47 生きててよかった
睡眠薬の大量摂取では、運が悪くなければ死ねない。それを知ったのは大人になってからで、ポピュラーな自殺方法と勘違いしていた。漫画やドラマや映画、色んなものが合わさって、間違った知識として覚えてしまったのかもしれない。
運さえ悪くなければ、マサの自殺は最初から成功はしなかった。だから問題は、自殺しようとした意思だ。計画的にしろ衝動的にしろ、死のうと考え、行動に移したのが問題だった。
「あのときはね……漢方だったのよ」
泣きじゃくっていたおばさんは、少しは気持ちが落ち着いたのか。そう口を開いた。
「十五歳未満には、睡眠薬は処方できないから。でも今は十五歳になったから、どうしても飲んだらすぐ眠れるものがほしいって。お医者さんと話し合った結果、出してもらったの」
「常飲してたんですか?」
「マサくんも、本当は薬には頼りたくないから。次の日学校があって、どうしても眠れないときだけ。それを自分に決めて、飲んでたのよ。ここ二ヶ月、ずっと取りに来ないから安心していたんだけど……」
薬剤シートにおばさんは目を落とした。
葉那の異変は、それこそ電話越しでも相手をすれば、すぐに気付けたはずだ。
夏休みに入ってから、もう二週間以上経っている。いくら近くに住んでいるからとはいえ、一度も連絡を取り合っていないことに、違和感を覚えた。まるでおばさんのほうから、葉那と連絡を取るのを控えていたかのように。
「もしかして……マサの奴、おばさんたちを避けてるんですか?」
「マサくん……私たちとは顔を合せたくないから」
とても辛そうに、おばさんはそう零した。
アイスを夜に買いに行った日、おばさんに会ったことを思い出す。おばさんへの態度が変だったとは思ったが、そういうことだったのかと得心がいった。
ずっと男として生きてきたのに、実は女だった現実を突きつけられた。そんなの辛いに決まっているし、簡単に受け入れられるものではない。ここに戻ってくるまで、沢山大変な思いをしてきたのだろう。
俺は、マサがすべてを乗り越えたものだと勘違いしていた。家族とすらろくに向き合えていないなんて、想像もしていなかった。
それを知っていればもっと上手く……なんて、後悔はしていない。それはマサが、俺にひた隠しにしてきたものだから。
だから今、俺がするべきことは、それをしょうがないことだったと終わらせないこと。
「教えて下さい、おばさん。二年前、運ばれてからあいつが、どう過ごしてきたのか」
マサが隠してきたものを暴く形になっても、ちゃんと知っておきたかったのだ。
おばさんは小さく顎を引いて、ポツポツと語り始めた。
病院でのマサは、電池の切れた人形だった。
男だと信じていた象徴を切除される同時に、生きる力を失ったかのように、病床で天井を見上げるだけの日々を過ごしていた。
電池が切れているから、自発的には動かない。食事ひとつにおいても、医者や看護師に食べろと命じられなければ動くことはなかった。電池があれば自分で動く機能を持っているのに、他者の意思がなければ動かない操り人形のようだった。
そんな人形が自発的に動くのは、母親が訪れたときだけだ。ゼロだったはずの電池が、電力を取り戻す。
その源は、喜びからでもなければ嬉しさからでもない。怒りである。
なんでこんな身体に生んだのか。
なんでこんな身体だと気づかなかったのか。
ただひたすらそれを責め続け、泣きわめき、最後にはまだ電池が切れたように、ぐったりとベッドに倒れ込む。
手元にあったものは、すべて投げ尽くしている。母親はそうやって子供が散らかしたものを片付け、帰っていくのを繰り返してきた。
「面会に行くときはね、自分の中で必ず決めていたことがあるの」
「なにをですか?」
「絶対にあの子の前では、泣かないって」
赤くなった目からまた雫が溢れないよう、おばさんは必死に頬を綻ばせる。
「一番辛いのはマサくんだから。私が泣いたら、その辛さをどこにぶつけていいか、わからなくなるじゃない」
「だから黙って全部、受け入れてきたんですか?」
おばさんはそっと頷いた。
きっと、マサと離れているときに、散々泣いてきたのだろう。
退院してからは、マサの従兄弟に預けられた。
マサが家に帰りたくないと言ったからだ。
従兄弟の家は、父親は単身赴任で海外におり、娘は学院の寮にいる。気の知れた伯母がひとりだけだから、精神的負担が少ないと配慮したのだ。
どうあれ、マサは女として生きていかねばならない。やはり男と女では生活する上で勝手が違うから、覚えなければならないことがある。
入院期間中、ようやく現実を受け入れ始めたマサは、この時点で最低限の生活を送れるくらいには回復していた。でもやはり、女として生きる上で学ばなければならない生活は、日々現実を突きつけられるようできつかったようだ。
退院して一週間後。睡眠薬を出せない代わりに出されていた漢方薬を、一回で飲みきった。朝起きてこないのを不審に思い、様子を見に行った伯母は、散らばっている漢方薬の袋を見て血の気が引いたらしい。
漢方薬だから、睡眠薬ほど酷い中毒症状は起きなかった。問題はそんなことをした行動である。
なぜそんなことをしたのか。医者は本人に問いただしたら、ただ『全部飲んだら、楽になれるかなって』と。漢方薬を、眠れる薬だとだけ聞いていたから、睡眠薬と勘違いしていたのだ。
一過性の衝動で命を絶とうとした。
しばらくまた、監視の意味で入院することになったが、二週間後にまた伯母の元へ戻る流れになった。
そこからしきりに、
「学校に行かないと」
と言うようになったのだ。
元の学校に戻りたいのかと訊ねても、首を横に振る。かといって、伯母の家から近所の中学校に通うこともしたくない。男子たちの輪の外で、女のふりして女子に混ざることに、強い抵抗感を覚えていたらしい。
でも本人の中で、学校に通っていない今の状況に、焦りを覚えていた。
自分だけが、友達たちから置いていかれている。そんな焦燥感だけが日毎に大きくなっていった。
そんなマサに、冬休みに帰ってきた従姉妹が提案した。
「だったらうちの学院に来なさい。女しかいないから、修行するには持ってこいよ」
従姉妹が通っているのは、全寮制の中高一貫の女学院。それもお嬢様学校と呼ばれるところだ。
「うちってさ、同室で中等部の子をお世話する制度があるから。全部私に任せなさい」
この提案を受け入れ、マサは三年生からその女学院に転校することになった。
仮にも伝統あるお嬢様学校。そんな簡単に転校できるのかと思うが、そこは廣場家の遠縁の息がかかっている。横の繋がりが強い家は、こういうときに強い。
転校する四月までの間に、マサは必死で勉強の遅れを取り戻し、女としての知識や振る舞いを覚えた。前の印象を残さないよう、髪も伸ばし始めた。
そして満を持して、女の園へ乗り込んだ。
入学して初日。マサは暴力事件を起こした。
どうやら高等部の生徒たちが、ひとりの中等部の生徒を取り囲んでいたようだ。理由は『憧れのお姉様に、目をかけられて気に食わない。身の程を弁えろ』である。
ただの僻み嫉み。非はどちらにあるのか、明らかであった。
誰も助けに入らなかったのは、相手は十人。それも代表となって責めている女子の、派閥の問題ある。
これが真面目な話でなかったら、『全寮制女学院の派閥だって!?』とワクワクして聞きたいところだ。
学院の勢力図や暗黙の了解など知らないマサは、その間に割って入った。
生意気な転校生、それも中等部の生徒に、ボス生徒はお怒りになった。ビンタを貰ったマサは、思い切り顔面を殴りつけたのだ。倒れたところに蹴りの追い打ちも忘れない。
これがヤンキー学校であれば、取り巻きの女子たちも『テメェ、なにしやがる!』と囲んで、数の暴力でリンチに発展する。けどここは、蝶よ花よと育てられ、外界から隔離されたお嬢様学校。ボスのピンチよりも、自分が傷つかないことを優先する。そのくらい男として生きてきた女の剣幕が恐ろしかったのだ。
すぐに通りかかった教師に止められた。ボスに追撃をいれ続ける絵面があまりにも悪かったから、退学かと思われたが、マサに助けられた女子が声を上げた。
おまえが気に食わないと、多勢に無勢に囲まれた。そこに割って入ったマサに、手を先に出したのは、向こうの方である。
結果として、ことを大きくしたくない生徒たちと学院側の意向で、喧嘩両成敗で終わった。
初日から高等部の生徒にボコったマサは、一躍有名人となった。生徒たちからは腫れ物のように扱われ、教師たちからも要注意生徒として目を光らされる。
そんな中、マサが助けに入った生徒だけが、葉那お姉様と呼び慕っていた。
彼女の前では常に、マサは頼れる年上として振る舞っていた。その憧れをガッカリさせないように、いい関係を築いていた。
でも、一度部屋に戻れば電池が切れる。従姉妹に世話されながらなんとか、廣場葉那を演じ続けてきた。
女としてのコミュニティの中で生きる生活は、精神的な負担が大きかったのだ。部屋の外に出るのは、常に辛苦が伴っていた。まさに精神を疲弊させるためだけに、学校生活を営んでいるように見えたらしい。
「その姿がね、いつも見ていて不安だったらしいわ」
おばさんが、その従姉妹の気持ちを代弁するように言った。
「いつか倒れるかもしれないって?」
「大丈夫かって声をかけるとね、いつもこう言うらしいの。『ヒメちゃんの引退ライブを見届けるまでは、絶対に死ねない』って」
「それって……」
「もしそれが終わったら、マサくんどうするんだろうって」
天河ヒメの存在は、死ねない理由になっていた。でも天河ヒメが引退したら、その理由が失われる。
ただ、学校にいく元気がなくなるわけではない。今度こそ自分の人生に、引導を渡すかもしれない。
本気で死のうと思った人間を、拘束でもしない限り止めることはできない。
その不安がずっと、従姉妹には付きまとっていたのだろう。
「だけどね、終わってみればその心配はなくなったの」
ホッとしたときのことを思い出したかのように、おばさんは薄く笑った。
「『生きててよかった』って。ライブが終わったとき、そう零したらしいのよ」
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