第8話 ある山脈の怪
(連載「世界の怪奇」より)
中央アジアに位置する8000m級の山脈。それらの山頂は、どれも登山者にとっては憧れの到達点である。
しかし、その到達点に至る道には数多くの屍が転がり、残されていることをご存じだろうか。
この記事では、そんな屍たちにまつわる逸話たちを紹介していく。
①レフティーポール
まず、この山脈で最も有名な屍の話をしよう。
この屍は、もっとも有名な登山道の8.5合目に差し掛かると、否が応でも目に入ることとなる、ストックとそれを掴んだまま凍り付いた男性の左腕である。
名称の「ポール」の部分は、この男性の名前だともストックを「ポール」と呼んだ非英語圏の登山家呼称を面白がって呼ばれたとも言われている。
屍の歴史は古く、半世紀前にはすでに目撃証言がある。
しかしそのときは、立ったまま凍り付いた男性が全身残っていたそう。後に雪崩によって体の大半が押し流され、岩場の影に刺さったストックと、それを持つウェアを着た左腕だけが残された。という事らしい。
この山脈には「レフティーポールを見たら、空を見上げろ。日が高ければ諦めろ。」
という教訓がある。
これは、その先にあるキャンプ地の位置が関係する。
ガイドの距離上で見ると、レフティーポールからキャンプまでの距離はそれほど遠くない。
しかし、このキャンプの周辺は大変な急こう配になっている上、道幅も狭くたどり着くには慎重な登山が必要となる。
故にもたついている間に天気の急変が激しい夜になってしまい、危険にさらされるというわけである。
レフティーポール地点で日が高い。すなわち昼過ぎに差し掛かっているようなら、引き返し、工程を練り直した方が安全であるという、先人たちの教えと犠牲がそこにはある。
さて、レフティーポールは多くの登山者における一種の指針になっている上、もっとも有名な屍ともあって、たびたび尊厳と鎮魂を掲げ撤去及び他モニュメントへの置き換えが検討されている。しかし、その訴えを起こした団体、個人はいずれもすぐにその矛を収め、話は立ち消えになる。それはなぜか。
登山者たちの間で、まことしやかに流れている噂がある。
「レフティーポールの撤去しようとした団体や個人は、必ず買収されちまうんだ。」
「自社商品の耐久性を広告宣伝したい、ウェアとストックの製造会社にな。」
噂の真相は定かではないが、最後の訴えを起こした環境団体に先日、大手服飾メーカーが大量の寄付を行っている。
②キャラメルバー
続いては、山頂付近に残されている屍、「キャラメルバー」について。
これはその名の通り、食べかけの栄養食品を握りしめたままうなだれ、死蝋化した太った男性の屍である。栄養食品のバーがキャラメル味だったことから名がついた。
また座り込んでうなだれている姿と、目を閉じた顔の左部分が精巧に残っていることから「ドーズマン(居眠り男)」とも呼ばれている。
あたりには同じような食品のごみが散乱し、男の足が折れ曲がっていることから、下山を諦めた男が、最後の晩餐中に絶命した。というのが共通見解となっている。
実は、この屍にはもう一つ呼称がある。「クレーマー」である。
これはこの遺体にまつわる怪談が元となっている。以下はある登山者の証言。
「散らかってるから、自分のごみ捨ててもバレないと思って。そこにキャンディの包みを捨てたんだよ。」
「そしたら耳元でさ『中身入れとけよ、気が利かねぇな。』って悪態つく声がはっきり聞こえてさ。噂は本当なんだって。」
そう、この遺体の回りにはほかにも様々なごみが散乱している。そしてそれをいいことに自分のごみを捨てていく不埒な登山者がいるのである。
しかし、そうした登山者の多くが、男の悪態をはっきりと聞くこととなり、恐怖に震えながら自分のごみを持ち帰ることとなる。
だが、男の悪態は、善人にも容赦なくささやく。
過去の登山で必ず男の前を通りかかるベテラン登山家はこう証言する
「かわいそうに思ってバーを供えたらやれ甘ったるいだの○○社はまずいだの。ゴミを拾おうとしたら俺のだ持って帰るな泥棒。寒いだろうと思って衣服直そうとしたら襲う気か変態。呆れて無視して通り過ぎようとしたら非情者。」
「あいつ、何やっても文句と悪態なんです。おそらく、そういう態度という事もあって、連れてきたクルーに容赦なく置いてけぼりにされたんでしょうね。」
しかし登山者が言うには、こういった負傷者を残す事は、この山においては珍しくないことだという。
「ああでも、この山で置いてけぼりなんて珍しくないですよ。私だって女学校時代から一緒だった親友を、一人テントに残して山を下りたことがあります。」
「何せ、この山で見込みのない人にかまけていたら、自分自身が犠牲になりかねませんから。」
ちなみに、この男が持っているキャラメル味のバーは長らく廃番状態となっていたが、つい先日会社の節目を記念して復刻された。そしてわざわざ社員に登山訓練をさせ、男の前で記念と感謝のセレモニーを行ったのだという。
その時、男は社員の一人にこうささやいたのだという
「味が変わってるしサイズ小さくなってんじゃねぇか。……でも、ありがとな。」
⓷プリズム・ケイブ
最後に紹介するのは、この山脈において最も多くの屍が転がる「プリズム・ケイブ」
について。
この洞窟について解説するには、この山脈の「下山」ルートについて解説する必要がある。
三十数年前に起きた、登山者と下山者の衝突による死傷事件を機に、この山脈には三つの下山ルートが用意された。
一つは北ルート。ここは比較的登山者が安全に下りられるルートとして長年使われてきたが、下山先の国で数年前軍事クーデターが発生。
今ではこのルートを使う際には高い入国許可証を国際法に反している軍事政権から購入する必要がある。
その上、下山による国内侵入でも無断入国とみなされ、良くて法外な罰金。下手すると投獄というように、近年ではある意味最も危険な下山ルートになっている。
二つ目は南側ルート。しかしここを「道」と表現するのは中々の勇気がいる。
何故ならここは「急峻な崖」と表現するのがふさわしい地帯だからである。
当然専用の道具や技術がないとここからの下山は不可能。しかも手練れのクライマーですら毎年十数人雪崩に呑まれるという、もっともエクストリームなルートとなっている。
あるクライマーはこのルートでの体験をこう語る
「つま先に一瞬触れた感覚が嫌な感じしたんで、隣の少し切り立った危険な岩場に、ギャンブルで飛び移ったんだ。そしたらその瞬間、俺がさっきまで下っていた道が雪とともに崩れ去った。」
「あの気まぐれと成功がなければ、今も俺はあの山ってわけだ。」
こういう事情もあって、テロまがいの組織に大量献金するのに抵抗がない一般登山者以外は、皆西側ルートを通ることとなる。そして例の洞窟は、そのルート最大の難所「ルーズロード」の後半に位置する。
ルーズロードとは、西ルートを下り始めてすぐに現れる、つづら折りの長い長い道である。
ここは比較的平坦で、距離が長いこと以外に一見困難はないように見える。
しかし、問題は「景色」と「天気」である。
まず、ルーズロードから見える景色はほとんど水平線と空のみであり、あたりに目印となりそうなものがほとんどといっていいほどない。
おまけにこの道の天気は、気まぐれではないレベルでコロコロと変わり、先ほどまでの快晴がいきなり猛吹雪になるなんてことはザラ。
これが合わさった結果、吹雪の後道を見失い、右往左往している間に日が暮れGPSも天気予報もあてにならないまま彷徨い続けるという最悪の事態に陥る。
そしてその洞窟は、まさにそんな絶望的な状況の中、天からの助けのように現れるのである。
数か月前、この洞窟の入り口とその付近の内部状況がドローンカメラによって初めて撮影された。
まず入り口は、一見なだらかに下っているように見える。しかし撮影者はこう語る
「この入り口、実は洞窟の入り口付近が少し反り立っているんだ。」
「だから、坂と坂の間に雪が夜のうちガンガン降り積もる」
「例えば、登山者が疲れ果ててこの洞窟で暖を取ろうと夕方入ったとする。すると翌朝には、壁のように雪が反り立っているというわけだ。」
「しかも、運よく雪がそこまで積もってなかったとしても。今度は帰り道の上り坂が直射日光に照らされてアイスバーンになってやがる。」
「そしてこれらが解消される頃には、日はすっかり落ちているって事さ。」
「そうやって洞窟から出られないままの登山者は消耗した結果、こうなるというわけさ。」
入り口付近から洞窟内部の写真には、色とりどりの防寒着とリュックが持ち主と共に転がっていた。撮影者によるとこれが「虹の洞窟」その名の由来であるそう。
「多分奥にはもっといるだろうから、まぁ百数人分は間違いなくあるだろうな。」
「でも、一個だけ疑問があってな。」
撮影者は続ける
「さっきの入り口の写真、もう一回見てほしいんだが、実は上の方、硬い石になってるだろ。」
「実はここに命綱ひっかけて登れば、簡単に元の道に出られるんだ。」
「でも、この洞窟の虹色は今でも濃くなり続けている。」
「多分、俺らが知っちゃいけないような理由が、他にもあるんだろうよ。」
本来はこの時点で締めの文章を取りまとめ、記事の結びにする予定だったが、脱稿直前に、洞窟からの生還者がいるという一報が入ってきた。
彼は義足会社への支援広告(彼は先の登山で左足を凍傷でなくしている)を記事につけることを条件に、その時の体験を話してくれた。
「あの山脈には親父が何回も登頂成功しててさ。だったら息子の俺も行けるだろうってタカくくって挑戦したんだよ。」
「そしたら確かに登頂には成功した、でも下山でしくじっちまった」
「行程押してるの気にした俺が、クルーの助言無視して吹雪の中突入。結果俺がクルーとはぐれちまって」
「日もすっかり落ちてた上風しのぎの場所すらない。そんな絶望的な状況で、うっすら明かりが見えたんだ。それがあの洞窟だった。」
彼は這う這うの体で洞窟内部に体を滑り込ませた。すると目の前に広がってたのは、信じられない光景だったらしい。
「洞窟の中に焚火があってさ。それ囲んで老若男女時代問わずの登山者が、楽しく歓談してたんだよ。」
「中には薄着になってるやつもいてさ。外は芯から凍てつく吹雪だってのにさ。」
「まぁ現に洞窟内はちょうどいいあったかさだったんだ。気温も人もな。」
彼は洞窟内でかなり手厚い歓待を受けたのだという。
「『よくここまで辿り着けたな』ってまずガタイいいやつに褒められて、そしたら老婆が紅茶勧めてくれてさ。それ飲んでクッキー齧ってるとくれた隣の女が『当分吹雪は止みそうにないから、しばらくここにいたほうがいいよ』って。」
「俺もあり得ない状況だとはうすうす思ってたさ。けど、外の吹雪と洞窟内の居心地の良さ天秤にかけたら、誰だって心地いい方を選ぶだろって話だよな。」
その後、彼はどんどん洞窟の奥に歩を進めていった。というより
「紅茶飲み終わったぐらいで『こっちには酒もあるぞ!』って奥の方から声はするし、『誰かビーンズの缶詰持ってない?』って女たちの声がするし、無意識のうちに洞窟の奥に進んでたんだよな。」
「今思えば、皆そうやって誘われるまま、あの洞窟の仲間になっていったんだろうさ。」
しかし、そんな彼に待ったをかける声が洞窟の奥からしたのだという。
「乾燥ビーンズならあるぞって奥でスープ作ってた鍋に向かおうとすると、急に洞窟の中から」
「『そいつをこれ以上奥に入れるな!』ってものすごい怒鳴り声が聞こえてきて。」
「しかもそれが、聞き覚えのある声でさ。」
彼は鼻を詰まらせながら、話を続ける。
「どっかの誰かが『普段は誰でも歓迎するのに、珍しい。』って呟いた直ぐ後に『そいつは顔も見たくない!帰せ!』って同じ怒鳴り声がして。そこで確信したんだ。」
「でも泣き叫んで手ぇ伸ばそうとしても、なぜか体が急にびくとも動かなくなって。」
「それだけじゃねぇ、なんか急にどんどん入り口の方に体が引きずられていくんだよ。」
「抵抗しようとするけど、だんだん視界も耳も利かなくなってって、ああ、そん時クッキーくれた女が『私も妹が来たら、同じこと言うかも』って言ってたな。」
「で、日光が射してくる頃に、聞き覚えのあるクルーの声が聞こえてきてな。ああこいつらのせいか畜生って思いながら」
「『俺じゃない! 奥に 親父が』」
「ここまで叫んだところで意識が消えて、気が付いたら左足なくなってたってわけだ。」
後から彼はクルーから、洞窟内にある死体の山に埋まっていたことと、あと少し救出が遅ければ死んでいたことを聞かされたらしい。
彼の父親も有名な登山家であったが、彼が子供のころ、ルーズロード付近にて行方不明になったらしい。
彼が登山家を目指し、あの山脈を目指した理由も
「今思えば、親父を超えたかった、じゃなくて会いたかった。だったのかもなぁ。」
そんな彼は今、新興義足メーカー(記事最後に活動寄付用リンク記載)の登山用義足で懸命のリハビリに励んでいる。そしてこの度、プリズムケイブ内にある屍の回収と埋葬を請け負う会社を設立した。既に数名の回収が完了し、遺留品、そして体の一部を遺族へと届けているらしい。(遺体全身の下山は困難であるため、体の残りは新たに作った山中共同墓地内にて埋葬)
インタビューのラスト。彼はこう話している。
「あの後母親から聞いたんですよ。昔っから、親父に『こっち来るな』って言われたら寄っていくような、言うこと聞かない子供だったって。」
「だから今回も言うこと聞かないことにします。」
「いつかこの義足と一緒にもう一回山登って、俺自身で親父の屍回収する。」
「そしてせめて母親生きてる間に、あるもので葬式上げられたらいいっすね。」
プリズムケイブには、今も百数人の屍が眠っているという。
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