57 三年ぶりに
夏休みが明けるまでは祈ることしかできない。これ以上は嘆くだけ時間の無駄と腹を括り、昼食作りに取り掛かる。
「そうだ、今日のお昼はなに?」
天河ヒメのライブを見ながら、葉那が尋ねてきた。
「そうめんだ。ここのところ、昼は毎日これだ」
「毎日? よく飽きないわね」
「炎天下の中で帰ってくるとな、冷たいものでツルっていきたくなるんだよ」
「気持ちはわからないでもないけど……さすがに毎日は飽きない? 蕎麦やうどんとかで、ローテションしないの?」
「おばさんからお歳暮のそうめんを、おすそ分けしてもらったんだ」
「あー、うちってそうめん、夏でもそんなに食べないからね。かといってご近所さんに配ろうにも、向こうも似た状況だから。毎年持て余してるのよ」
「こんな美味い高級そうめんだったら、うちはいくらあっても困らんけどな。母ちゃんも美味い美味いって、飽きずに食ってるぞ」
「なら、母さんにそれを伝えると追加で貰えるわよ。おすそ分け先が見つかって、喜ぶ以上に大助かりだから」
「だったら今度会ったとき伝えみるわ」
一方的に貰いすぎるのはよくないが、葉那の口にも入るものだ。そういう事情があるのなら、分けてもらえるのなら遠慮なく頂こう。
お湯を沸かしている間に、パパッとスープを作る。昨日も同じものを作ったから、トッピングは丁度ふたり分残っていた。包丁は使わなくていいから、夏休みの昼に相応しい手抜きができる。
「よーし、できたぞー」
「はい、ありがとー」
ダイニングテーブルに運んでから、葉那を呼んだ。
「ん?」
着席しようとした瞬間、葉那が不思議そうに首を傾げた。思っていたものと違うものを発見したような声音だった。
「そうめんじゃなかったの?」
「そうめんだぞ」
「え、でもこれ担々麺じゃない」
「そうめんも麺類には変わりないだろ」
「そう言われたらそうだけど」
葉那は納得いかないというよりは、奇を衒ったものを見せつけられたような顔をする。
今日の昼食は、豆乳を使った冷やし坦々そうめんだ。あっさりよりはガッツリタイプだから、出汁つゆの舌になっていたら重く感じるかもしれない。
「随分と変わったものを作るのね」
「めんつゆのほうがよかったか?」
「そういうわけじゃないけど……そうめんをこんな食べ方なんて、したことないから」
「家では出汁つゆ以外の食べ方、したことないのか?」
「ないわね。そもそもそうめんって、母さんが簡単に済ませたいときに出てくるものだから」
「夏の暑さで、食欲がないってときに食べたりしないのか?」
「うちはそういうとき、激辛だから」
「さすが辛党の一族だな」
「まあね。だからこういうのは、見るだけで食欲が湧いてくるわ」
いただきますをすると、葉那はすぐに担々麺に手を付けた。
一口目をズルっと飲み込むように喉を鳴らすと、
「なにこれ、凄い美味しいんだけど!」
葉那は絶賛し目を輝かせた。
「中華麺じゃないのが逆にいいっていうか。麺の喉越しがいいから、食欲がなかったとしてもスルッと入るわね。食べる度に食欲が湧いてくるような味だわ」
「だろ? これはそうめんだからこそいいんだ」
「肉のそぼろもしっかり味はついてるのに、しつこさがないわね。鶏肉使ったの?」
「胸肉のミンチだ。豚だと冷やしたときに油が固まるからな。作り置きするなら、こっちのほうが使いやすいんだ」
「へー、考えて作ってるのね。オリジナル?」
「まさか。夏のそうめんは大量に余って困る、っていうのは定番だろ。料理人や料理研究家たちが家庭で消費するためのレシピを、ありがたく使わせて貰ってるだけだ」
「あー、だからそうめんはいくらあっても困らない、って言ってたのね」
「さすがに毎日、醤油ベースの出汁つゆは飽きるからな。――ほら、これ」
卓上に置いていた瓶を葉那に渡す。
「おばさんから貰った中華スパイスなんだが、麻辣しっかり利くからいい味出るぞ。後はそれで好きなように味を調整しろ」
「こんなものを出されたら、無限に食べられるんだけど」
「そう言うと思ったから、多めに茹でといた替え玉が冷蔵庫に入ってる。麺がくっつかないように油でさっと和えといたから、入れるだけですぐ食えるぞ」
「ヒコってそういうところ、気が利くわよね」
「できる男だろ?」
「昨日の花火に来てれば、女の子たちにそういう面を見せられたのにね。あの後、永峰くんたちと行動してから、私たち」
「ぐぐ……」
「そこでいい印象を与えておけば、あの子たちもいい方向に噂を広めてくれたかもよ」
呆れるのも飽きたというように、葉那はそうめんを啜っている。
入学時から青春イベントをことごとく外してきてしまった。折角人生二回目だというのに、俺は一体なにをやっているのだろうか。
学園ラブコメのような青春に憧れながら、エロ同人のような性春を夢見てきた。みつき先生と交わるという夢を追い求めすぎたあまりに、本物の女子高生どころか、友情すらも疎かになってしまっている。
二兎を追うものは一兎をも得ず、という言葉が頭によぎった。
本当に俺はこのままでいいのだろうか? みつき先生と交わる夢を掴めなければ、文字通り貴重な青春をドブに捨てるはめになる。
中学時代はあくまで、青春をドブに捨てたのではなく、さやか先生しか俺にはいなかった。でも今は違う。百合ヶ峰一軍男子四天王の座に収まり、なにかあれば守純を頼れと言われるほどに持て囃されている。
決めた。
夏休みが明けたらみつき先生を最優先するのは中断し、もっと男子たちと交友を深めよう。きっとその先にこそ、本物の女子高生を彼女にできる未来があるはずだ。
――このときの俺は、すべてが手遅れであることなど知る由もなかった。
「そういえばさ、ヒコ」
キッチンから替え玉を持ってきた葉那が言った。
「あんた、夏休みの思い出のひとつくらい、ちゃんと作ったの?」
「おまえは俺の母ちゃんか」
「そのおばさんが、夏休みだっていうのに友達と遊びにいかないから心配してるのよ」
「母ちゃんの言葉だったか」
「で、どうなの?」
真面目な顔で葉那は尋ねてきた。
葉那との一件を除けば、無味乾燥な日々を送っている夏休み。振り返ってなにか一番かと悩めるほど、思い出と呼べるものはほとんどない。
「ちょっと用があって学校に行ったんだが、そのときにみつき先生からお昼を誘われてな。ふたりでご飯を食べに行ったんだ」
「またみつき先生……それ以外思い出はないの?」
「マンションの自治会で、清掃活動に参加した」
「高校生が夏休みの思い出で、喜々として語る話じゃないでしょ、それ」
「そうか? チヤホヤされるから結構楽しいぞ」
このマンションでの俺の地位は、こんな息子が欲しかったの象徴である。中学時代は常に学年一位だし、社交的でありながら母親思い。朝ジョギングに出るときは、ゴミ出しをする住人にバッタリ遭遇したら、どうせ通りがかりだからと進んでゴミを引き受ける。お母さんたちはなにかにつけて子供に向かって、守純さん家の息子さんを見習いなさいと語るのだ。
だからマンションの住人が集まるところに顔を出すと、これでもかとみんなチヤホヤしてくれる。承認欲求はこういうところで満たされるから、自己肯定感も生まれるのだ。
「他には?」
「ない」
下手な見栄を張らずに答えると、葉那はガックリと肩を落とした。
「あんたねー……折角の夏休みなんだから、お祭りのひとつくらい行きなさいよ」
「祭りなんてひとりで行っても虚しいだけだろ」
口にしてから、ふと思い出した。
「祭りって言えば、そういえば今日からだな」
「今日からって……なにが?」
「神社の祭り」
「あ、今日だったんだ」
葉那は疑問を持たず、当たり前のようにそう答えた。
神社の祭りなんて日本中でいくらでも開催されているが、今回の場合は、地元の神社の祭りである。
祭りは敷地内だけではなく、神社に面した道路の一区画を交通規制し開催される。地域密着系の番組で紹介されこそするが、県を代表するような名だたるものではない。電車で三十分くらいならともかく、一時間以上かけてこの祭りを求めてくるものは稀だろう。
でも、地域の住人が毎年楽しみにしているものだ。時期が近づけば、近所のいたるところにポスターが張られている。もちろん図書館にも張られており、それを見て今日だと気づいたのだ。
「ここ二年は行ってねーな」
「え、そうなの?」
「一緒に行く相手がいねーからからな」
タイムリープしてからは、その祭りには毎年マサと行っていた。そのマサが中二の夏にいなくなってからは、一緒に行く相手がいなかったのだ。
中学時代の交友関係をわかってるからこそ、葉那はあっさりと納得したのだ。
「だったら、今日の夜にでも行きましょう」
気遣うような素振りもなく、当たり前のように葉那は言った。
「昨日、花火行ったばかりなのにか?」
「それはそれ、これはこれ。私も久しぶりだから、ちょっと行ってみたいわ」
「おまえがそう言うなら、俺はそれで構わんが」
「じゃ、決まりね」
パン、と葉那は手を叩いた。
その様子は、俺の夏休みの思い出の体たらくを案じたものではない。毎年一緒に行っていた祭りを、今年も当たり前のように行こうと誘うものだ。
気遣いでないからこそ、そんな葉那の態度が嬉しかった。
今年の夏休みは、三年ぶりにまともな思い出が作れそうだ。
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