54 慌ててやんのー

 こうして俺は、思い出せる限りの話をした。


 当時から天河ヒメどころか、アイドルにすら興味はなかったが、アキバ発のアイドルグループを詳しく知る機会はあった。なにせ高校卒業後就職した職場の上司が、死ぬほど入れ込んでいたからだ。職場では一番よくしていてくれただけに、頭が上がらず隙あらばドルオタ話を延々と聞かされた。頼み込まれて何度も劇場に並び、個数制限されたCDを限界まで買っていた。


 勢いは凄いもので、あっという間に国民的アイドルグループに成り上がった。天河ヒメの名前は、俺が働き始めた頃には誰の口からも語られることはなくなった。


 天河ヒメに熱心な信者がついていても、ライト層が離れていけば、テレビもそちらを優先する。どれだけ一時代を築こうとも、一番から転落したら昔は凄かった人に成り下がる。テレビの露出が減った、元ナンバーワンのアイドルには、ライト層は見向きもしないのだ。


「なるほどねー……そうやって私のアイドル人生は、凋落の運命をたどったわけか。さすがにそんな終わり方は面白くないね」


 かつてたどってきた自分の人生をそのように評す様に、一切の陰りがなかった。むしろその逆。運命に挑む余裕が口元から零れていた。


「決ーめた」


「なにをだ?」


「そのライト層を根こそぎ引き連れて、次のステージに行く」


「次のステージって……次のライブの話か?」


 天河ヒメはチッチッチと人差し指を振った。


「私がアイドル活動から身を引いた後の、次のステージの話だよ」


 俺は首を捻った。


「たとえば私がさ、キャリアハイの中アイドルを引退して、すぐにエッチなビデオに出たらどうなると思う?」


「そんなもん、日本中を騒がす大事件だろ。信者たちはもちろん、普段AVに手を出さない層もこぞって買うだろうな。誰だって買う、俺だって買う。その日からナンバーワン人気女優の誕生だ」


「そういうことだよ」


「そういうことって……まさか、AV女優に転身するのか?」


「するわけないでしょ!」


 察しの悪い俺に呆れたように、額に手を置いた。


「アイドルを引退した後、なにになりたいか。自分の中でまだ答えはない。でもないなりに、色んなことに挑戦しながら、新しい道を探していきたいと思ってたの」


「ナンバーワンアイドルの肩書きが外れた後、そんな仕事がポンポン入ってくるのか?」


「凋落した私にはなかったろうね。多分、引退した後は一本に絞ったと思うよ。昔は人気者だった、だけでお仕事貰えるほどこの世界は甘くないから」


 たしかウィキには、女優って書いてあったはずだ。


「でも、キャリアハイで引退した私には、沢山お仕事が入るだろうね。人気者であり続けている内は、方面の実力不足でも使ってもらえるから」


「言いたいことはわかるが、そんな上手くいくものか? 引退だって、天河ヒメの意思ひとつ、なんて世界でもないだろ。キャリアハイだからこそ、簡単に引退なんてさせてもらえないんじゃないか?」


「それはもちろん。でもその相談をするだけならタダだよ、タダ。アイドルを辞めてからのほうが人生長いんだから、会社も商品わたしには、長く売れ続けてほしいでしょ?」


「それはそうだろうが……どうやって相談するんだ。俺の話をそのまま伝えるわけにもいかんだろ」


「だね。まずは私の凋落の原因になったアイドルグループを、調べることから始めないとね」


 その顔は遠足前日の小学生のように弾んでいた。息苦しさを覚えていた影がまるでない。


 軽い気持ちで話したことが、人の人生を左右する大事になってしまった。俺の話を信じるとは言っていたが、この先の行く末に直結するとは思わなかった。


 まあ、アイドルなんていうのは沢山の人が関わっている。このくらいのキッカケで、来年には引退なんて話にはならないだろう。引退を考えるのは早くても、キャリアハイを過ぎてからの話だ。


 あらかた食べ終わると、ダラダラ世間話を興じるような仲でもない。


 会計を済ませた天河ヒメと外に出ると、


「じゃ、ごちそうさん。美味かった、ありがとうな。これからも頑張ってくれ」


 惜しむものはないとあっさりと別れを告げた。


「待って待って待って待って」


「ぐえっ!」


 首根っこを掴まれて、五度目のインターラプトを食らった。


「この後に及んでまだなにがあるんだ!?」


「この出会いのキッカケをくれた子にお礼でもってね」


 一切悪びれる様子のない天河ヒメは、ここにはいない相手を思いやるような微笑を浮かべた。


 こうして俺たちは、近くの量販店を経由して、ゲームセンターへとやってきた。


 プリントシール機の中に、ひとりで入っていった天河ヒメ。首根っこを掴まれず立ち去るチャンスだとは思わない。彼女が今用意してくれているお礼は、これ以上ない宝物になるからだ。


 黙って待っていると、プリントシールが排出されてきた。


「出てきたー? 持って入ってきて」


 言われるがままに、プリントシールを取って機内に入った。


 中にはサングラスすら脱ぎ去った、天河ヒメの真の姿が曝け出されている。ナンバー1アイドルのオーラを解放しているその姿は、このまま外に出すわけにはいかない。店内がパニックになるのは間違いなしだ。


「よしよし。上手く撮れてるね」


 肩を寄せてきた天河ヒメと、撮ったばかりのプリントシールを確認する。


 たしかにこれは、素晴らしい写真だった。


 廣場花雅くんへ、と宛名が入った天河ヒメのサイン色紙。それを書いた本人が、直々に手にして映っているのだ。間違いなくこれは家宝となる、最上級のファンサービスだ。


「これくらいしかできないけど、花雅くんの墓前にでも供えてあげて」


「絶対あいつ、空の上から泣いて喜んでるよ」


「それならよかった」


 ただのアイドルとしてではない、天河ヒメの人間性が溢れた笑顔。こんなものを至近距離で見せられようものなら、マサだったらその場で倒れる可能性がある。きっとテレビを当たり前のように見ていたら、俺はこのまま天河沼にハマっていたかもしれない。


 どれだけ近くにいようとも、天河ヒメは生きている世界が違う。二度と推しにガチ恋しないと誓っているからこそ、このくらいで虜にはならない。


「ありがとな、天河ヒメ。これからも頑張ってくれ」


 それでも心からの感謝はしている。テレビの前から応援をすることはないが、これからの更なる活躍と発展を祈っている。


 じゃ、と手を振って俺はプリントシール機から出て、帰路についたのだった。


「待って待って待って待って」


「ぐえっ!」


 首根っこを掴まれて、機内に引きずり戻された。


「もう六度目だぞいい加減にしろ!」


「折角だから、一緒に撮ってこうよ」


「は?」


 まったく悪びれていない天河ヒメは、こちらがその意味を理解する前に百円を投入していく。


「は、もしかして俺と一緒にってことか?」


「君以外、他に誰がいるのさ」


「俺なんかと撮って、どうするんだよ」


「記念だよ、記念。このくらい付き合ってくれてもいいんじゃない?」


 色紙に目を向けられたら、なにも言えなかった。


 天河ヒメとプリを撮ったところで死ぬわけじゃない。……いや、天河ヒメ信者の過激派にバレたら命を狙われるかもしれないが、それを加味しても拒否する理由もない。


 今日は天河ヒメにとっての非日常。記念、と言うくらいには俺との時間を楽しんでもらえたのなら、それはそれで男冥利に尽きる。ワンチャンなんてないけれど、それがないからと言って女子に冷たくするのは、男としてモテない行動だ。


「はいはい。満足行くまで付き合わせて頂きます」


「それでよろしい」


 沢山の人間を魅了してきたであろうアイドルスマイル。きっとそれを上回る、弾むような笑顔が目の前で咲いていた。


 撮影が始まると強引に腕を取られ、天河ヒメは喜々としてピースしている。はしゃぐようなその様は、自分がアイドルであることも忘れた、等身大の女の子のようだった。それをおかしそうにしている自分が、画面に映し出されている。ただそこには、感動はなかった。


 撮影が最後の一回になったときだった。機械が『3、2』とカウントされていく中、頬に柔らかな感触を覚えた。


 カシャリ、という音と共に映し出されたのは、天河ヒメが俺の頬に唇を付けている姿。


 色んな感情がドッとこみ上げて、慌てて右頬に手を置いた。


「な、な、な」


「あははははっ。慌ててやんのー」


 してやったりといった表情で、天河ヒメが手を叩いている。


「いくら私に興味ないからといって、腕を組んでも平然とされるとね。こっちにもトップアイドルとしてのプライドがあるから。そのすました顔を引っ剥がしてやらなきゃ気が済まなかったの」


「だからといって、アイドルがここまでするか普通」


「普通じゃない相手には、普通じゃない方法を取るしかなかったから」


 天河ヒメは楽しそうに機械を操作している。


 それが全部終わったら、キャップとサングラスを装備した天河ヒメと外へ出る。排出されたプリントシールを手にした天河ヒメは、上機嫌といった様子だ。


「君のいい顔が撮れてるね」


「はいはい。俺の負けだ」


 勝ち誇る子供に折れた大人のように相手する。


 天河ヒメはポーチから取り出した小さなハサミで、プリントシールをザクザクと切っていく。半分になったものを、当たり前のように渡してくる。


「はい、君の分」


「いや、いいよ俺は」


「嘘でしょ。この後及んでいらないって言う?」


「人の人生を左右する爆弾なんて、持ち帰りたくねーよ。なにかの拍子で外に出回ったら、秒でスキャンダルだぞ」


「大丈夫大丈夫。むしろ俺は天河ヒメを助けたんだって、これで自慢していいよ?」


「そんな風に満たしたい承認欲求なんてねーよ」


「承認欲求? もしかしてそれも未来で使われる言葉?」


 天河ヒメは不思議そうに首を傾げた。


 それ以上深く突っ込んでくることなく、天河ヒメはシールを一枚剥がすなり、ペタリと俺の頬に貼り付けてきた。


「いいから持ってて。ひとりだけ全部持って帰ったら、なんか寂しいじゃん」


「……どうなっても知らんからな」


 渋々取り分のプリントシールを受け取った。


 天河ヒメはご満悦といった様子で頷いた。


「今日はありがとう。君のおかげで、これから進むべき道……ううん、進みたい未来が見えた。アイドル引退後も、誰もが私から目を離せない。そんな風に輝き続けてみせるから」


「そうなるよう願ってるよ。天国のマサを、いつまでも虜にしてやってくれ」


「うん、だからさ」


 天河ヒメは下から覗き込んでくると、サングラスをずらし上目遣いを送ってきた。


「そんな私の生き様を、テレビの前から見ててよ。ね?」


 ニッ、と芸能人の白い歯を零しながら、天河ヒメはウインクした。


 そんな風に言われたら、俺のかける言葉は決まっていた。


「いや、俺テレビ見ねーし」


「そこは見てよ!」

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