46 やっぱり
「あら、ヒコくん?」
インターフォン越しに、不思議そうな声がした。
ここは廣場家。何度も上がってきた家だ。出禁されているわけではないから、歓迎されない客というわけではない。でも葉那が別の場所に住んでいる今、連絡もなく訪れてくるには不思議な相手なのだ。
インターフォン越しに相手をする客ではないとわかり、玄関に迎え入れられた。
「今日はどうしたの?」
「えっと、フミっていますか?」
「あ、フミくんと約束してるの? それだったらごめんなさい。あの子今、お友達の家に行ってるから。約束を忘れて――」
「いや、いないならそのほうがいいんです」
「いないほうがいい?」
「マサのことで、話たいことがあって」
「……わかったわ、あがって」
雰囲気から気楽な話ではないと察し、おばさんは俺を迎え入れた。
勧められるがまま、ダイニングの椅子を座る。お構いなくという言う暇もなく、キッチンから戻ってきたおばさんは、麦茶と共に対面に座った。
緊張した面持ちでおばさんは口を開いた。
「それでどんなお話かしら?」
「これ」
予め自分の中で組み立てた通りに、まずは空の薬剤シートを差し出した。
卓上に置かれた薬剤シートを見て、おばさんは目を見開いた。
「あいつ……うつ病だったんですね」
「……そう。マサくん、ヒコくんに全部話したのね」
悲しげに眉尻を下げながらも、おばさんはどこかホッとしたように言った。
肩の荷がひとつ、降りたと感じたのかもしれない。
「やっぱり、そうだったのか」
「え……」
騙すような真似をしたのが心苦しかった。
カマをかけられたと気づいた瞬間、おばさんの面持ちは悲痛に歪んだ。
「騙し討ちみたいな真似して、すみません。でも、そこだけはちゃんと確かめたかったから」
「なんで……わかったの?」
「今のマサの状態と、これを処方されていることを鑑みて、そうじゃないかなって」
「マサくんの状態?」
不穏な単語を聞かされ、おばさんは不安そうに声を震わせた。
終業式の日に起きたことから始まった、今日までの顛末。掻い摘みながらも、大事なことは包み隠さず語った。
知らない間に、自分の子供がそんな状態に置かれていたのは、やはりショックだったようだ。涙こそ堪えているが、肩がずっと震えている。
「すみません。俺がもっと、色々と気づいてやれればこんなことには」
「ううん。ヒコくんのせいじゃないわ」
おばさんは悲しげにかぶりを振った。
「全部あの子が、ヒコくんにだけは知られたくないって隠してきたことだから。むしろヒコくんの気の回し方は大人みたいで凄いわ。いくら男同士のままがいいからって、あの子も困ったものね」
なんとか笑おうとして、失敗した顔が痛々しかった。
今から進めたい話は、確実にこれ以上酷い顔になる。それがわかっているからこそ、口が重くなる。
だからといって、ここで話を終わらすわけにはいかない。
「おばさん、聞いていいですか?」
「なにかしら?」
「なんで十日分だけなんですか?」
「……えっと、それって」
俺の視線に釣られて、おばさんは卓上に目を落とした。それにハッとしたのは、どれだけこちらが事情に見抜いているか。怯えているかのようだった。
「多分、精神科系の病院に、通院とかしてるんですよね?」
「……ええ。一ヶ月に一度のペースで、見てもらってるわ」
「だったら一回の処方で、三十日分は処方されてるでしょ? なんでその中で、葉那の手元にあるのは十日分だけなんですか?」
「それは……」
「聞き方を変えます」
言葉に詰まったおばさんに、追撃のように言い放つ。
「数を管理する必要があるってことですか?」
「…………」
おばさんは追求から逃げ出すかのように、目を伏せた。
「まとめて渡すのが不安だから。そんな不安を覚えるようなことが……前科があいつにはある」
「ヒコくん……」
まるで請うように俺を呼ぶ。その先はわかっていても口にしないでほしいと求めるように。
その願いは、聞き遂げてはあげられない。
「たとえば……一ヶ月分まとめて、全部飲んだみたいなことがあったんですね」
「あ……う、うぅ」
限界に達したように、おばさんは両手で顔を覆った。過去の出来事を追憶し、その悲しみに嗚咽を漏らしている。
やっぱり、そうだったのか。
確信はあったが、それでも事実として認められるのはきつかった。
マサは過去に、自殺を図ったのだ。
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