせてたっけ、と思った。何はともあれ幸い重篤な後遺症などはなく、念のため暫くは定期的に通院するようにと言われて10日ほどで退院した。
ただ私には意識が戻ったあの日から呼び出しがかかっていた。
一般病棟に移った日の夕ごはんの時、私は出された食事の半分も食べられなくて、お盆を乗せたテーブルを早々とどかすのに気が付いてか、隣のベッドで食べ始めた所だったおじさんが話しかけてきた。
「ねぇ。あのさ、これ、奥さんが内緒で持ってきてくれたんだけど、『まだ食べちゃダメですっ』、って看護婦さんに叱られちゃってさぁ。賞味期限、今日なんだけど食べる?」と言ってピンクの蓋のプリンをくれた。私はプリンとかゼリーとかトロトロ系には目が無い。お礼もそこそこに早速スプーンですくって口に運ぶと、口中に広がる優しい甘さに、「美味し~!」、と言っておじさんの顔を見た。
すると、「そっか~。そりゃ、よかった~!」と嬉しそうにほころんだおじさんの顔が、突然表情を失った。
見開いた目の中で瞳が一瞬揺らぎ、それから目玉がゆっくりと動いた。私と目が合ったと思いきや、
「タダチニイデコヨ。」、と頭の中でエコーする様な妙な声で言ったのだ。
何事かと驚いていると、瞬きしたおじさんはさっきのニコニコ顔に戻っていて、私の表情を不審に思ったのか、「えっ?」、と聞いてきた?
「あの、今何て?」
「えっ?よかった、って言ったけど?」
「いや、その後。」
「その後?ん?僕何か言った?」、と本人は全く気が付いていない様子だった。
そして、次の日も、その次の日も退院する日まで別の人が代わる代わる同じ言葉を発した。最初は意味不明だったけど3度目位には「直ぐ来い」と言われている事が分かった。
『来いって、どこによ』、と思ったその夜、温かいお茶が飲みたくなって給湯室に行くと、窓の正面の山の中腹にはっきりと小さな光のドームが見えた。まるで野外コンサートか何かでライトアップされている様に。
あそこ…?。
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