第3話 異臭騒ぎ

「生ごみの匂い」

「腐った牛乳」

「家の横にある小屋(火曜日)」


「おじいちゃんのにおい」


 先月、某小学校で起きた「発生源なき」異臭騒ぎは記憶に新しいだろう。冒頭で上げたのは、その調査アンケートの一問目「どんなにおいがしましたか」の質問に対する2年3組の回答を一部抜粋したものである。


「普段はそういうこと言う子じゃないんです。」


 弊誌コーナーの詳細求!の欄に相談してきたのは、30代前半ほどの女性教師。件の異臭騒ぎがあった小学校で2年3組の担任をしているのだという。

 化粧っ気のない素朴な顔立ちとは裏腹に、見るものが見たらわかる高級ブランドに身を包む、品のよさそうな女性であった


「席替えでもいつもみんなが嫌がる教卓の前を選んでくれて。うちのクラス、奇数人なんでペア組むと必ず一人余っちゃうんですけど、その子は積極的に私の所へ来てくれて……。なんというか、凄く私に懐いてくれているんです」


「だから、あんな読んだ人が困るような答え書く子だとはどうしても思えなくて。」


 冒頭のアンケートで最後の回答をしたのは、そんな素直で真面目な女児生徒だったのだという。


「家庭訪問もできない今のご時世、あの子の家庭環境を伺い知ることもできませんし……。」


 俯いた顔をする女性。しかし口調からは「依頼内容を察してくれという」暗黙のニュアンスが感じ取れる。


 私は、うちは興信所じゃないんで調査はできません。ただ取材をするだけなので。と、前置きしたうえで異臭騒ぎ当日の様子について詳しく聴取することにした。


「あの日はちょうど算数の授業をしていて、確か九九の歌をみんなで歌っていたんですよね。」


「そしたら、窓際の席の子が急に『くさい、くさい』って歌の節に合わせ始めて。」


「普段からみんなを笑わせているような子だったんで、またふざけているのかと思って注意しようとしたら、離れた廊下側の子が突然えづきながら外に飛び出して。」


「そこからは教室中パニックで、泣きながら外に飛び出す子とか、廊下で吐いちゃう子までいて。」


 先生もその匂いを嗅いだんですか?と私が質問すると


「ええ、確かに匂いがしました。みんなが言うように生物が腐ったようなにおい、と言いますかそんな形容できない匂いがしました。」


 結局、ガス漏れなどの危険も考えてその階のクラスは一旦皆校庭に避難したのだが、匂いの発生源は未だ判明してないどころか、その匂いを嗅いだのは、2年3組にいた生徒だけだったという。

 これが、ニュースで話題にもなった「発生源なき異臭騒ぎ」の顛末である。専門家は「地中ガスがたまたま風に乗って運ばれてきた」と結論付けた。


「所謂ヤングケアラー。ってやつだったと気が付いたのはじいちゃん死んでからでしたね。」


「しかも、親ガチャならぬ祖父ガチャで言うんだったら圧倒的カスレアでしたね。」


「とにかく、親戚中が死んでせいせいしたって葬式で言ってたの聞いて、逆に悲しくなりましたもん。」


 弊誌はその後の調査の結果、例のアンケートを書いた女子生徒の兄へのインタビューに成功した。(このコーナーのファンであるらしく、電子マネーでの報酬を条件に快諾してくれた。)


「じいちゃんですか……。一言でいうと『偏屈』それに尽きます。」


「気に入らないことはやらない、決めた事は槍が降ってでもやる。」


「人にだって同じです。母さんとかは特に嫌われてて、あの人物投げたり杖で殴ったりするんで、じいちゃん生きてる間は常にどっかしらに血の滲んだガーゼ貼ってました。」


「当然母さんだけじゃ世話しきらないからって、俺も授業追いつける程度にちょくちょく中学休んで手伝ってました。」


「父方の祖父だったんですけど、ばあちゃん、祖母の方ですよね。そっちは痴呆入っててしかも遠方住みで、親父が単身住み込みで世話してたんですよ。」


「親戚も誰も助けてくれなかったし、後2年長生きしてたら多分家庭崩壊してましたね。」


 何でもないように笑う少年には、年不相応の陰りが見えた。


「……って愚痴ってばっかじゃしょうがないですよね。あいつのこと聞きたいんですよね。」


「俺の印象もだいたい同じっすよ。だれにでも懐くいい子っす。」


「あーでも、例の祖父には特に懐いてましたね。」


「祖父の方も、あいつにだけはたまに笑顔見せてたりしてましたもん。俺や母ちゃんには鬼の形相で怒鳴ってばっかだったっすけど。」


「住んでる離れにもアイツにだけは鍵を渡してて……。」


 少年はそこで一瞬言葉を切り、続けた。


「あいつが言ってた祖父の匂いって、多分。」


 後に続くワードをこの少年に言わせるのは酷だと悟った私は質問を変えようとした。しかし少年は私の方を見据え


「祖父が死んだときの話、してもいいですか。」


 決意を固めたように言った。


「実はじいちゃん、死ぬ半年前ぐらいから『即身仏になる』とかわけのわからないこと言いだして、母ちゃんが作ったご飯に一切手を付けなくなったんです。」


「それどころか、俺と母ちゃんは離れに近づくことすら許されなくて……。あいつ、電気網まで仕掛けたんですよ庭に。」


「でも、そんな状態でも妹だけはいつも通りフリーパスで。」


「そのころには母ちゃんも俺ももう限界迎えてて、こうなったらアイツに飯だけ運ばせてやりたいようにやらせよう。飽きたらやめるだろう。って無視することにして。」


「まぁ流石に母ちゃん、毎日妹に確認はしてました。」


「『おじいちゃんちゃんと生きてる?変な事されてない?』って。」


「そしたらアイツいつもいう事同じなんです。」


「『元気だからご飯そこに置いといてって言ってた』か」


「『おじいちゃんと一緒にねんねした』」


「このどっちかですよ。」


「んでねんねしたの日は母ちゃんが離れに怒鳴り込むのがお決まりだったんですけど、即身仏始めてからは疲れてたのか『そう』の一言だけで。」


「そういう生活が2か月ぐらい続いたある日、『祖母をようやく施設に入れることができた』って父ちゃんが帰ってきて。」


「母ちゃんはそれで緊張の糸が切れたんでしょうね。倒れて入院しました。」


「退院するまでの間っていう事で、俺だけ受験控えてたこともあってに近所に住んでた父の上司っていう人のところに世話になったんです。」


「でも父も母もなかなか迎えに来なくって不安になってたところに、じいちゃんが死んだって連絡が来て。」


「問題は、その葬式の時、ポツリと妹が言ったんです。」


「『おじいちゃんもう少しで、ほねの仏様になれたのに。』って。」


 そこで少年も何かの糸が切れたのか、洪水のように言葉を紡ぎ始めた。




「あれから父さんも母さんも祖父の話をしないんです。つーか。俺が祖父の話題出しただけでめちゃくちゃ怒るんです。」


「しかもじいちゃん、見つかったの死んで2週間もたった後なんですよ?その間匂いもしてたって噂もたってたのに。」


「親父に聞いても『たまたまばあちゃん絡みで家開けてた』っていうだけだし」


「アイツもアイツで、最後に離れ入ったのいつって聞いたら、警察さんが来る3日前って言うんですよ」


「俺が知らない間に、俺の家族どうなっちゃったんですか?」


 そこまで一気に話すと、少年はさめざめと泣き始めた。記者が背中をさすると、弱弱しい声で「すんません。」とだけ呟いた


 これ以上のインタビューは酷だと察したものの、今この精神状態で帰宅を促すのもそれはそれでまた酷だ。


 気を少しでも落ち着けるために、私は他に家族で変わったことはないかと当たり障りのない質問を投げかけた。すると、少年は


「そういえば」


「なんで、俺こんないい私立高校行けてるんだよ。父ちゃんも母ちゃんも介護でろくに働いてなかったのに。」


「それどころか、じいちゃんに亡くなってから絶対ウチ金持ちになってるじゃん。」


「じいちゃん、絶対遺産なんか残す人じゃなかったし、保険かけてるような人じゃないし、もしかして。」


 少年は顔面蒼白になり、私にこう相談した。


「警察ってまだ、やってますかね。」


「そうですか……。あの子の家、そんなことになっていたなんて。」


 後日、調査結果を件の女性教師に伝えると、彼女は悲痛そうな顔でこう言った。


「あの子、本当に素直な子だったんです。でも、同じ年の子より少々学習が遅れてる一面もあって。」


「ご両親は多分悪気はなかったんだと思います。」


「でも結果、幼心を悪い方向に利用してしまったんでしょうね。」


「気づいてあげられなかった私にも責任はあります。」


 彼女は正規価格であれば二万はくだらないであろうイヤリングを揺らしながら、唇を噛み締め、うつむいた。しかし私が


 そういえば、あれから他の子のアンケートも入手したんですよ。


 そう話題を振ると、その表情は一瞬で固まった。


 まず、そのアンケートには冒頭の質問のほかにもう一つ「匂いはどこからしたのか」という項目があった。

 その回答は大半の生徒が「教卓」あるいは「前の方」というものだった。

 ある二人を除いて。


 ある一人は、「換気口」と答え、もう一人はこう答えた


「先生からいつもしてる(だから前の席が好き)」


 彼女にその事実を告げると、固まった表情からは感情が消えうせた。


 そして、抑揚のない声で彼女は


「兄はまだ生きています。」


 ぽつりとそうつぶやいた。


 私が、本当は匂いはしなかったのではないかと彼女に問う前に、彼女は狂乱しながら叫び始めた


「兄はまだ生きています!ふざけないでください!私がアイツのせいでどんだけ人生めちゃくちゃになったと思ってるんですか!」


「私が一番友達とか家に呼びたかった時期に引きこもって!毎晩叫ぶわ喚くわ壁や床殴るわ!おかげで電話すらできなくって。」


「両親も耐えかねて私に世話押し付けて蒸発して!」


「毎日いやらしい目で見てくるし風呂も部屋も撮られるし機嫌悪い日は引っかかれるし」


「それなのに働かないでも国から一杯お金もらえて!こっちは死ぬ寸前まで残業しても一か月生活するのがやっとで!」


「それなのにネットではやれ神だの仏だのとちやほやされてて!」


「冗談じゃない!あんな金が出てくる以外は生きてる価値すらないゴミクズが!どうして!」


 彼女が泣きわめくたびに、高級香水のきつい香りが鼻をかすめる。しかし、私でも鼻腔をかすめたわずかな香りに気が付いてしまった


 人の肝が腐り果てたかのような、そんな香りに。


 関連記事:「三か月間、鍵をかけた部屋で……」不正受給のその実態と、家族の地獄(リンク先に記事)

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