第17話 念慮滞留

「それにしても笑っちゃいますよね、志願者が逝けなくなるなんて。」


「ひょっとしてあれ、人魚の肉とかその類だったのかなぁ。」


 そう困ったようにへらへらと笑う後輩A(仮名)から、記者の元に連絡があったのは夏の終わり。


「いいネタってか、ちょっと相談に乗ってほしいんですけど、時間ありますか先輩?」


 と、学生時代と変わらぬ軽薄な文体でメッセージが送られてきた。


 早速記者が日取りを設定すると、当日、彼は10分遅れで喫茶店へとやってきた。あの頃と同じく、首に痛々しい赤い縄跡をつけて。


「いやぁ昨日飲みすぎちゃった勢いでつい。まぁ二週間やってなかったのは自己記録更新ってか、大人になったというか。」


 思えば彼は、学生時代からある一種の念慮のせいで躁鬱が激しく、特にアルコールを覚えてからはその念慮を度々実行に移すようになっていた。


 病院に運ばれたことも一度や二度ではなく、家族からはもはや呆れられ、絶縁状態になっている。


 当然、友達と呼べるようなものも皆無である。というか彼は人づきあいを極力排除している節がある。


 記者の連絡先を残していたのも「怪異の生贄とかいるなら僕使っていいですよ。但し家族に迷惑かけない案件で。」と要するに目的を満たすためのツールとして度々連絡を取っていたというだけである。

(当然、督促されてもそんな案件は基本専門組織の方に流れていくのでこっちが取り扱うことはそうそうないのだが。)


 しかし、今目の前にいる彼は学生時代よりも社交的で、心なしか表情も明るいように見える。学生時代散々この世を呪う実況通話を聞かされてきた記者としては、今だに行為を続けながらも明るく振舞う、その様子の方がむしろ不気味であった。


 当然そのことを言及することはしない。あくまでこっちは話を聞き、それを書き残し人の記憶に刻む。それが仕事なのだから。


 早速記者は手帳を開き、いつものインタビュー態勢に入る。「真面目なところ相変わらずですね。」と笑いながら、Aもそれに応じた。


「まぁ、どこから話したらいいのかな。ああ。まず俺、あの頃と違って今一か月に一度ほど、俺入れて四人で集まっている同族がいてさ。」


「そうそう、俺と同じような念慮持ちっていうの?最初はそういうオフで知り合ったけど結局失敗して。それから気が向いた時に生存確認も兼ねて集まるようになったの。」


「で、そのオフにはいくつかルールがあって。その一つに、オフには集まるまでに書き溜めた遺書を持って行って披露するっていうのがあるのよ。」


「難易度高そうにも思えるけど、まぁ俺含めて四人ともそーゆー念慮持ちだからさ、集まるまでの期間にまぁ少なからず行動に移しては失敗しているわけで。その時に書いたやつを全部持ってきて見せ合いっこしながら酒のつまみにするのさ。」


「結構みんな内容面白いよ。女二人男二人の集まりなんだけどさ、一人のお姉さんはプロの行政系事務やってるから死んだ後の処理まで完璧な書類作ってるから参考になるし、もう一人の女の子はセミプロの小説家だから読ませる文章してる。」


「それで笑えるのがもう一人の男の方でさ。そいつ結構アッパーな逝きたがりで行為もバカなやつばっかりなんだけど、文末に必ず『俺の事は末代まで語り継いでくれ』って書いてて。」


「あー話がそれましたね先輩。……あ、俺?みんなには『怨念高くて最高』って褒められますね。」


「話し戻すと、まぁそんないつものメンバーで先月、滝つぼにBBQ行ったんです。」


「まぁいつも通り皆一か月書き溜めた遺書見せ合って、焼く前の一杯やってたら、なんか滝つぼの方から大きい水しぶき上がったんですよね。」


「それ見た男(以下Bと記載)が『絶対あれヌシでしょ!獲ってくる!』とか言ってバシャバシャ滝つぼに入って行って。それ見たお姉さん(以下C、あと一人をDと記載)が『集まってるときに死なないのルールだからねー』とかほろ酔いで茶化して。」


「あ、俺とDちゃんは二人でコンロの準備してて。でもうっかり着火剤誰も持ってきてなくってさ。」


「そしたらDちゃんが、俺が持ってきた遺書指さして『よかったら、これ』とか言ってきたんだよ。」


「まぁ他に着火剤になりそうなものもなかったし、俺この回は学生時代に書き溜めてたやつとか結構持ってきてたから、いいよってそれ燃やしたの。」


「あーそうですそうですオリジナルの呪詛びっしり書いてたあれです!先輩よく覚えてましたね。そういえばあの頃が一番いなくなりたいって思ってたなぁ。」


「そうしてやっとこさ火がついたところにBが『すげぇこれ!』って言いながら両手に何か抱えて帰ってきて。」


「それがさ。とんでもない大きさのサーモン?鱒?みたいな。とにかくそういうサケ科のバカでかい魚でさ。」


「B曰く、現場に行った時にはもう死ぬ寸前みたいな感じでぷかぷか浮いてたから、どうやら滝の上から落ちてきたんだろうって。」


「……。先輩詳しいですね。そうなんですよ。あそこらへん確かに鮎とかヤマメとかは釣れるけど、鮭みたいなのって話聞いたことないし、もう死んでるしで不気味がってたんだけど。」


「さっきより酒入ったCさんが「私魚捌けるよ!」とかって張り切り始めて。包丁持ちだしてまな板の上で処理し始めたんですよ。」


「で、いざお腹割って中見てみると、見たこともないぐらいキラキラした腹子と、真っピンクの身で、なんというか見ただけで、あ、これ美味いやつだわって四人とも察して。」


「結局持ってきた肉やら野菜やらがちょっと余るレベルで、その魚メインに食べちゃいましたね。四人とも。」


「あ、当然焼いても喰いましたよ。しかも途中から他の三人も遺書くべだして。『次からこれもルールに加えちゃおっか』的なこと言って別れましたね。その日は。」


「で、話はここからなんです。」


「BBQ終わって三日ぐらいたった時、ニュースから○○峠でバイク事故って流れてきて。俺それ見て『あ、とうとうB成功したんだな』って思って。」


「あ、やっぱり流石怪異系記者。やっぱり○○峠の笑い女の事は知ってるんですね。まさにB、その女と天国でハネムーンするからってあのBBQの時言っててあー実行に移したんだなーってニュース見てたら、男は軽傷って触れられたきりで。」


「でも、画面に映っている風景は明らかに尋常じゃない量の血がガードレールについてるし、タイヤの跡はガードレールぶち破った先の崖まで続いてたし、いやいやいやとか思いながらグループライン開いたら、すでにその話題になってて。」


「そこでの話だと、『なんか女がガードレールに背もたれして手招いてきたから喜んで!ってアクセル全開で崖下に突っ込んだら、女とキスした瞬間意識切れて、次の瞬間警察署だった。』っていうのが概要で。」


「何が一番不気味だったってB『ケガ一つなかった』っていうし、証拠写真もかすり傷だけで明らかに映像と矛盾してて。」


「それだけじゃないんです。その翌日にDちゃんも。」


 Aはそこでいったん息をつき、水を飲んだ。記者が○○の鉈切り名無しさんか捕まってたなという事に触れると、「そうなんですよ!」と声を荒げた。


「Dちゃんって、なんかヤバいやつと知り合ってそいつにっていう他力本願型なんですけど、まさにその鉈切りに襲われたらしくて。」


「『わ、伝説の鉈切りに被害者の一人とか光栄~って思って目ぇつむったら次の瞬間自宅の布団だった。最悪。』ってサークル日記に上げてました」


 記者はその鉈切りが、次の日手にかけたはずの相手が生き返ったことにおびえて出頭したという、同僚の小ネタ集記事を思い出しながら、コーヒーを啜り続きを聞く。


「で、そんなこと立て続けに続いたらやっぱり原因探したくなるじゃないですか。だからネット強い俺とCさんであの滝やら地域やらの逸話とか探してたんだけど、見つからなくって、こうして先輩にお願いしたわけですよ。」


 記者が、会うまでの一週間で何か変わったことはなかったかを聞くと「ありましたありました!」とAはやはり明るく話す。


 その明るさは、明らかになんらかに魅入られている、人はずれじみたものであった。


「まず、俺の首からもわかるように、昨日ちょっとやらかしちゃったんですね。その時趣向を変えて、最近噂の『キャミイさんが地獄に誘う催眠音声』、使ってみたんですよ。そうそう!催眠解除がなくってマジでラストの首つり実行に移す奴多発してるっていうあれです!」


「で、俺もそれ聞きながらふわふわした気持ちでいつも通りドアノブに紐かけて指示通りにしてたんですよね。そしたらふっと耳元で変な声聞いたんですよ。」


「内容?はっきり覚えてます!『あなたよりこっちがいいや』って音声と、そこから悲鳴ですね。」


「後から台本調べて読んでみたら、そんなセリフも悲鳴もどこにもなくって。」


「後、ここ来る直前Cさんからも連絡あって。『時代劇面白かったから辞世の句読んで腹十文字に切ってみた。確かに肝臓貫通した感覚あったのに傷一つない』って。」


「で、実は四人ともうすうす原因はわかってるんですよ。どう考えてもあの鮭もどきの主食べたのがまずかったんだって。」


「それにしても笑っちゃいますよね、志願者が逝けなくなるなんて。」


「ひょっとしてあれ、人魚の肉とかその類だったのかなぁ。」


 そう言うと言って自分で怖くなったのか、Aは汗をかいたグラスの水を、一気に飲み干した。


 しばしの沈黙の後、記者はその場所に行って実際そこにいるモノに聞いてみろと提案したら。


「えぇっ!できるんですかそんなこと!ぜひともお願いします!」


 と、Aは二つ返事で快諾した。


 こうして、特務班の禁域定期巡回に、記者も付き合う羽目と相成ったわけである。


「おはようございます!被怪者と隊員の諸君!そして相変わらずよくわからん記者!いきなり移動時間を睡眠に当てようとするな!」


「はい!今日は月に一度の楽しいBランク禁域定期巡回の日です!張り切って事故の無いように!そして現場に慣れていない被怪者とそこのモヤシ監査担当、そしてそいつが連れてきた寝ぼけた粗大ゴミの護衛と、安全第一で異常点検していきましょうね!」


「それでは総員唱和!!!!あ、被怪者の方はできたらで大丈夫ですので……。おいそこのモヤシとゴミ!!!!!お前らは現場同行何回目だ!!!!!いい加減安全勅語ぐらい暗唱できるようにならんか!!!!!」


 次の週末、記者と念慮サークルの四人、そして記者と普段懇意にしている特務班の監査役は、禁域巡回のマイクロバスに揺られて、例の滝つぼへと向かっていた。


 途中、巡回隊長のうるさいブリーフィングに記者の貴重な睡眠時間が何度も邪魔されるハプニングもありつつ、バスは順調に山道を登り、例の滝つぼへと到着した。


 隊員たちががけ崩れや動物の侵入跡、儀式の痕跡等がないかを調査しているうちに、記者は念慮サークルの四人に追加取材を申し込もうとしたが、


「ちょっと記者さん!?僕一人にしないでくださいよ!わかるでしょあの隊長ちゃんと場を整えないとキレだすの!」


「大体あんな大掛かりな口寄せ儀式、僕だって立会久しぶりなんですから。普段から修羅場くぐってる記者さん頼りにしてるんですからね。ほら準備準備。」


 と、記者の仕事はつゆ知らず、昼からの口寄せの準備の為寝不足の体を駆りながら、儀式用の設備準備を手伝わされた。


 思えば、この時もう少し彼らのバックヤードを掘り下げられていれば、後ほどの結論も少しは変わったのかもしれないが、ごれが既に記事になって世に出ている以上、思いを褪せても後の祭りである。


 肉体労働を終え、ある程度儀式セットが組みあがったところで、昼食の時間となった。


「いやぁ先輩、結構大変な仕事してるんですねぇ。」


 と、相変わらず不気味にニヤついたAが、昼食の同伴を申し出てきたので、付き合うことにした。


(ちなみにあのモヤシ監査役は、隊長との打ち合わせのため連れ去られた。合掌。)


 折角仲がいい仲間と一緒なのだから、四人で昼食を取ればいいじゃないかと記者が言うと、Aは、


「いやー。Bは先ほども見ていたように隊員さんと意気投合しちゃったし、Cさんはここ来てからあからさまに押し黙っちゃったし、Dさんはまだバス酔い抜けてないみたいだから。先輩しかいなくって。」


 なるほど、これは手伝いサボったところでインタビューできる状況ではなかったなと安堵しながら、Aはどう思っているのか暗に聞いてみた。すると。


「いや、ああいう組織があるっていうのはずいぶん前から聞いてはいたし、何なら入ってみたいとも思ってたんですけど、諦めて正解だったなと。」


「確かに、こういうノリの所ばっかりじゃないんでしょうけど、なんかこう。俺がいる場所じゃないなって。」


「思えば、この事件の話しだしてから、あれ、何かこのサークルも違うなって考え始めてきて。」


「なんというか……。言語化しづらいんですけど、みんななんだかんだ言いながらちゃんと地に足ついて、目的持って生きてるじゃないですか。」


「先輩は俺見ててわかると思うんですけど、俺行動原理が『消えたい』しかないんですよね。なんというか、その場に存在しているのに違和感があるというか。」


「でも、人並みの臆病さも持ち合わせているから、結局酒飲んだ時にしか行動しないし、何ならいつも失敗するし。」


「だからあの頃世界を呪ったし、今でも少なからず呪ってるんですわ。まぁ、最近はもう自分がいなくなればっかりになっちゃいましたけど。」


「まぁ、そんなん言われても先輩も困っちゃいますよね。いいんですよ、先輩はそのままで。」


「黙って全てを見届けて、書き記して忘れない。先輩はそのままで、大丈夫っす。」


 Aはそう言うと、またふらりと滝つぼの方に去っていった。(ここに来てから、Aはずっと滝つぼの近くでぼぉっと座っている。)


 記者はその最後の言葉をAの呪いとして刻みながら、遠くから一度だけ、シャッターを切った。


「それでは諸君!今から特別事案対処として、滝つぼ付近での口寄せを行う!貴重な経験だからしっかりと血肉にしてこれからの任務に役立てるように!」


 昼休み後、いよいよ口寄せの儀式が始まった。


 まず、監査役が滝つぼに向かって、粛々と祝詞と呼詞を唱え、儀礼通りの回数、礼をする。


 次に当事者であるサークルの四人を前に出し、監査役が当時の状況を祝詞風の文に直し、また滝つぼに向かって朗々と読み上げる。


 その後、いよいよ儀式殿に座ったのは、


 堅く目を閉じふんどし一丁で結跏趺坐を組んた、隊長であった。


 隊員とサークルと記者は、激しくなっていく呼詞の節と、歯をきつく食いしばる、隊長の暑苦しい顔を、固唾をのんで見守る。


 そして隊長の首ががくんとうなだれた瞬間、待機していた隊員が一斉に刀の柄に手をかけた。万が一降りたものが敵対感情だった場合に備えての事だ。


 しばしの沈黙と緊張感が流れた後、


「あー……。あーすごい。こんなにいっぱいにんげんいるのひさびさー。」


 ゆるゆると顔を上げた隊長から発せられたのは、先ほどまでとは打って変わった、間延びした声であった。


「急にお呼び出ししてすいません。貴方は……。」


 監査役が畏まった口調で話しかける、すると、


「あ、大丈夫ですよ。人間の言葉だいぶわかります。私の事は『たまり』と呼んでくだされば大丈夫です。あ、記者さんも記事にするときはこの名前でお願いします。ホントは長ったらしいやつあるんですけど、いちいち字に起こしてられないでしょう?」


「あ、お久しぶりです『さーくる』さん。あの子美味しそうに食べてくださってありがとうございました~。正直人間の食べ物わからないから、口に合うかなって不安で。」


 怪異にしてはかなりフランクな口調で話しかけてきたので、隊員の中には構えを解くものすらいた。


「あ、それでは、あまり口寄せの時間もないんで、ササっとお話ししちゃいます。」


 こうして、怪異「たまり」はこの事案の真相を、ちょっと早口で語り始めた。


「あ、まず自分、正体はこの滝つぼの裏にいる石なんですよ。なんかうん百年前にー。如来さまに似てるって信仰され始めて。」


「そこからここ数十年までは細々とたまに神事続けるぐらいでー。この滝つぼも大人しかったんですけど、ある時を境に急に穢れ始めちゃって。」


「原因なんだろなーって鮎とかヤマメとかに口寄せして見に行ったら、この滝つぼの真下にあたる部分の空洞に、なんか人間の体の一部が、うず高く溜っちゃってて、もうどっひゃーって感じで。」


「あ、その原因先ほどそこの眼鏡モヤシさんが教えてくださいましたよね。どうやらこの上のダムか何かが、いわゆる名所になっちゃって、そこから水流の関係で見つかり切らなかった破片が、ここに溜まっちゃうんですよね。」


「で、最初はまぁここがいっぱいにならなきゃ大丈夫でしょーとか思って放置してたんですけど、なんか工事したのか名所が賑わっているのか知らないですけど、ここ数年溜まるペースがとんでもないことになっちゃいまして。」


「しかも、そういう破片って要するに死にきれなかった集まりじゃないですか。そして私はしっくれでも如来じゃないですか。もう毎晩声がすごいんですよ。」


「「救ってくれ」『終わりにしてくれ』『出してくれ』『なんでこんなところに』『恨んでやる』『呪ってやる』……。まぁ切実な言葉が何百人分も。」


「いい加減処理しなきゃダメだけど……。かといって毎月来てる貴方達に頼むと、この声の念とか果たされないまま祓われちゃうなぁ。それはかわいそうだなぁとか思ってたら、ちょうどいい具合に『さーくる』さんが来てくれて。」


「なんかお話聞いてると、果たし切れていないところが、今溜まっているものとそっくりだ、よし、閃いた!と、体の破片材料にしてあのお魚さんを作って、御馳走する形で背負ってもらったんです。」


「いやそれでまさかいわゆる不老不死になっちゃってるのは聞いてないというか想定外だったというか本当にごめんなさい!でも、今聞いている限りだと、『さーくる』さんの行為によって確実に、何人かの念が遂げられてました!そこは本当にありがとうございます!」


 とても丁寧な所作で、たまりは念慮サークルに頭を下げた。その様子を


 Bは、続きを聞きたいと言わんばかりに目を輝かせていた。

 Cは、青ざめた顔でひっと小さな声を上げ、怯えていた。

 Dは、きょとんとした目をし、「それって当分不老不死……。ってことですか?」とたまりに聞いた。


 そしてAは、その様子を俯瞰するように、しかし何かを期待しているかのように、滝つぼの方をぼんやりと見つめていた。


 たまりは、Dの質問に答え、

「はい!多分これから百回ぐらいは大丈夫だと思います!で、ここからは『さーくる』さんにお願いなんですけど……。」


 と、監査役の顔色を窺いながら、交渉を始めた。


「まぁさっき監査役さんのお話も聞いたんですけど、実はここが『きんいき』というのになっているのもその穢れ溜りが原因らしくてですね。あのーよろしければこれから定期的にここでBBQして鮭食べて、行為実行に移して……。要するにここの穢れ晴らしに、ご協力いただけませんでしょうか?」


「あ!もちろん皆さんの自由でいいですし、強制はしません!もし嫌だよっていう人は、今だったらまだ普通の人間に戻してあげることもできます!」


「事件とかの時の整合性とかの合わせは、この組織さんがやってくれるらしいですので、皆さんがもしまだそういう念慮持っているのでしたら、ぜひともご協力ください!お願いします!」


 また丁寧な所作で頭を下げるたまり。そこに、一人の隊員が声を上げ、刀を抜いた


「ふざけるな!先ほどから丁寧な口調でごまかしてはいるが、要は同族怪異を作り、己の眷属へと人を落としたいだけではないか貴様は!こんなモノの言う事には耳は貸さず、今直ぐ対処……。」


「黙れペーペー。」


 いきり立つ隊員を、監査役が先ほどまでの優男口調をがらりと変え、諫める。


「お前こそ言ってること理解してねぇようだな現場主義のおつむ足らず。」


「いいか?この『たまり』様はな。我々人がやってきた不始末にも拘らず、そこには一切目をつぶって下さっているいるどころか、ぞこない共がいくらでも失敗するのを条件に、ここを禁域認定から外せるように頑張りますって言ってくださってるんだぞ。」


「そんな簡単な譲歩も今の会話から拾えねぇなら、お前北国の寒中水泳からやり直せや、脳直野郎。お前みたいなのがいるから無用な暴走事案起こして、マジメな隊員が犠牲になるんだろうが。」


 そう言い、隊員の手首を握りしめる、その力に、思わず隊員は刀を取り落とした。


「……。チッ、良家出てるだけのボンボンがイキがんな。漫画とはちげーんだよ。ウチは。」


 そう吐き捨てると、監査役はたまりに向き直る。


「あなたの提案、しかとお受けいたしました。つきましてはこの四人と今一度面談を行ってもよろしいでしょうか?本日中に結論は出しますので。」


 そういうとたまりは


「あいー。この人の体きついからー。結論は紙に書いてその滝つぼに投げ入れといて―。あ、そうそうー。」


 そう言うとAに向き直り、人のものではないような、ニタリとした笑みを浮かべ、


「きみはさっきのはなしのつづきあるからさー。けつろんだすのさいごにしてもうちょいこっちにいてー。」


 Aは、やはり魅入られたようにただ首を縦に振る


 その瞬間、微動だにしなかった隊長の体がどうと崩れ、その場に大の字で寝転がり、気絶した。


 慌てて介抱に向かう隊員、Aを除いた三人を粛々とマイクロバスに案内する監査役。


 そしてそんな混乱を背に、ただ一人ふらふらと滝つぼに向かっていくA


 そんな様を、記者はただ書き記し、記憶に刻んでいた。


 夕暮れ時、隊長が隊員に向かって口寄せの感想と対処ロールプレイング(特に先ほど刀を抜いた隊員はみっちりとしごかれていた)を横目で見ていると、監査役から「結論出たそうなんで、良かったら一人ずつ取材されませんか?」と声をかけていただいたので、インタビューを敢行することとなった。


 まずは、たまりの話に終始顔を輝かせていたBからだ。


「あ、Aが話していた記者さんですね。やっぱすげーですね。あんな事起きても、マジで眉一つ動かさずに、ずっとペン走らせてるんだもの。」


 慣れだよと返し、早速Bにどうするのと結論を聞く、すると、


「はい!俺あのたまり様の願い!受けようと思います!」


 と、思いのほか元気な返事が返ってきた。理由を聞いてみると。


「いやー。俺昔っから『勇者』っていうの?そういうのに憧れていてさ。『名を遺す』ってわけじゃないけど、なんか石碑に残る最期にしたいなーっていうのが夢で。」


「まぁ学校卒業するまでは紐なしバンジーとか馬鹿な事やってはどやされてたんですけど……。ここで正直に激白しちゃうと、実はここ数回は遺書とか行為も実際にやってなくて。」


「というのも、だんだんやっているうちに、結局これ人に迷惑かけて名声とか伝説ととか得ようとしてる、ただのエゴと顕示欲じゃないかって考えたら、なんかもっと人の役に立つような事やってみたくなっちゃって。」


「だから、例のバイク突撃。もしあれでダメだったら、このサークル抜けて新しいことでも始めようとか考えてたんですけど……。」


「なんか俺の夢叶えながら人の役にも立てる。みたいな話になってきて、あれこれ完璧じゃね!?とか考えたら、このチャンス逃さない手はないと思ってさ!」


「なんか今後はいい場所あの眼鏡さんが教えてくれるし、何ならそれこそ勇者みたいなクエスト風のお膳立てもしてくれるっていうし!これに乗っからない手はないと思って、志願しました!」


 そう生き生きと話すB。記者は、念押しの為、ある質問をぶつける。


 その非人道の感覚は中毒になる、やがてその先を求めだすことにはならないか、と

 その問いに、Bはまたまっすぐな目で、答えた


「今日の隊長と隊員達見てたら、大丈夫そうです。なんか俺が間違えても、引き戻してくれそうだったんで。」


 続いてインタビューしたのはD。彼女もまた、たまりの提案に乗るつもりなのだという。


 彼女は少し恥じらいながら、理由を聞かせてくれた。


「えっと、昔から私、好きな人の手で何度も葬られたい、みたいな願望がありまして。」


「というか、なんか書いている小説も、そういう愛あるエログロ系を自分の欲望マシマシで書いちゃいました~。みたいな感じで。」


「でも、他の人みたいに妄想して終わり。が自分だんだん苦しくなってきて。なんというか、このまま一生望んでいる愛は手に入らないんだろうなって考えると。だったら最後の一回はって思って。」


「だからあの鉈男さんとなんとかアポ取って、一人にしてもらったんですけど。今考えると生き返ってよかったです。だってあの後出頭するようなチキン。私なんか抱えきれなかったでしょうから。」


「これからですか?とりあえずマッチングアプリとかで見込みありそうな相手探しますけど……。あ、もしそうならいっそ怪異とか人間じゃない相手探すのもありですよね。うん。むしろそっちの方が満足できるほどの愛、手に入るかも。」


 彼女には、質問は不要だと判断した。おそらく彼女はその気になれば、欲望の為に簡単に人間性を捨て去れる。なので代わりに、


 人に迷惑かけると、今日みたいな組織の世話になるぞと、脅しておいた。


「はい!そこは気を付けて、いいパートナー探します!」


 そう言ったDの手は、決意を固めたように、強く握られていた。


「今すぐ私を元の体に戻してください!」


 記者を見るなりCは、泣きつくようにこう叫んだ。


「このまま永遠にとか、お願いだから体犠牲にし続けろとか、おかしいですよあれ。何であれが友好種なんですか?明らかにヤバいじゃないですか。」


 諤々と足を震わせながら、Cはまくし立てる。どうやらそこには他の三人を人ではない体にしてしまったという、罪悪感も交じっているようだ。


「そもそも私、あの三人と違って死にたいとか一度も思ったことないんですよ。」


「なんかネットで面白そうな会話してるなーっていう所に、『日常的ふらっと行為』みたいなタグで強がって混ざった、それだけなんですよ。」


「まぁ、Bには早々にバレましたけど、あれ同じ穴のフェイクだったから、それぞれ黙っている代わりに他のヤバいやつ二人の身を守るように、ルール作って。」


「遺書だって書くつもりもないから職場の様式でごまかして。でも、そんなの続けてまでこいつらと蔓みたいか?とか、最近だんだん疑問になってきて。」


「で、そんなときに酔った勢いで食べたのがヤバくって八尾比丘尼とか笑えないですよ。」


「永遠の命?協力?嫌に決まってるじゃないですかそんなの!なんであんなおぞましい思い」


「おなかに包丁入って行っても生きてる、なんて、あんな、思い」


 ここで彼女は過呼吸を起こしたため、これ以上のインタビューは不可能だと判断した。


 最後に現れたAは、どこか吹っ切れたような顔をしていた。


「僕の結論はもう監査役さんに話したんで、良かったら滝つぼで取材しません?たまりさんへの報告ついでに。」


 そう言うと、Aは記者を滝つぼの前まで誘う。長年の経験から、既に記者は察していた。


 どうやらAは、たまりと何らかの契約を交わしたのだ。と。


「今日はお疲れ様です。先輩。で、どうでした三人の結論。」


 交換条件になると思い、記者はまず三人の結論をAに伝えた、するとAは、今まで聞いたこともない大声で笑いだし、


「なーんだ、結局三人とも消える気、なかったんじゃないですか。」


「折角この日の為に掘り起こした俺の怨念ノートも、効果なしだったって訳か。」


 呆れたように、一筋だけ涙を流した。


 どうやらあれで火をくべたのは、実はAのアイデアだったらしい。もしかしたら自分の怨念を摂取させれば、同じ感情を抱くだろうと、たまり様と同じことを考えたらしい。


「でもたまり様に言われちゃいましたよ。確かに効果あったけど、火にくべちゃったらその日の燃焼にほとんどのエネルギー取られちゃうから、誤差範囲でしか接種させられないって。」


 そんな話を余談として書き留めつつ、お前はどうするんだとAに聞くと、あっさりとした声で。


「あ、たまりさんが僕の体使って顕現するという事で話し纏まりました。その代わり俺の精神はたまりさんに食われて、怨念はそこにいる奴らの仲間入りらしいですけどね。」


「なんかたまりさん、前々から外の世界が見てみたかったらしくって、でもそのためには誰か一人中身喰わなきゃって悩んでて、だったら俺がって立候補したんですよ。」


「あ、この滝つぼの管理は顕現した後も続けるから安心してください。らしいです。」


 そう言って、Aはゆっくりと滝つぼの淵に立つ。記者はそれを追う事をせず、ただ睨みつけ、記憶に刻む。


 ただ、一人の男の夢が叶う、その瞬間を。


「あーあ。なんか結局予想通り一人っきりの人生だったなぁ。」


「でも、まぁいっか。多分この底には、俺と同じ思いの人がたくさんいるんだろう。」


「ようやく居場所、見つかりそうだわ。先輩。」


「じゃ、あ、これはあの組織さんには、当然ダマで。」


 そう言うとAは滝つぼへと音もなく落ちていった。


 数分後近くの川岸からひょっこりと顔を出したAだったものは


「あ、記者さん。成功しました。」


 それだけこっそりと囁くと、何事もなかったかのように、帰宅時点呼に元気よく混ざっていった。


 その後ろ姿を、記者は滝つぼ越しに、睨みつけ、刻み付けていた。


「それでは本日の任務を終了する!一同解散!」


 もうすっかり日も沈んだ夜更け、バスターミナルにて喧しく解散が宣言された。


 そのまま家路につく者、打ち上げと称して歓楽街に繰り出すもの、その様子をにこやかかつ興味深そうに観察しているモノ。


 そんな奴らに背を向けて、記者はバスターミナル横の喫煙スペースへと足を向ける。


 切れかけの蛍光灯の黄ばみがかった光の下では、先客が既に紫煙を燻らせている。


 アンタみたいな人でも吸うんですねと、その後ろ姿に話しかけると、


「僕の本性とか、あなたが一番知ってるじゃないですか、記者さん。」


 くたびれ切った笑顔で、監察役が振り向いた。


「この組織、喫煙者結構多いんですよ。こういう人工的な強い味舌に染み付けといたら、いざという時人へと引き戻してくれるので。」


 二人は紫煙でひびが入ったコンクリの空間を満たしていく。ふと、監察役が記者へと聞いた。


「人が人であるべきために必要なものってなんだと思いますか。記者さん。」


 記者は、経験と実感を踏まえ、恐怖だと即答する。あの足の竦みこそが、踏みとどまるための最大のストッパーであると。


「お見事。流石場数を踏んでいるだけある。じゃあもう一つ。」


「足竦ませていたら容赦なく犠牲になる、僕たちみたいなのが人であるためには、何が必要だと思います?」


 これにはしばし考えこむ。自分で考えろとも返したくなったが、


 そう言うことに思考を取られてる隙なんてないんじゃないのか、と返しておいた。


 くつくつとおかしそうに笑う監察役。お返しとばかりに、記者からも質問をぶつけてみた。


 もし一を犠牲にして百を救えるなら、たとえそれが人間でも容赦しないのか、と。


「ああ、今日のAさんの事ですか。それとも他の三人との対話の事ですかね。」


 と、監察役は記者の目を見ながら言う。どうやらあの入れ替わりは監察役にもバレていたようだ。


(まぁ、明らかに様子が違っていたため、全員気が付いたんだろうが、言及する者は誰もいなかった。)


「まぁ、それは人によりますね。たとえば今日みたいな状況だと、あのギャーギャー騒いでた青っ尻みたいに目の前の怪異ボコせば101救えるじゃんみたいな短絡的な奴もいれば、将来の事考えたら51ぐらいまではいいんじゃないかとか、いやいやそれ以上を守るためにここで全員。みたいな極論もいます。」


「でもね記者さん。それこそさっきあなたが答えたみたいに、現場じゃそんなこと考えている暇なんてないんですよ。何故なら相手はこっちのルールなんか知ったこっちゃないんですから。」


「だから、その場で適切な判断ができるように、普段からみっちりと訓練を重ねる。記者さんも見たでしょう。隊員たちが午後中をロープレに費やしてたの。」


「ああやってどんな状況も頭に普段から頭に叩き込んで、いざというときはそれ全てかなぐり捨てられる。そうやって僕たちは『人を護る』為に、存在しているんですから。」


「あ、ちなみに僕は人を護りながら、自分がめんどくさい仕事は減らすチャンスをうかがって動く。そんな感じで犠牲と救いのバランス決めてます。だって今日みたいな現地立会なんか極力減らして、オフィスワークで印鑑ついてるほうが、純粋に楽じゃないですか。体力的な意味で。」


「あの四人の結論をこっちから補強したのはその為です。まぁほっといてもその結論には至ったんでしょうが。」


「まぁでも、折角話聞いてくれる怪異だったんだし、性質的にもこれから生贄希求系怪異にぶつけておけばこっちも人材的ロス減りますし。」


「他の奴にはどう言われるか知りませんが、こっちだって人間なんですから、オーバーワークなんかしたらそれこそあっち行き、ですから。僕らが護る人には、身内も含まれてるんですよ。」


 監察役は、皮肉じみた笑みで言う、蛍光灯の光の当たり具合だろうか、その笑みには、深い影が下りていた。が、


「ところで、記者さんも空いてる時間はこっちで働きません?うち副業大ありなんで、今より楽な生活……。」


 記者が感傷に浸る間もなく、特務班上層部恒例の人材勧誘が始まりそうだったので、それは専門家さん通して他の奴に言って下さいと返し、記者は煙草の火を消した。


「まぁ、あなたは好きに寝て、好きに起きて、好きに書いてお金貰う。そんな根無し草が、似合ってますよ。記者さん。」


 そう言う監察役に背を向け、記者もまた家路につきながら、報告文章を頭の中で纏める。視界の端では、監察役が物憂げかつ名残惜しそうに、ちびた煙草を楽しんでいる。


 点滅していた蛍光灯の一つが、不意にふっつりと光を途絶えさせ、その下には弱った蛾が静かに最期を待っている。


 夏が終わりがける、そんな夜だった。

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