フタタビ
大きく強く光る二つの円に目がくらんだ。
思わず目の上に手をかざした。光は少し向きを変えて唐突に消えた。そして突然の暗闇。
「ちょっ、ちょっと、何にも見えないんだけど…」、
と焦りながらそろそろと後ずさりしていると、バタンと音がして、誰かがそばを通り過ぎた気配がした。ペタペタと足音が響く。
だんだん周りに目が慣れ始めて、茶色がかったオレンジ色っぽい灯がぼんやりとそこここに浮かび、ポツリポツリと黒い輪郭が見え始めた。どうやら駐車場らしい。ぐるっと見回すと、ガチャッと重たいドアを開ける音がして、左前方に白熱灯の明かりが漏れた。
『あっ、出口。』と思った瞬間、足元から重力が消えてドアが閉まる前の隙間をスルリ通り抜けていた。『夢か…。』
そこは、エレベータがあるだけの灰色の四角い部屋。
見ると、つばの歪んだバケットハットを目深に被った男性がエレベータのボタンを連打していた。ボタンを押す音の速さにせかされる風もなくエレベーターが軋み音を立てながらゆっくり降りてくるのが聞こえた。男性は乗り込んでからも、1階のボタンを押すなり、「ったくよ~っ。」、などと言いながら、すぐに閉のボタンを連打している。柄が悪い。香水だろうか、不安を煽るような甘ったるい臭いが鼻をつく。向こうには私の姿は見えていないようだが、思わずふわり、少し距離を取った。
ようやく動き出したエレベータはガタピシいいながらも、ちゃんと1階に到着し、扉が開いた。男が降りるのを待って顔を上げると数メートル先に見えた顔にハッ、と息をのんだ。
管理人室の中で軽く会釈したのは紛れもなくユウだった。
「ユウ!」
と口にしたのと同時に私はもうユウの背後にいた。ユウは背後を気にするようにチラッと視線を投げ、首を傾げながらキャスター付きの椅子に腰かけた。ユウの前には、何やら監視カメラ映像らしき画像が幾つにも分割されたスクリーンに映し出されている。映像はどれも薄暗く何も見分けられそうにない。「ユウ、こんなんでちゃんと見えるの?』、と画面に顔を近づけると、ユウがクンクンと鼻を鳴らした。「何か臭う?」、とつられて、クンクンしていると、声がした。
「おい、兄ちゃん。」さっきの男が呼んでいた。
ユウは「はい。」と返事をして、受付の小窓を少し開いた。
「ここ、佐々木っていう警備員がいるだろ。」男は、その窓から管理人室の中を覗き込むようにして聞いた。「今どこだ?」
ユウの肩に不信感が漂った。
「あの、失礼ですが、どちら様…」
「誰だっていいだろうが!約束してんだよ。呼び出せよ。」
この手の
「申し訳ありませんが、決まりですので。お名前頂ければ、すぐ連絡しますから。」
男はチッと舌打ちして、そっぽを向きボソッと「息子だ。」と言った。
ユウは会釈して、トランシーバーを手に取った。
「あの、警備員室ですが。」ザーと機械音がした後、
「はい、こちら佐々木。どうぞ?」
「あの…」と、ユウは私のいる方に向きを変えて、小声で続けた。
「息子さんだ、っていう人がいらしてるんですけど…」
「おーい。親父ぃー、俺だぁ。」、と男は半開きだった小窓を勝手に全開にして、そこから顔を突っ込まんばかりにして大声を上げた。くたびれた帽子と服装のせいで年嵩がいっている様に見えたが、その肌には張りがあり皴一つ、シミ一つなく、まだ若い。30代前半と言ったとこだろうか。胸元からカラフルなタトゥが見え隠れした。不快感はそのままだけど、怖さは半減した。思春期から抜け切れずに大人になってしまった粋がってるだけの子供だ。
「すみません、ご迷惑おかけしますね…。ここ終わったらすぐ戻るので、ちょっと待たせといて下さい。」向こうから、機械音に混ざって返答が聞こえた。
「はい、了解しました。」トランシーバーを机の上に置くと、男に向かって
「佐々木さん、すぐいらっしゃるので暫くお待ち下さい。」
不良を目の前に、際立つユウの落ち着いた態度と丁寧な言葉遣いに『さっすが~!』、とウットリしてしまう。
「んじゃ、中で待たせてもらうわ。」男は一方的に言い、「これ、どっから入るんだ?」と入り口を探し始めた。
「すみません。そちら側に出入口はないんですよ。ここは関係者以外入れない事になってますんで…。」
「うっせーな。こっちは暑いんだよぉ。熱中症にでもなったらどうしてくれんだぁ!そっちはクーラーかかってんだろぉがよぉ。」、と男は声を荒げて凄んだ。
「すみません。佐々木さん、間もなく戻ると思うので…。」
「てめえ、なめてんのか!」、と言うと拳骨の横で窓をガンガン叩いた。
その粗暴な態度に固くなったユウの表情を見て「もう!」、と思った瞬間、私は男の真後ろにいて、『あんた、いい加減にしなさいよ!』、と男を窓ガラスから引っぺがすようにの肘を掴んで思いきり引っ張っていた。男は突然の事にバランスを崩し、派手に尻もちをついてしまった。驚いたように目を見張ったまま呆然となっている所へ、ユウとお揃いの警備服姿の年配の男性が警備室に入ってきた。
「また大声出してただろう。下まで筒抜けじゃないか。」、と
男は返事ができない。
「おい。大丈夫か?」、と息子に声をかけ、ユウの顔を見た。
「イヤ、ちょっとよく分かんないんですけど、何かに躓いたのか、急に尻もちついちゃって。」ユウは小声で説明した。
「おい。…タカシ!」
「…あ、親父ぃ。」やっと父親に気が付いたのか、男は、気の抜けた声をだした。
「どうした?腰でも抜けたか?」
ハッと我に返った男はユウを睨みつけて、「そいつだよ。そいつが何かしたんだ。」佐々木さんはユウを見る。
「いえ。僕、ここから一歩も出てませんから!」ユウはお腹の前で両手を小刻みに振っている。
佐々木さんはさっき入ってきたばかりのドアへと姿を消すと、薄くなった髪を撫でつけながら息子のもとへとやってきた。「ほれ。」、と言って差し出された手を取るなり、さっきまでの威勢はどこへやら、息子は「親父ぃ、俺さぁ。ちょっとヤバイかも…」、と言うと、父親の手を握ったまま俯いて静かに肩を震わせ始めた。
佐々木さんは少しかがんで背中を優しく叩くと、「オイオイ…。とにかく、立て。」、と手を引いた。息子は俯いたままゆっくりと立ち上がった。
「あと1時間で休憩だ。時間、あるんだったら、向かいの喫茶店ででも待ってるか?」、言ったのが聞こえたのか、ユウがすかさず、
「佐々木さん。早めに休憩行かれたらどうですか?今、利用者も少ないですし。」、と言った。気遣いのできているユウの成長が眩しい。
「そうですか。では、お言葉に甘えさせてもらいます。30分程で戻りますから。」
そう言って、息子の背中に手を添えて、ゆっくり駐車場を出て行った。
ホッと一息ついてユウの方を見ると、ユウもまた安心した顔をしてストンと椅子に腰を掛けた。
『あっ、そうだ。…ここ、どこの駐車場だろ?』看板らしき物は見当たらない。外になら、と思い立って歩き出したが、数歩先の世界は印象派の絵画の中みたいで明暗は分かっても全ての境界線がぼやけてしまって、何も定かに判別できない。振り返ってユウを見るとピントがカチっと合う。何かヒントは無いものかと目を凝らすとユウの後ろの壁に家紋の様なロゴが見えた。三つの輪っかが三角に並んでいる。その下に何やら文字が書いてあるようだ。読もうとした所で、フッと身体が浮いた。
Tr...
ttt...。
ん?
白い天井。
加湿器の静かな音。
「えっ…。ええ~!もうっ!あ~、もう少しだったのに!」、
と足をバタつかせて、そのはずみで浮き沈みする布団が嬉しくて、もう数回大げさに足を動かしてみる。
「あ、そうだ!」
バッと起き上がり、ためている裏紙メモ用紙にさっき見た家紋を描き留めた。
カーテンの隙間から朝日が差し込んで、宙にほこりが舞うのが見えた。
これで二度目だ。二度目のユウは前回に比べると心なしか少し元気そうだった。良かった。
今日は布団でも干そうか。
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