48 友達なんだ
それ以来、マサの電池が切れることはなくなった。
ずっと学校生活をこなすだけだった日々が、前向きになった。これからの人生を、見据えるようになったのだ。
元の居場所でやり直したい。
そこに戻れば、築いてきたものがどれだけ壊れてしまったか、目の当たりにすることになる。たしかにそれは辛いことだが、一からやり直すわけではない。家に帰れば家族がいる。今の自分をさらけ出せる友達が、ひとりいる。百合ヶ峰を選んだのは、それが理由だった。
家に直接戻らず、ひとり暮らしを選んだのは、やはり怖かったようだ。母親には散々八つ当たりしてきたし、父親と弟には家を離れてから一度も会っていない。
最初はぎこちないかもしれないけれど、距離を置きながら慣らしていき、最後には戻りたい。どうあれそこは、自分の家だから。
そんな想いを抱いて、家族の元へ帰ったマサは、すぐに諦めてしまった。
自分の身体の変化。あからさまな配慮や言動が目についた。初めて女になった自分を目にする父親と弟の戸惑いが、辛く胸に刺さった。それを取りなすように、必死に輪の中に受け入れようとする母の態度が、とても居心地が悪かった。
以前のような家族の輪の中にいる自分が、想像できなかったのだ。
変わってしまったものは、もう戻らない。
その現実を突きつけられたマサは、家族の輪に戻るのを拒否するように、家に寄り付かなくなった。
前となにも変わらないのは、やっぱり無理だった。
家族ですらこれなのだ。
どれだけ心を許せ、親しかろうと、友達相手に以前と変わらないものを求めるのは無理だ。だから戻ってきてから、本当はすぐに伝えるはずだった身の上を、先延ばし続けた。
いよいよ入学式を迎え、これ以上先延ばしはできないとようやく決意した。
自分はとっくに立ち直っている。
色々と大変だったがもう大丈夫。
「入学おめでとう」
可哀想な奴だと、同情なんてされるほどのことはもうない。
「これからまた、一緒の学校だね」
そんな自分を取り繕い、あの日、後ろから声をかけたのだ。
今ならわかる。
「まさか」
この言葉がどれだけ嬉しくて、そしてガッカリしたのか。
「あの子ね、本当に嬉しそうだったわ」
我慢してきたものを堪えきれなくなってきたのか、おばさんは鼻をすすった。
「全部話したら、それをあっさり受け入れて、前みたいに変わらず接してくれる。ここまで変わらないなんて、普通ありえないでしょ、って。きっとね、それが変わってしまってから、マサくんにとって一番嬉しい出来事だったんだと思う」
どれだけ変わっても、俺にとってマサはマサだった。俺にとっての当たり前を、当たり前のままに扱ったまでだ。
それがマサにとって、救いになっていたなんて思わなかった。そして前と変わらず接することが、どれだけマサにとって尊いものだったのか、まるでわかっていなかった。
終業式の日、本当は変わったなりの扱いをされていた現実を突きつけられたのが、どれだけマサにとってショックだったのか。今ようやく、重く肩にのしかかってきた。
「本当は辛いときこそ、家族が支えるべきなのはわかってる」
口元を押さえ、必死に溢れ出しそうなものをおばさんは抑え込む。
「でもマサくんは、今の姿を私たちに見られたくないから。会いたくないから、こんなことになってるの……」
もう堪えきれないと、すすり泣く音がした。
「だからお願い、ヒコくん。マサくんを見捨てないであげて。あの子にはもう、ヒコくんしか縋れる相手がいないの……」
顔を覆い、おばさんは「お願い、お願い」と嗚咽を漏らしながら懇願する。
側にいてあげて、ではなく、見捨てないで。そんな言葉が出てくる辺り、おばさんも相当追い詰められている。これは昨日今日の話ではなく、ずっと溜まってきたものが溢れ出したのだ。
おばさんはマサを産み落とし、そして育ててきた。
ちゃんと生んであげられたら。
ちゃんと気づいてあげられたら。
そんな後悔の念が重く重くのしかかり、それでもマサが一番辛いからと、潰れてはならないと我慢してきた。
マサの前では我慢できたが、でも、その友人の前でもう堪えられないほどに限界だった。
縋れる相手がいないというのは、マサ自身のことだけではない。きっと、おばさんの中から溢れてきたものだろう。
「おばさん。俺はさ、マサの縋る相手なんかじゃないんだ」
だからまずは、思い出してもらわなければいけない。
「俺たちは、友達なんだよ。辛いときだからこそ、なんかとか力になりたい。全部任せてくれなんて大層なことは言えないけど、できる限りのことはしたいんだ」
「ヒコくん、ありがとう。……ありがとうね」
何度も何度も噛みしめるように、おばさんはその言葉を繰り返す。
期待に応えられるかはわからない。
でも、今のマサをなんとかしたいと思ったから、こうしてここまで来たのだ。
そして話を聞きに来た甲斐があった。
『生きててよかった』
かつて生きる気力を取り戻した理由。その話を聞いて、棚の奥にしまったまま忘れていた物を思い出したのだ。
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