58 夏祭り

「三年ぶりだけど、変わらない盛況ぶりね」


 庇を作るように額に手をかざすと、葉那は感心するように言った。


 道路の両端に立ち並ぶ屋台の間を、ひしめくように行き交う人々。渋滞とは無縁の場所が、今は歩行者によって混雑していた。普段は数百メートル先を見渡せるのに、今日は十メートル先も見通せない。


「やっぱり祭りって言ったら、このくらいの規模が一番よね」


「このくらい?」


 葉那がしみじみとそう呟くので、その真意を尋ねた。


「昨日行った花火大会、とにかく人混みが凄くてね。会場に近づくにつれて、どんどん電車に乗り込んできてさ。残り三駅になる頃には、身動き一つ取れなかったわ。降りてからもまた大変でね。間を縫って前に進むことができないくらいの人混みが、会場まで蛇のように続いたのよ。牛歩すぎてたどり着くだけで疲れたわ」


「有名な花火大会は人がやべーからな」


 俺も警備員時代、有名な花火大会に何度か駆り出されたことがある。あれはまさに、大名行列なんて言葉が生易しく感じるほどの群衆だ。全員がひとつの目的に向かって束なった様は、ひとつの生き物ように感じた。あの中に身を投じる真似だけは絶対にしたくないと思ったほどだ。


 一方、今日はわかりやすい地元のお祭だ。走るのは難しいが、いくらでも人と人の間を縫って前に進める。


「やっぱり祭りは、このくらいの人混みでいいのよ。飲み物ひとつ買うのに、五十人待ちとか馬鹿らしいもの」


「すげー世界だな。絶対行きたくないわ」


「まあ、みんなで行ったら行ったで楽しかったんだけどね。いい経験にはなったけど、一夏に一回で十分よ」


「そう言われたら一回くらい、高校生のうちに行っておきたいな」


「来年、行く相手ができたらいいわね」


「そこは友人として、一緒に行こうじゃないのかよ」


「みんなで行くならいいけど、ふたりきりだったら嫌ね」


「おい」


「考えてもみなさい。気になる異性や恋人相手とならともかく、私たちふたりきりで、あんな人混みに身を投じて、わざわざ花火なんて見たい?」


「そう言われたら、ふたりで行ってもしょうもないな」


「でしょ? ふたりで行くなら、やっぱりこのくらいの祭りが一番よ」


「違いない。誰にも気を遣わず、適当に祭りの雰囲気を楽しみながら、適当に食べ歩けるからな」


「昨日は行列にうんざりして、ろくに屋台飯も食べれなかったから。片っ端から色んなもの食べましょ」


 こうして俺たちは、雑踏の中に身を投じた。


 祭り屋台ということで、まずは定番から攻めることにした。


「おじさん、たこ焼きひとつ」


「あいよ!」


「あ、楊枝はふたつで」


 丁度焼き上がったたこ焼きが、手際よく舟皿に乗せられ、ソースや青のりなどがかけられていく。代金と引き換えに受け取ると、飲み物を任せていた葉那が寄ってきた。


「間が良かったぞ、出来立てだ」


「それはラッキーね。こっちも出来立てよ」


「ラムネの出来立てってなんだよ……って、自分の分だけかよ」


 葉那の手には、ラムネが一瓶だけ握られている。


 しかめっ面の俺に、葉那は心外そうに言った。


「ふたりでひとつよ」


「ふたりでひとつ?」


「手は二本しかないのよ。ふたり共飲み物なんて持ってたら、片方が常に食べ物を持って、片方があーんしなきゃならないでしょ」


「それは嫌だな」


「でしょ?」


「あ、つまり彼女でないにしろ、気になる子と祭りに来たときは、あえてふたり分のジュースを買うの吉ってわけか」


「あんたも逞しいわね」


 感心しているのかいないのか、よくわからない微妙な表情を葉那は浮かべた。すぐに気を取り直し、見せつけるようにラムネを左右に振った。


「小学生じゃないんだから、今更飲み回しなんて気にしないでしょ?」


「むしろふたりで一本なら、冷えてるうちに飲み切れるか」


「飲み物の屋台なんていくらでもあるから、調達場所にも困らないしね」


 葉那の考えに納得したところ、ふたり並んで歩きながら、たこ焼きを頬張った。


 外はカリカリ、中はふわっと。至高と冠するには程遠いが、理想的な屋台のたこ焼きだった。ただし出来立てを、いきなり一口で頬張るのは悪手だった。


「あっつ!」


 口内にドロっとしたマグマが湧いた。吐き出すわけにはいかないので、葉那にジェスチャーでラムネを求めた。向こうも同じ目にあっているのか、必死にラムネを飲んでいた。


「あー、上顎が火傷したわ。はい」


 一息ついた葉那から手渡されたラムネを、急いで口内に流し込む。ゴクゴク飲みたいのにビー玉が入口を塞いで邪魔をする。何度も角度をつけながら、やっとの思いで口内の火災を鎮火した。


「……死ぬかと思った」


「風情で選んだけど、ラムネは失敗だったわね」


「量も少ないしな。飲み始めて一分かからず空になったぞ」


 瓶を振ると、中のビー玉がカラカラと鳴った。


「飲み物ー、っと」


 たこ焼きを買ってから五メートルも進んでいないとはいえ、引き返す頭はなかった。前方に飲み物を売っている屋台を探した。葉那も一緒になってキョロキョロと探している。


 十メートルほど進んだところで、その屋台を発見した。


「あ」


「見つかった?」


 俺の視線を追った葉那が、途端に渋い顔をした。


 その屋台は、たしかに飲み物を売っている。のぼりには、銀色の缶で有名な飲み物の名が書かれていた。


 丁度客が、サーバーから注がれたばかりのそれを受け取っていた。コップの中身は、黄金色に輝く液体の上に、白い雲のような泡が浮かんでいた。


 ゴクリ、と生唾を飲んだ。


「祭りのビールって、普段の五割増しで美味そうだよな」


「……そういえばあんた、こっそり酒を飲んでるんだったわね。うるさく言うつもりはないけど、気をつけなさいよ」


「飲んでるって言っても、五年以上前の話だ。今は飲んでないから心配するな」


「五年以上前って……そっちのほうがヤバいじゃない」


 心底呆れたように葉那は唇を曲げた。


 酒を飲んでた奴、と学園に広まるのは困るけれども、葉那に知られる分には構わなかった。


 いずれ俺たちの今の関係、男同士の在り方に執着している葉那とは、腹を割って話し合わなきゃいけない日が来る。そのときに改めてタイムリープの話を信じてもらったとき、酒についてはそういうことだったのかと納得するだろう。


 遅くても今年中には、この話には決着をつけたい。そう思っているが、早くても夏休み以降だろう。


 今は祭りを楽しもうと、余計なことを考えるのは止めた。


 焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、牛串にフランクフルト。それをふたりでひとつのコーラで流し込みながら、射的や金魚すくい、ヨーヨー釣りをやっている子供たちの背中を懐かしむように眺めていた。


「そういえばヒコって、この手のものはいつも見てるだけだったわよね」


 ふと懐かしむように葉那は言った。


「なんでなの?」


「小遣いは食べるほうに回したかったからな」


「私たちと比べてお小遣いが少なかった……わけじゃないわよね」


「裏なんてないし、やりたいのを我慢だってしてないぞ」


「でもみんなやってるのに、見てるだけじゃつまらなくない?」


 みんな、という言葉を葉那は使った。


 スマブラを無双しすぎてあいつがいるとつまらない、と葉那以外誰も家に呼んでくれなくなった小学生時代。中学時代ほど男子たちから迫害されていなかったので、お家ゲームが絡まなければ、嫌な顔をされてきたわけではない。


 小学校五、六年生のときは、葉那が声をかけた男子たちに混ざって、この祭りに来ていたのだ。みんなが屋台の遊びをしているときは、俺はいつも見ているだけだった。


「後ろからヤジ飛ばすのは、それはそれで楽しかったぞ」


「なんであこまで頑なにやらなかったのよ」


「ぶっちゃけると、こんなしょうもない物を取るために金なんて使いたくない。金の無駄だ」


「ぶっちゃけたわねー……」


「こういうのはお祭りならではの風情とか、熱に浮かされて楽しむ遊びなのはわかるぞ? それをやってる奴らを、バカみたいだって斜に構えて見てきたわけじゃない。ただこっちにお金を使うくらいなら、食べ物に使ったほうが満足度は高いなってさ」


「たしかに今だったら、この手の遊びに使うよりは、食べ物に使ったほうがいいわね。ヒコの精神年齢が、当時から高かったってわけか」


「つまらないガキだった、って見方もできるけどな」


 スーパーボールを必死にすくおうといる子供の背中を見た。


「今ならわかる。こういう遊びで得られる一番の糧は、思い出なんだよ。十年、二十年後に、子供の頃は少ない小遣いで、必死になって金魚やヨーヨーを取ったもんだなって。楽しかった思い出として、なんとなく残るもんなんだ。それが友達みんなでやったものならなおさらだ」


「……そういうものかもね」


 葉那は微笑ましそうに、子供たちの背中を見た。


 半袖短パン姿の少年が、百円玉数枚と引き換えに渡されたポイに穴を空けて、悔しそうにしながら友達とワイワイやっていた。


 かつての葉那は、そんな少年側であった。女の子が男の子たちに混ざっていたのではない。誰もが廣場花雅を、男の子だと信じていた。


 少年であった自分に戻れるものなら戻りたいと、葉那はそんな憧憬を抱いているのかもしれない。


 それが無理なのは百も承知だから、葉那は未練を断ち切るように視線を外した。


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