39 どれだけ姿形が変わっても

 話のキモに関係ないからと、焼き肉と台風の話を端折ったのがよくなかった。


 改めて最初からあの日のことを話した。


「なるほどねー」


 すべてを話し終えると、母ちゃんは得心したように背もたれに身を預けた。


 炊飯器の炊きあがり音がした。話を始めてすぐ、そういえばと炊き始めたものだ。早炊きくらいの時間を、話し込んでいたのだろう。


 炊きあがった米をしゃもじでほぐしながら、


「母ちゃん……俺、間違ってるかな」


「間違ってるって?」


「マサへの気遣い方」


「間違ってないって言ってほしいのかい?」


「無能な働き者が、なぜ厄介か知ってるか? 上手く物事が進んでないくせに、自分は間違っていない。それを疑わずにどんどん物事を進めていくからだ」


 炊飯器をそっと締めた。


「俺はさ、自分で稼いで食べるくらいのことはしてきたけど、母ちゃんのような立派な大人とは程遠い。それは自分が一番わかってるんだ」


「大丈夫だよ、愛彦。あんたは間違ってない」


 母ちゃんは優しく、揺らいでいた考えを定めてくれた。


「だからといって葉那ちゃん……マサちゃんがワガママを言って、不貞腐れてるって切り捨てるのも違うからね」


「生まれたときから十四年間、男として生きてきたんだ。誰も彼もから、女として気をつけろって求められるのは、息苦しいだろうな。だから俺の前でくらいは、好きにやらせてやりたい気持ちもあるけど……やっぱりダメなものはダメだろ」


「どうあれマサちゃんの身体は、女の子だからね」


「しかもテレビの中くらいでしか、お目にかかれんレベルの美少女だ。そんなのに無防備に振る舞われると、さすがに困る」


「あんたは今のマサちゃんのこと、女の子だと思っちゃうことはあるかい?」


「それは……ないな」


 間が空いたのは、心当たりがあったからではない。なにも考えずの即答ではなく、ちゃんと自分の中でその答えは決まっていると確認したのだ。


「なにせマサは、母ちゃんと同じだから」


「母ちゃんと?」


「俺にとって一度、失くした存在なんだ」


 縁起が悪いことを言うなと、母ちゃんは怒ることも、不快感を示すこともなかった。今の言葉が俺にとって、どれだけ重たい事実か知ってるからだ。


「一度失ってる人生を歩んできたから、どれだけ母ちゃんが大きな存在だったかわかった。側にいて当たり前じゃない。それがどれだけ重たい意味を持っているのか、嫌ってほど身に沁みてる」


「わかるよ、その気持ちは」


 しみじみと母ちゃんは頷いた。


 母ちゃんもまた、大切な人父ちゃんを失っている人なのだ。


「マサの場合は、勝手に死んでいたことにしていたから、母ちゃんとは事情は違うけどさ。それでも、あいつが生きてるって知ったときは、本当に嬉しかった。あの日の夜は感極まって泣いたくらいだ」


「そういうことを素直に言えるのは、あんたの美徳だね」


「もうそういうのを、恥ずかしがるような歳じゃないからな」


 恥じることなく、正面から母ちゃんに目を合わせた。


「俺が年相応のガキだったら、そのうち勘違いしたかもしれない。男同士の距離感で接している内に、マサがそう振る舞わざるを得ないだけの男だということも忘れてさ」


「でもあんたは、年相応の子供じゃない」


「ああ。あいつはそれを、肌で感じてるんだろうな。だからこそ、俺以外の友人には打ち明けられない秘密なんだ」


 なら、その信頼は間違いのないものだったと、俺は応えたかった。


 求めていたものとは違うかもしれない。全部が全部、思っていた通りにはさせてはやれない。


「おまえが女だったらよかったのに、なんて言ったことはあるけどさ」


 それでもあいつが求めているもの。その核だけはブレずに応えたかった。


「どれだけ姿形が変わっても、大事な中身が変わらないのなら、それが一番いいに決まってる」


 初めての友達にして、たったのひとりの親友。


 母ちゃんを生贄にしてまで、異世界転生して奴隷ハーレムを築きたいなんて思わない。それと同じで、廣場花雅という人格を犠牲にしてでも、理想の美少女を手にしたいわけではない。


 自分の中であのとき形になっていなかったものが、ようやく形をなした。


「あー、ようやく自分の中で、あのとき言いたかったことを言語化できた」


 母ちゃんは頬を綻ばせた。


「だったらその気持ちを、ちゃんと伝えなきゃね」


「男同士だからな。この手の話を、向こうが恥ずかしがらずに聞いてくれるかな」


「それでもちゃんと伝えないと、ずっとこのままだよ」


「だな。さっさとこの拗れた状況はなんとかしないとな」


 俺はエプロンを脱いだ。


「悪い。自分の分は先に焼いて食べててくれ」


「待ってるからいいよ。ご飯を食べるなら、賑やかなほうがいいからね」


「そうか。なら、どのくらいかかるかわからんが、待っててくれ」


「どれだけ時間がかかってもいいから、ひとりで戻って来るんじゃないよ」


 母ちゃんから激励を受け、俺は家を飛び出した。

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