52 ただの中学生が出せる貫禄じゃない

 弱者男性時代、自分磨きを怠ってきた俺は、ひとりの男として身も心も醜かった。だからこれまでの人生で、ナンパの経験は一度もない。そんな鋼のメンタルを持っていれば、マッチングアプリに手を出すとか、大人のお店に行くことくらいしただろう。


 世の中の半分は女性でできている。でも俺にとってそれは、手を伸ばすことも許されない星のような存在だった。


 そんな惨めな人生を送ってきた俺が、なぜか星の集合体のような存在に逆ナンされ、焼き肉に来ていた。


 出されたランチセットを前にして、天河ヒメは眉をひそめた。


「思ったより、お肉の量少ないね。私はいいけど、男の子がそれだけで足りるの?」


「ご飯とスープはお代わりできるから大丈夫だ」


「ということは、これだけのお肉じゃ足りないってことじゃん。そのお肉の盛り合わせ、追加しようか?」


「いやいや、いいよ」


「そう? 誘ったのは私なんだから、遠慮しなくてもいいのに」


 諌めるように両手を振ると、天河ヒメは物足りなそうに口をすぼめた。


 遠慮するなと言われても、それは無理の話である。


 たしかに肉の量は、食べ盛りの中学二年生の身体には少ない。でも、その質は中二の小僧の胃に入れるには、もったいないほど上質すぎた。厚切り上タンに厚切りハラミ、厳選赤身肉二種類に、特選霜降り、ミスジ、厳選サーロインなどが、一枚ずつ一皿に盛られてるのだ。それにご飯とスープ、サラダ、小鉢にはユッケとキムチが付いてる。


 我が守純家の行きつけの焼肉店、特選食べ放題にアルコール飲み放題を付けてもなお、このランチセットのほうが高い。きっとこのお肉の盛り合わせを追加するだけで、特選食べ放題にソフトドリンク飲み放題を頼めるだろう。


 ランチメニューを見たときも、天河ヒメは値段に怯まず迷わず「これが一番いいものらしいから、これにしよっか」とあっさり決めた。高校を通っているくらいの年齢のはずなのに、金銭感覚がまるで違う。しかも親から甘やかされているのではなく、自分で稼いでいるのだから生きる世界が別物だ。


 天河ヒメは上タンをひっくり返しながら、


「ここ、前に撮影で来たとき、雰囲気もよくて美味しかったからさ。ガッカリはしないはずだよ」


「そんなのは口にする前からわかってる。こんな上等な肉、見たことない」


「そうなの? だったらお姉さんに付いてきた甲斐があったね」


 サングラスの向こう側が、半月状にニヤついているのは容易に想像がつく。口の中で解けていく特選霜降りの前では、それが癪だからと天邪鬼になる気も起きなかった。


「あったあった。こんな美味しいお肉は初めてだ。芸能人は撮影の度に、こんなものを食べられて羨ましいよ」


「なに、お肉だけに皮肉?」


「絶望的につまらんな。バラエティだったら放送事故だろ」


「そういうときは芸人さんとかが上手く拾って、滑り芸みたいな笑いに変えてくれるから。もしくは編集でカット」


 天河ヒメはしたり顔のまま、上タンを頬張った。


「たしかに美味しいものを食べる機会は多いけどさ、お仕事はお仕事だから。こうして食べて、『あー、美味しい』って幸せな気持ちに浸ってるだけじゃダメなんだ」


 美味しそうな顔はしているけど、天河ヒメはどこか疲れた色も浮かんでいた。


「あー、なるほど。テレビで大事なのは、正直な感想じゃなくて、テレビ受けしそうな反応。毎回、大喜利しているみたいなもんか。食を楽しむための、味わう暇はないってことか」


「それをすぐ察するとか、さすがテレビを不快と切り捨てただけあるね。君のテレビ嫌いっぷりが垣間見えた」


「別に嫌いってほど、テレビに負の感情は抱いてないぞ。わざわざ費やした時間で不快になるのが嫌だから、最初から見ないだけだ」


「君、もしかしてストレス耐性とか低い?」


「同年代で俺ほど高い奴はいないぞ。ただ、自分の機嫌は自分で取る。人に取ってもらおうとしないを実践しているだけだ」


「お、いい言葉だね。君が考えたの?」


「テレビで発言したらしい、お笑い芸人の言葉だ。結構有名なはずなんだが、知らないか?」


「んー、誰だろう」


 天河ヒメは必死に考えた末に諦め、答えを求める顔をする。


「誰だろうな。なんか言葉だけは覚えてるんだ」


「ま、テレビを見ない子なんてそんなものか。今度社長に聞いてみよう」


 深く追求することなく、天河ヒメはあっさりと引き下がった。


 引き下がってから、この先の未来で活躍するお笑い芸人だったと思い出す。


 話が途切れ、三十秒。続いた無言に、なんとなく居心地の悪さを覚えた。


「それでなんであの天河ヒメが、俺をご飯になんて誘ったんだ?」


「さっき助けてくれたお礼のつもりだけど?」


「あのトップアイドルが、ちょっと助けられたくらいで? しかも中学生を逆ナンみたいに誘うか普通」


「あ、君、中学生だったんだ。何年生?」


「二年だ。俺をなんだと思ってたんだ」


「見た目はたしかにね、垢抜けた中学生だなー、くらいには見えるんだよ? でも雰囲気というかなんというか……ただの中学生が出せる貫禄じゃないよ、君」


 顎をつまみながら、天河ヒメは品定めするようにジロジロと見てくる。


 天河ヒメが俺から感じたものは間違いないだろう。なにせ中身は三十三歳で命を落とし、タイムリープした大人である。年を重ねて振り返ったら、子供の頃はなんであんなことで気恥ずかしがったり、意地になっていたんだろうという類のプライドは、既に卒業済みだ。


 小五から俺TUEEEな強くてニューゲームをしているから、かつて持っていなかった自己肯定感だけは強いのだ。それが今の守純愛彦という人間の自信に繋がっているから、中学校での孤立など屁でもない。むしろさやか先生と交わることができれば、そんなマイナスなどおつりがくる。


「その貫禄は、一体どこから出てくるの?」


「そうだなー……」


 言いながら、食べごろになった厳選サーロインを口に運ぶ。考える時間を稼ぐように、一粒一粒艶が立っている白飯を一口パクリとし、咀嚼し、飲み込んだところをスープで口内をリセットしたところで、


 ま、いっか。


「俺は人生二回目だから。だから見た目は子供、頭脳は大人なんだ」


 信じてもらえない前提で天河ヒメに真実を告げたのだ。


 旅の恥はかき捨てとはよく言うが、一期一会の出会いも似たようなものだろう。


 どうせ今日だけで終わる縁だ。信じようが信じまいが、マサを偲ぶ日として、天河ヒメに秘密を晒すのも悪くないと考えたのだ。


 案の定天河ヒメは、信じていないにやにやした表情を浮かべていた。


「へー、人生二回目かー」


「そうなんだ。神様のいたずらか、もしくは手違いか、三十三歳の誕生日に命を落としたはずが、次に目を覚ましたら小学五年生に戻ってたんだ」


「たしかに君から漏れているのは、大人の貫禄だね」


「今年で人生三十六年目。アラフォーに片足突っ込んでるな」


「なに、アラフォーって」


「そうか。まだ2000年代前半だもんな。この時代じゃ、アラフォーって言葉はまだ生まれてないのか」


「あ、その台詞、なんか未来人っぽい」


「アラフォーはな、アラウンド・フォーティーの略語。四十歳前後を指すんだ」


「へー、じゃあ三十前後の人は――アラサーってなるの?」


「理解が早いな。2000年代後半には、流行語も取って、一般的に使われるようになる言葉だからな。今から覚えておいて損はないぞ」


「じゃあ、君が未来人かどうかの答え合わせは、そのときのお楽しみだね」


 天河ヒメはにんまりと笑った。

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